第85話 一月二十日(金)ー2 ガールズトーク

 夕食後、三人で片付け、交代でお風呂に入ると、私は居間の座卓の上に紅茶がたっぷり入ったポットといろんなお菓子の袋をずらりと並べた。


「おおー、壮観やな!」

「ガールズトークには、お菓子が欠かせないからね」

「ガールズ?」

「おばあちゃんと、川野と、私」

「はあ、まあ、いいけどさ」

「ありゃ、ばあちゃんも、混じっていいん?」

「もちろん!」


 私たちは、たよりない味わいの駄菓子を口に入れながら、いろんなことをしゃべった。川野が、関東の大都会から転入生が来ると知らされたときにクラス中が大騒ぎになったこと、私が丸二日間無視されたとき、実はどれだけみんなが緊張して牽制しあっていたかということ、弓道部の活動について、それに昨年末のテスト勉強が役立ったことについてしゃべると、おばあちゃんも、お父さんと竹史さんがふたりしてときどき畑からトマトやキュウリを失敬していったこと、弓道の話を始めると互いに譲らなかったこと、高校一年の夏休みに自転車で県内一周した話を披露してくれた。


「自転車で県内一周? 何日くらいかかったの?」

「一週間くらいやったなあ」

「へえ、あの父ちゃんがそんなことしちょったなんてなあ」

「祐介は体力がありあまっとったみたいやったけど、竹史くんは、ほら、細っこかったからね、付いていくのに苦労したみたいや。それでも、海辺やら山道やら、一日50キロも60キロも走ったみたいよ。途中、海で泳いだり、山に登ったりしながら走り回ったんやって」


 私は聞き役に回ることが多かったけれど、それでも、川野が料理上手であること、川野のお父さんが懐かしそうにうちの両親の思い出話をしてくれたことをおばあちゃんに話してあげた。ガールズトークは思いのほか盛り上がったが、おばあちゃんは、明日も畑の手入れがあるからと、十時には寝てしまった。


 途端に夜の影が濃さを増した。たった一人抜けただけとは思えない、冷え冷えとした空虚さに襲われそうになり、私はあわててチョコチップクッキーを口に放り込んで、言った。


「ガールズトーク、再開しよう!」

「ガールズ?」

「私と川野」

 川野は苦笑した。

「ずいぶん、厳しくなったな」

 私はことさら元気よく返した。

「いいの!」


 川野がにっと笑い、言った。


「よっしゃ、じゃあさ、﨑里ちゃんの恋ばな、しよう。付き合っとるやつ、おるん?」

「いるわけないでしょ」

「じゃ、好きなやつは?」

「……」

「なに、その沈黙?」

「知ってるくせに」

「……竹史?」

「……」


 川野は、心底、憐れむような顔をしてみせた。


「まじでなん? なあ、まじで、まじで、竹史のこと、好きなん?」

「言っとくけど、小嗣竹史さんであって、川野竹史さんじゃないからね」

「うーん、そこ、どう解釈したらいいんやろ。小嗣竹史と川野竹史を別人として考えていいわけ? たしかにさ、小嗣竹史は川野竹史になってからの歴史を持っとらんけど、川野竹史には小嗣竹史がまるまる含まれるんよ? ということは、小嗣竹史は川野竹史やないけど、川野竹史は小嗣竹史でもある、ってことにならん?」

「川野にしては、理論的な考え方するじゃない」

「それ、褒めとらんよな。でも、﨑里ちゃん、これからどうするん?」


 その言葉にどうしようもなく切なくなった。この恋に、これから、なんて、あるのだろうか?


「どうもしない。と言うか、どうにもできない。何をしたらいいのか、もうわからない」

 うなだれた私に、川野がぽつりと言った。

「生霊に恋するとは、また、難儀なことやわなあ……」

「……」

「どこがそんなに気にいったん?」

「射。あの凄絶な射」

 私の答えに川野は遠い目をした。ゆっくりうなずいた。

「ああ、あれは見事よな。俺も、あれには見惚れた。あんな細いのに、ずっしり芯が通っとって、気の満ちるのが見えるようやった。周囲をねじ伏せる威圧感すら感じられる」

甲矢はやをつがえるとき、乙矢おとやがぴたりと静止しているのとか、離れのときの馬手のしなやかさに、まるで人の所作じゃないような、背筋がぞくっとする何かを感じてた。でも、川野の射も、最近すごく美しくなってきたよ」


 川野がこちらに目を向けた。


「そう?」

「“袴の彼”に感謝して。“袴の彼”が川野を指導し始めてから、勢いだけだった射が、みるみるうちに優雅になったんだから。まだ、ごつ、ごつってうまくかみ合っていない歯車みたいな感じが残ってるけど、それがなくなったら、川野の射はきっと艶っぽくなるね」


 川野がなぜだかちょっぴり顔を赤らめた。


「つ、艶っぽく? 色気が出るってこと? 俺、ときどき、﨑里ちゃんの感性、わからんようになるわ」

「川野は、お父さんと弓道の話をしないの?」


 真顔になった。


「高校に入ってからは、いっさいないな。中学生のころ、市の弓道教室に通い始めたころは、指導されてたけど」

「お父さんは弓を引かないの?」

「見たことないんやわ、引いてるところ」

 そう言って小さくため息をついた。

「うちの両親と同じだね。すっかり止めてしまったのかな」

「“袴の彼”が若かりし頃の父ちゃんやとしたら、あまりにも、もったいないことや。あの射手が年を重ねてどんなふうに変わっていくのか、俺は見てみたかった」


 そうだ、“袴の彼”は、どれほど苦しい思いで弓道を止めてしまったんだろう。やるせない気持ちになり、私はラムネを一粒口に入れた。丸い粒は舌の上に甘味と清涼感を残しつつ、すっと溶けていった。


「あのさ、そういえばさ、この前、俺を追い出して、母ちゃんと何しゃべっとったん? ずっと気になっとったんやけど」

 虚をつかれた。

「え? あ、あの時はごめんね。まあ、いろいろ……」

「竹史のことなんやろ? どんな話したん?」

「う、うん……」

「聞きたいこと、聞けた?」

「……うん」

「あのあと母ちゃんを駅まで送っていったときに言いよった。裕佳子ちゃんと父ちゃんの間に気を配ってやりよやって。裕佳子ちゃんを守ってやれるんも、父ちゃんをかばってやれるんも、お前しかおらんのやけん、って。でも、どういうことなのか、いまいち意味がわからんのよな。まるで、父ちゃんと﨑里ちゃんが仲悪いみたいやん? それに、父ちゃんをかばうって?」

 うかがうようにこちらを見た。視線が絡み合い、瞳の底を探ろうとする。

 どうやら、川野はお父さんが女性嫌いなことについて気付いていないようだ。知らないのなら、あえて言う必要はない。

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