第29話 十月七日(金)ー1 “袴の彼”ー5

 残暑の中にもひと刷きの涼しさが感じられるようになった早朝、私はいつものように、三つ編みの端をもてあそびながら、廊下の窓から“袴の彼”の射を見ていた。そのとき、ふと思った。ずっと見続けていたら、どうなるのだろう? 今まで、ずっと見続けるのは失礼だろうと思っていたし、万が一、早朝以外の時間に校内で顔を合わせることがあれば気まずいだろうと考え、一手見たら、潔く教室に入って読書をしていたのだ。今日は彼にずっと付き合ってみよう、そう決めた。


 足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、そして残心。


 所作のひとつひとつが、前の所作のゆるぎない帰結となり、次の所作への契機となる。複次関数のグラフを下るそりのように、緩急つけながら、射はただ滑らかに続いていく。繰り返される静謐な動。見飽きることはなかった。二十分ほど繰り返していただろうか、ふと彼は向きを変えると、ゆっくりと射場の奥へと消えていった。でも、そのとき、私の目ははっきりととらえた。袴の左腰に刺繍された名前を。小嗣、と書いてあった。

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