第11話 八月三十日(火)ー3 炎色反応
各実験台の上には、ガスバーナーと、無色の水溶液がはいった試験官が四本、試験管立てに並べられて置かれている。黒板の前でだぼだぼの白衣を着た、小柄な小野先生――くせっ毛でぼさぼさの頭をした、ぱっと見、さえないおじさんなのだけれど、何とも言えない愛嬌があるので女子の間ではかなり人気があり、私はひそかに金田一耕助先生と呼んでいる――が呼びかける。
「はい、それじゃ、炎色反応の実験のやり方を説明するで。見えづらいけん、みんな、ノート持って、こっちに出てき」
みんなが実験台から立ち上がり、わらわらと小野先生の教員用実験台を囲む。先生は柄のついた金属棒を取り上げた。先端からさらに細い金属棒が出ている。
「いいかあ、まず、これを見て。これは先端が白金線でできてます。白金、わかるな? 指輪とかネックレスに使われる、貴金属な。白金は他の物質との反応性が低いんで、実験に都合がいいんやけど、非常にお値段が高い」
みんな興味深げに、先生の右手に握られた白金線を見つめる。
「この白金線を使って炎色反応の実験をするのが基本なんやけど、うちの高校にはみんなの分だけそろえるお金がありません。やけん、今日はこのステンレス網を使って実験してもらいます」
えー、と不服そうな声が上がる。
「網のほうが、観察はしやすいん! はい、まず、ライターでバーナーに火を付けます。つけ方は覚えちょるな?」
「ガスが先、空気があと!」
「はい、そうな。元栓を開けて、ガス栓をゆっくり開けてライターで着火、炎の大きさをこれくらいに調整したら、ゆっくり空気栓をあけて、これくらいの青色にします」
細長い青い炎がごおっという音とともに燃え上がった。
「バーナーの準備ができたら、ステンレス網をピンセットでつまみ、先端を水溶液に付けて、バーナーの炎の青いところに差し込みます」
そう言うと小野先生は実演して見せた。青い炎を押し割るようにして鮮やかなオレンジ色の炎が燃え上がった。どよめきが上がった。
「これは、塩化ナトリウム、ナトリウムの炎色反応です。網やと、これくらいゆっくり観察できるから、落ち着いて実験してな。では、まず、先生が、リチウム、カルシウム、カリウム、銅、バリウム、ストロンチウム、の炎色反応を見せます。ノートに色をメモしてな。教科書に写真があるけど、写真と実際に見るんじゃ、ずいぶん違うんで、よう見ときや」
先生は手際よく実演してみせた。
「はい、それじゃあ、みんなにも、やってもらうぞ。みんなの実験台の上には、先生が四種類の水溶液が入った試験管を準備しました。今見た金属イオンのどれかが、それぞれ一種類ずつ入っています。何が入っているか、炎色反応から判別してください。実験台ごとに違うから、隣を見てもヒントにならんけんな」
ぞろぞろと自分たちの実験台に戻り、私たちは実験を始めた。やっていい? と断りながら、美羽ちゃんがピンセットに手を伸ばした。水溶液Aは鮮やかな赤色に燃え上がった。
「リチウム、かな?」
「それっぽいね」
「はい、じゃAはリチウム、と」
水溶液Bは銅、Cはナトリウムっぽかった。
水溶液Dを浸した網を炎にいれるとオレンジに緑色の縁のついた炎が燃えあがり、私たちは顔を見合わせた。
「何これ?」
「こんなん、あったっけ?」
「もう一回やってみよ」
もう一度やっても、変わりなかった。
「なんか混ざっちょるんやない?」
「カルシウムと、銅?」
「でも、色混ぜたらさ、ふつう、一色になるんやないん? 赤と青で紫、みたいな?」
私たちがあれこれ言い合っていると、小野先生がにやにやと笑いながら寄ってきた。嬉しそうに言う。
「この班は、当たり班!」
「はあ?」
「水溶液Dは、ストロンチウムと銅の混合液や。ちょっと混ぜてみたん」
「先生、最初の説明と話が違うやん!」
「でも、面白かろ? 混ぜたらどうなるんかって、普通思うやろ? それにお前たちも議論しよったやん、色を混ぜたら一色になるにい、なんで別々の色のままかって。炎色反応は光やけん、絵の具を混ぜるんとは違うけど、でも光でも混ぜれば一色の色に見えるようになる。じゃあなんで、炎色反応やと、そうならんか? ちょっと難しい話やけど、金属が炎色を出すには、温度を上げる必要があるんや。その必要温度が金属によって違う。ブンゼンバーナーの温度が内側と外側で違うんは、覚えとるな?」
「内側が低い」
「そう! やけん、低い温度しかいらん金属は炎の内側でも外側でも色が出るけど、高い温度が必要な金属は外側でしか色が出らん。やけん、炎の内側と外側で、別々の色が現れたんや」
「へえ……」
美羽ちゃんと川野は不服そうに口をとがらせていたが、私は痛快な気分になった。教科書の斜め上を行く実験をさせて、余計な説明までしてくれる小野先生の授業はとても楽しかった。
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