暗雲

第56話 十月三十日(日) 嫌われている?

 “袴の彼”のことが気になっていた。“袴の彼”に話しかけたあの日、自分が彼からきっぱりと拒絶されているのを感じた。“袴の彼”の手を私がつかんだ時、彼は即座に手を振りほどき、冷ややかに私をにらんだ。ぞっとするほど冷たかった手と同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に、冷淡だったあの視線は私の胸をつき、打ちのめした。嫌われている? どうして? 私は彼のことを何も知らないのに、あれほど激しく拒絶されるのはなぜなのだろう? “袴の彼”を笑わせたいという気持ちは、今でも変わりはなかった。あの、淡く、美しいハシバミ色の瞳が楽し気に輝くところを見たかったから。なぜ、あのような姿で、弓道場に毎日現れるのか、その理由も知りたかった。だけど、私は憎まれている――いったい、どうしたらよいのだろう?

 

 そもそも、なぜ私は疎まれたのだろうか? 弓道場で稽古を邪魔したから? うん、それは否定できない。でも、プール棟の窓から見ているときに目が合ったときでさえ、彼はかすかに顔をこわばらせて目をそらしていた。弓道場の外からの見学なんて、よくあることだ。たとえそれが不快だとしても、それだけで、あんなに忌み嫌われるとは思えない。


 彼の態度の原因として、ある可能性が思い当たらないわけではなかった。手を振りほどいたときの様子が、あの日の川野の素振りをほうふつとさせたからだ。でも、その可能性は除外できるだろう。だって、川野のお父さんは結婚しているのだ。現在、別居しているとはいえ、息子と娘を授かっている。川野の特徴ある目はお父さんそっくりだ。血がつながっていることは間違いない。だからこの可能性は考慮するに当たらないだろう。


 もしかして、彼は私を高原容子と間違えているのではないだろうか? そうだ、きっと、それだ。“袴の彼”は、プール棟にたたずむ私を、同級生だった高原容子と見間違えた。仲の良い友人だった﨑里祐介の彼女になってしまった、高原容子と。もし、“袴の彼”がひそかに容子を思っていたのだとしたら? それなら、いまや大事な親友の彼女になってしまった容子への断ちがたい思いを吹っ切るために、わざとぶっきらぼうな態度をとったのもうなずける。

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