第82話 一月十九日(木)ー2 どうしたらよい?

 川野がやってきた。いつもとさほど変わらない時間に、いつもとさほど変わらない様子で教室に入ってくる。真後ろの席の私ににこやかに、おはようさん、と言うと、席に着く。隣の席の田辺くんと一時間目の英語の課題について話をしている。えー、やべえ、ワーク、一ページやり忘れとるわ、と叫んでいるのも、いつものことだ。いつもとほとんど変わらない。それが逆に辛くて、私は窓の外を見た。


 頭の中でいくつものことがぐるぐると混ざり合い、もはやどこから手を付けたらよいのかわからない。川野のお父さんは女性を愛せない。ということは、“袴の彼”が好きなのは容子ではなく、祐介だったの? 三つ編みの端をもてあそびながら窓から見つめていた私をにらんだのは、祐介の彼女となってしまった愛しい容子へのやり場のない苦しい思いゆえではなく、みなに祝福されながら祐介を奪っていった容子と見間違えて、嫉妬のあまりということだったの? 弓道場で私の手を恐ろしい剣幕で振りほどいたのも、容子と間違えて、あるいは女子に触れられるのが嫌だったから? 


 でも、こんな事実と推測から、“袴の彼”を笑わせるには、どうしたらよいと結論付けられるのだろう? 﨑里祐介に会わせてみる? いや、それではだめだろう。“袴の彼”は川野竹史ではなく、高校生のころの小嗣竹史なのだ。つまり、現在の、五十を超えた﨑里祐介なんて知らないはずだ。そうだ、いっそのこと、川野のお父さんとうちの父、﨑里祐介を会わせてみてはどうだろう? いや、だめだ、父の示したあのわだかまり、あの理由が分かるまで、二人を会わせるのは危険だ。もう一度、“袴の彼”に直接話しかけてみようか? なぜ、ここにいるの? 何を望んでいるの? でも、答えてくれるだろうか? それに、もしも彼の望みが満たされてしまったら、そのあと彼はいったいどうなってしまうのだろう? リスクと不確定要素が多すぎる……。ため息をついた。


 一方、川野のことで、私に何かできることはないだろうか? まさか、黒木ちゃんが矢野くんを好きになる、あるいは好きだったなんて、思ってもみなかった。今となっては、移動教室での行為や勉強会の提案なども、悔やまれた。そのとき、ふと、駐輪場でパンクを直していた川野に勉強会のことを提案したとき、あいまいに笑っていたことを思い出した。もしかして、あのとき川野はこうなる可能性も見越していたのだろうか? 誰かの善意の施しにより引き起こされる応答は、施された者が望むものになるとは限らないと……。なんにせよ、こうなってしまうと、今の席順は苛めでしかない。教室にいるあいだ、川野は矢野くんの後ろ姿を嫌でも見続けなければならない。どれだけ苦しいことだろう……。私はまたため息をついた。

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