第42話 十月二十日(木)ー7 うろたえる
その夜、お父さんに電話をかけた。久しぶりの娘からの電話に、最近どうしてる、学校で困ったことはないか、勉強の進み具合は、ばあちゃんとうまくやってるかと、お父さんは息つく間もなく質問してきた。どれも何の問題もないよ、学校も家も楽しい、友達もできて、みんなよくしてくれてる、そう答えると、お父さんは、そうか、と安堵したような声で応じた。
「今日、同じクラスの川野くんの家に行った」
「川野くん? 男の子か?」
「うん。弓道部の川野くん。席が隣で、転校してきた時から、ずっと、お世話になってる。川野くんのお父さんに会ったんだけど、お父さんと同級生だって言ってたよ。弓道部でも一緒だったって。お父さんとお母さんが弓道をしていたなんて、私、今日初めて聞いた」
「川野?」
「旧姓は小嗣だって」
「裕佳……」
「お母さんのことも、よく知っていたよ。私みたいに小柄で、高校で弓道を始めたら、めきめき上達していったって」
「裕佳……」
「でも、私の顔はお父さんにすごくよく似てるって、懐かしそうだったよ。顎とか輪郭とかが、瓜二つだって……」
「裕佳子、もういい!」
お父さんの剣幕に驚きはしなかった。私の無邪気を装ったあおりにお父さんは見事に引っかかった。私は口をつぐみ、沈黙でお父さんの次の言葉を促した。お父さんはすぐに我に返ったが、今度は興奮したことにうろたえた。
「……ごめん、ごめんな、裕佳、怒鳴ったりして。うん、何でもないんだ。突然、裕佳から古い話を聞かされて、ちょっと驚いただけだ。最近、忙しくて疲れていたんだよ、あまり、眠れてもいないしな。小嗣のことなら、うん、思い出したよ。そうだ、同級生だった。あいつとは弓道部で何度も腕を競い合ったもんだ。ああ、あいつの腕前だって、相当のものだった。いや、そうじゃないな、むしろ、あいつのほうがすごかった。お父さんのは単なる技術なんだ。計算ずくで、ロボットみたいなもんだ。でも、あいつには圧倒的なセンスがあった。的中率こそ、お父さんのほうがわずかに高かったけれど、今思い出しても、あいつの射には、そう、凄みというか、ぞっとするような美しさがあった……」
「お父さん、どうして弓道やめちゃったの。もったいない」
「忙しかったからな」
「ふうん?」
そのあと、地域の神社の秋祭りが来週行われる話、美羽ちゃんや黒木ちゃんと時々いくケーキ屋さん――お父さんが子供のころにできたらしい――や、最近できた二軒のカフェ――お父さんが子供のころにはこんな田舎にカフェなんて考えられなかったらしい――の話をして、お父さんの声が落ち着いてきたのを確認すると、通話を切った。
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