第59話 十一月三日(木・祝)ー1 テスト勉強

 最初のテスト勉強の日は、祝日の十一月三日に決めた。矢野くんには予め了解を得ていた。美羽ちゃんと黒木ちゃん、村居くんに声をかけると、美羽ちゃんには飛び石の四連休を利用して家族旅行に行くからと、村居くんには友達が遠方から遊びに来るからと断られた。飛び石とはいえ、四連休は、平日は校内の交流活動で忙しい活動家たちにとって、校外のプライベートの貴重なメンテナンスタイムだ。予想どおりだ。


 おばあちゃんに勉強会の話をしたら、うちでやったらどうかいと勧められた。きっと、私が本当に学校に溶け込めているのか心配で、自分の目で確かめたいのだろう。おばあちゃんを安心させるためにも、最初の一回はうちの家でやることにした。普段あまり使われていない、長机のある八畳の和室を使うことにする。


 朝九時に三人が揃ってやってきた。黒木ちゃんを先頭に玄関に入ってくる。みんな少し緊張した面持ちだ。

「こんにちは、お邪魔します!」

 玄関で出迎えたおばあちゃんに、三人が口々に挨拶する。

「はいはい、皆さん、ようこそ。いつも裕佳子がお世話になっとります」

 おばあちゃんは本当にうれしそうな笑顔で答える。

「さあさ、どうぞ、上がってちょうだい、そっちの左手にどうぞ」


 ぞろぞろと和室に入る。長机に座りながら、黒木ちゃんが物珍しそうに部屋中を見回す。


「本格的な和室って、あんまり来る機会がないんよね。新鮮やわあ。床の間とか掛け軸とか、本当にあるんやね! あ、あのふすまの上の透かしみたいなの、なに? 彫刻? すごく繊細で綺麗やん?」

「何て言うんだろう?私も知らない」

「あ、あれは、欄間。明かり取りとか装飾として、お座敷によく設けられとるよ」

 控えめな声で、それでもよどみなく矢野くんが説明してくれた。黒木ちゃんが感心したように答える。

「へえ、欄間ねえ、矢野くんって、建築にも詳しいんだ」

「い、いや、これは建築というより、常識の範囲……」

「あ、嫌みの才能もあるんだ」

「ち、違うよ、そんなつもりは……」

「うそ、うそ。冗談やけん」

 黒木ちゃんのからかいに矢野くんは赤くなったが、それでも学校にいる時よりはリラックスしているように見える。


「それじゃ、早速勉強を始めようか。ええと、今日を入れて、まず三回、みんなで勉強してみよう。基本的に、教科書とワークブックの問題を解いて、引っかかったところをわかってる人が解説するという進め方でいいかな? 三回勉強会をやった時点でまだ不十分だと感じたら、そのとき、どうするか考えよう」


 私の提案を三人は異口同音に承諾した。私の左隣に黒木ちゃん、私の向かいに矢野くん、そしてその隣に川野が座っている。みんなで黙々と数学の教科書とワークブックの問題を解き始める。期末テストは中間テストの試験範囲も含むので、かなり範囲が広い。苦手な教科については、どこから手を付けたら良いかわからず、最初からやる気にすらなれないかもしれない。


 ものの十分で悲鳴を上げたのは川野だった。


「わからん、わからんわ。俺の頭じゃ、どうしようもない!」

「川野、早いね。どの問題がわからないの?」

「どれもこれもないわ、最初っから、わからん!」

「まあ、落ち着いて、ノートを見せて。……ああ、これはね、教科書のこの例題を見てみて、これの応用だよ。これの右辺と左辺を ab で割って……」


 と説明しかけたところで、矢野くんを見た。


「ねえ、矢野くん、この解き方でいいかな?」

「うん、そうやね、その応用と考えても解けるんやけど、でも、こっちの式からの変形やと考えると、ずっとシンプル。ほら、こうするだけで同じ形になるやろ? やけん、基本的には、こっちの式を頭に入れとく方がいい。加えて、その変化形として、これと、これと、これの三つだけを覚えておいたら、たいていの問題は解ける」

 矢野くんが川野のノートにさらさらと数式を書きつけるのを見ていた黒木ちゃんが感心したようにため息をついた。

「すごいなあ、矢野くん。今の、すんなり頭に入ったわ」

 川野は一所懸命に教科書の該当箇所に線を引き、矢野くんがノートに書いてくれた数式にさらに注釈を書き加えている。私は矢野くんの教え方のうまさに舌を巻きつつ、先生役として彼を仲間に入れるというアイデアは大正解だったと満足した。その後も、十分に一度川野が、十五分に一度黒木ちゃんが問題に躓き、矢野くんの明瞭かつ的確な指導を受け、午前が終わった。


「すげえ、俺、なんか達成感がある! 数学の勉強をやってこんな気分になったんなんて、初めてやわ」

 川野がノートを見返しながら言った。

「私も、私も。ひとりやったら、三日かけてもこんなに進めんかったわ。矢野くん、ありがとう!」

 黒木ちゃんも言った。

「私も矢野くんが教えるのを見ていて、頭の中がすごく整理されたよ。いろんなことのつながりが、今までよりもくっきり見えてきた感じ」


 ほめちぎる私たちに、矢野くんは赤くならなかった。その代わり、顔をほころばせ、今まで見たことのない魅力的な笑顔を浮かべた。


 持ち寄ったお昼と、おばあちゃんが張り切って作った自家製野菜の団子汁を食べて、午後の勉強に進んだ。午後は国語と英語をやった。数学の能力に関してはずば抜けていた矢野くんだったが、国語はどうやら苦手らしい。それは私が先生役を務めた。英語では私が黒木ちゃんを、矢野くんが川野をマンツーマンで教えた。


 短い三時の休憩――おばあちゃんが、何が何でもお手製プリンを食べさせたくてしようがなかったのだ――をはさんで、みっちり六時間勉強した。

「頭の中がもう一杯や。振ったらこぼれてきそう」

ノートや教科書を鞄にしまいながら、川野が言った。うんうん、と黒木ちゃんがうなずく。

 三人はおばあちゃんに団子汁とプリンのお礼を言うと、帰っていった。

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