第68話 十二月二十六日(月)ー1 お父さんが来た

 冬休みに入ってすぐ、おばあちゃんの家にお父さんがやってきた。私は年末も年始もこちらで過ごすことになっている。川崎に戻ったって何か楽しいことが待っているわけではなかったけれど、帰ってくるなと言われると、カチンとくる。


お父さんとふたりでお母さんのお墓参りに行った。

「もう半年になるんだな」

 墓前でお父さんがぽつりと言う。

「お父さんは向こうでひとりで大丈夫なの? お母さんも私もいなくて、寂しくないの?」

 そう尋ねると、

「寂しくないはずはないだろう、でも、お父さんには仕事があるからな。人を救うという責務は、重荷でもあるけれど、自分の苦しさを麻痺させてもくれるんだ」

「でも、お父さん」

 私は尋ねた。

「お母さんが生きている時から、お父さんって、ひたすら病院にいたよね? じゃあ、あの頃は何の苦しさを紛らわせていたの?」

 お父さんはこちらに目を向けず、しばらく黙っていた。

「もう帰ろう」

 そう言うと、身をひるがえした。


 家にもどると、おばあちゃんがお父さんの好きなハンサコの塩焼きとカメノテの塩ゆでを準備してくれていた。オイズの煮つけもある。カメノテなんて、こっちに来るまで存在すら知らず、初めて見たときには、名前そのままの形状に、ぎょっとしたものだ。おばあちゃんに促され、恐る恐る口に入れてみて、その旨味にまたびっくりした。それ以来、大好物になった。お父さんはカメノテをつまみにビールを飲んでいる。


「裕佳子ちゃん、良いお友達がいっぱいできてなあ、この前は、うちで勉強会、したんよ」

 おばあちゃんがお父さんに嬉しそうに話す。

「みんないい子やわあ、きちんと挨拶もするし、まあ、本当に、一日中ちゃあんと勉強しとったなあ。おばあちゃん、感心したわ」

「そうか、それなら、お父さんも安心だ、裕佳。川崎とはずいぶん環境が変わるから、どうなることかと心配していたんだが、大学に入るまで、ここできちんと生活できそうだね?」

「問題ないって。電話でも、いっつもそう言ってるでしょ」

「そうだったな」


 お父さんは家ではあまりお酒を飲まなかった。仕事に差し障る可能性があるからだ。二本目のビールを空けた後、カボス入りの焼酎のお湯割りをおいしそうに飲んでいるお父さんは、顔色も全く変わっておらず、お酒はかなり強いようだった。ただ、すこしだけ陽気になっているように見えた。


「祐介には焼酎を飲ませておいて、私たちはお土産のバウムクーヘンでもいただこうかね、裕佳子ちゃん」

「そうしよう、おばあちゃん。私、紅茶入れてくる」


 お父さんにリクエストして買ってきてもらった、お気に入りだった洋菓子店のバウムクーヘンは、懐かしい味がした。おばあちゃんがいたずらっぽい顔をして、私の食べる手を止めさせ、戸棚から取り出してきたピンク色のサクランボリキュールをひと匙振りかけた。とたんに、懐かしかった味が華やいだ味に変わり、私はすぐにこの新しい食べ方が気に入った。




*  *  *  *  *

海産物の名称について、説明を付記します。


ハンサコ:イサキの地域名。塩焼きがおいしいです。


カメノテ:「セイ」と呼ぶ人も多いです。フジツボと同じ甲殻類の一種。磯の岩のくぼみに群生し、形状はまさに亀の手そのもの。群生しているさまは、岩の隙間から亀の手がいくつも突き出しているような、ちょっとシュールな光景です。旨味が強く、塩ゆでにして食べます。


オイズ:トコブシの地域名。小さなアワビのような形状です、煮つけにすることが多いです。

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