八月下旬に差し掛かると、日本列島を覆っていた高気圧は勢力を弱めて一時の猛暑は落ち着きをみせた。


 祥子との待ち合わせ場所に指定された喫茶店で落ち合うと、一週間前に瑞鳳苑に泊まりに来た老人が、実は曽祖父の親友だった話を伝えた。そこで初めて〝生方〟という旧姓を知ったことを告げると、何を言いたいのか察したようで世間の狭さに驚きを隠せない様子だった。


「もしかして、生方喜八郎と親子関係で、 春彦は玄孫やしゃごにあたるってわけ?」

「そう考えるのが自然だろ。斎藤さんも曾祖父ちゃんの父親が画家だって話を聞いたことあるみたいだし」


 祖父と父は共に絵は絵を描くのも観賞するのも趣味で、曽祖父だけは絵を描いているところを目にしたことはなかった。

 春彦は〝画伯〟と称されるほど壊滅的に絵描きのセンスがないタイプで、曽祖父もてっきり絵が下手なのかと認識していたが実際のところはわからない。

 斎藤さんも本人が絵を描いているところは見たことがなく、技量のほどは定かではないらしい。


「才能は遺伝しない良い例ね」

「そりより検査の結果はどうなんだよ」


 小馬鹿にする祥子に腹が立ち、話題を強引にもとに戻した。


「結果から言うと、あの絵を描いたのは生方喜八郎ではなかったみたい」

「え、そうなのか? でも教授は生方喜八郎の作品で間違いないって言ってたじゃないか」


 まさか偽物である可能性を考慮していなかった。では、あの絵は誰が描いたものなのかと前のめりになって尋ねると、順を追って説明すると言って距離を空けた祥子は若干引き気味に答えた。


「教授いわく、画力も画風も、ほぼ喜八郎本人と変わらない人間があの絵を描いたんじゃないかって。それじゃあどこで生方喜八郎の作品でないか判断したのかというと、X線検査を用いたの」

「X線検査?」

「そう。そもそも絵画に使用される顔料は、時代によって成分がかなり異なるわけ。X線検査で顔料を一つ一つ分析測定することによって、細かな成分やいつの時代に使われていたものか正確に特定できたりするのよ」


 なにやら小難しい話になってきたが、要は絵画修復に欠かせない技術らしい。世界的に有名な絵画の下に、別の絵の存在が隠れているのを発見したのもX線検査なんだとか。


 さすが美術の先生を目指しているだけあって、祥子らしい蘊蓄うんちくをダラダラと聞かされているうちにグラスに付着した結露がテーブルにシミを作っていた。


「なるほどな。その分析で得られた情報が本物と作品に使われている顔料と一致すれば本物。一致しなければ贋作ってわけだな」

「その通り。蔵で見つけた絵の顔料は、喜八郎の絵の顔料とは全くの別物だった。使われた時代も喜八郎がとっくに戦死しているはずの、昭和二十四年から二十五年の間に使われたことが判明したし、検査の結果に大きな誤差は生じないからほぼ贋作であることが判明したってわけ」


 現代科学の前では嘘がつけないなと感心する一方で、あの絵自体が本当に喜八郎の作品を模倣したものなのか――贋作と言い切ってしまうことに違和感を感じる自分がいる。


 正直に思ったことを伝えると、「確かに贋作と言い切るのは語弊があるかも」と、予想外にも祥子は春彦の意見を肯定した。


「贋作だって言ってるのは、個展に出せなくなって不機嫌な教授だけなの。私はあの絵を誰かの摸倣だとも思わないし、キャンバスに込められた熱量は誰が見ても紛れもなく本物よ。それと、使用された油彩絵具の販売元もわかったからお店のURLを送っておくね」


 スマホから通知音が鳴り、確認すると祥子から〝クサカベ絵具〟なる会社のURLが送られてきた。


 タップして開くとホームページにとんで、会社の沿革に目を通す。自社製品の紹介では油彩絵具も掲載されていた。


「クサカベ絵具自体は有名で、昭和三年から現在まで画材全般を全国に卸していている老舗企業なの。美大生なら名前くらいは知ってて当然ね」

「昭和三年か、だいぶ古いんだな。だけどあの絵が描かれたのは昭和二十四、五年なんだろ? 戦後間もない時代に操業なんて出来たのか」

「工場は現在の池袋で操業していたらしいけど、運良く空襲に焼かれずに済んでいち早く画家に画材を提供してたみたいよ。仕事だからといえばそれまでだけど、物資も何もない時代に誰かのために働くなんて、凄いことよね」


 老人から戦後に体験した話を聞かされたあとでは、焼け野原となった街で会社を再興することがどれだけ凄いことか理解できる。

 

 日本国民なら誰もが授業で戦後の混乱期を教わるが、〝知識〟として知ってはいても当事者から聞いて初めて理解する現実があることを知った。食べるものも何もない時代の飢餓感は、決して教科書を読むだけでは得ることができない。


 恥ずかしい話だが、斎藤さんが泊まりに来た当日が終戦記念日であることすら失念していて、そのことを正直に明かすと「うちの孫もそんなもんだ」と笑い飛ばしていた。


 チェックアウトを済ませてタクシーに乗り込んだ斎藤さんは、「当たり前の生活に感謝しなさい」と短い言葉を残して帰っていった。遠くなっていく車体を見送りながら、無為に過ごしていた日常は曽祖父や老人が引き裂かれたような数多くの犠牲の上に成り立っていることを思い知らされる


「俺も、頑張らなきゃな」

「うん? なにを頑張らなきゃだって?」

「いいや、なんでもない」


 ちょうど頃合いを見計らったかのように、祥子のスマホが鳴る。手に取り内容を確認すると、そろそろ帰ると言った立ち上がった。


 相手は例のアキラだろうか。だとしても、とやかく言う権利など自分にはない。当たり前の生活に胡座をかいていたのは自分なんだから。


「なら、そろそろ帰るか」


 レシートを手に取りレジへ向かう。老人の言葉がいちいち胸の不覚に突き刺さる。


 ――大事なものは、無くなって初めて気がつくものだよ。

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