第62話 十一月十四日(月) 小野先生
放課後に日直のノートを職員室に持っていくと、小野先生はいなかった。雑然とした机の上にノートを置くと、ちょっと考えて、理科室をのぞいてみた。第一理科室には誰もいない。第二理科室に近づくと明かりがついているのがわかった。そっとドアを開けて中をのぞいたが、誰もおらず、部屋の奥の準備室の扉が開いていた。入るか、どうしようかと逡巡していると、準備室からいつもの白衣姿の小野先生が出てきた。手には試薬瓶がいくつも並んだプラスチックトレイを持っている。
「お、﨑里、どした? 何かあった?」
「いえ、すみません、何でもないんです。さっき日直の日誌を提出しに職員室に行ったら、先生がいなかったので、こちらかな、と思って」
「おお、すまんの。明日やる二年生の実験の準備があったんでな」
そう言いながら、先生は風乾棚からビーカーと薬さじを数個ずつ取り出し、トレイに並べた。
「何の実験なんですか?」
「うん、金属イオンの反応や。鉄や銅イオンが錯イオンを作って色が変わったり、あるいは沈殿したり、っちゅうんを確かめさせる実験」
先生はそう言いながら、硫酸銅の試薬瓶から少量の結晶をビーカーにはかり取った。水を加え、ガラス棒でひと混ぜ、ふた混ぜしたとたん、ビーカーの中にふわりと明るい水色が広がった。
「わあ、綺麗な色ですね!」
「な、そうやろ? これやけん、無機化学の実験は楽しいんよな。色ってさ、偉大やぞ。綺麗な色を見るだけで、気分が変わるもんな」
先生は人好きのする笑顔を浮かべてビーカーの中身を撹拌している。
「先生、そう言えば、ソックスレーで何かサンプルを抽出してみせてくれるって話は、どうなりましたか?」
先生は手を止めて、ちょっと考えた。
「ああ、そうやったな。今日は、もう、ちょっと無理やけど、ええと、今週なら、木曜日と金曜日以外の放課後なら、大丈夫や」
「じゃあ、明日でもいいですか?」
「おう、いいぞ。何か抽出してみたいもの、あるか? ぱっと思い浮かぶもんが無かったら、何か葉っぱを持ってきてくれるか?」
「葉っぱ、ですか?」
「うん、緑色の濃いやつがいい。今やと広葉樹は厳しいけん、針葉樹の葉っぱか、あるいは緑色の野菜でもいいわ。それで、緑色の色素を抽出してみよう」
「わかりました。明日持ってきます」
「お、よろしくの」
先生はにっこり笑ってそう言うと、次のビーカーに別の試薬をはかり取りはじめた。
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