チェックインの時間帯を迎えると、続々と予約客が姿を見せ始める。フロントで忙しなくお客の対応をしていた春彦に、一際図体の大きな男性客が声をかけてきた。


 百八十センチは超えていそうな長身で、ロマンスグレーの髪を後ろに撫で付けて白のスラックスに有名ブランドのポロシャツを着用している。


「予約していた斎藤です」


 隣りには額が禿げ上がった白髪の男性が杖をついて立っていた。身長は百五十台かそこらで、いかにも仕立ての良さそうな帽子をかぶり夏の暑さを感じさせない麻のジャケットを優雅に羽織っている。


 日向子ちゃんの話では、小柄の老人のほうが曾祖父の事を尋ねてきた人物で間違いない。宿泊名簿に名前を記入してもらう。老人が〝斎藤博文〟という名前であることがわかったが、名前だけでは当然誰だがわかるはずもない。


 春彦をじっと観察するように眺めていて、居心地の悪さを感じながら部屋まで案内することとなった。


「こちらが雲雀ひばりの間でございます」


 瑞鳳苑で最も高価な部屋に通すと、待ち構えていたように老人が話を切り出した。


「失礼、もしや君が生方貞春の曾孫ではないかね。昔のアイツと顔がそっくりですぐにわかった」

「貞春は確かに曾祖父の名前ですが、旧姓はあいにく聞いたことがなくて……」


 荷物をおろしながら答える。先々代の曾祖父は、婿養子として清嶺家にやってきた当時、経営が傾いていた蓬莱館を建て直した話は聞いていた。


 八十歳まで現場に立っていたが、先代にバトンを譲ったのちに隠居して以来すっかり老け込んでしまい、今では認知症を発症するまでに至っている。

 老人の代わりに、今度は息子が口を開いた。


「いきなり妙なことを聞いてすまないね。この旅館の先々代のご主人と父が友人関係にあったみたいで、そろそろ老い先も短いことだし最後に会いに来たんだよ」

「勝手に人の人生を最後にするでないわ。いやしかし、本当に貞春に瓜二つだ。若かりし頃のアイツが目の前に現れたようで、昔にタイムスリップしたみたいだ」

「父さん。挨拶はそのくらいにしないと、彼にも迷惑がかかるよ」


 二人の関係性が垣間見えるやり取りを苦笑いで見届け、館内の設備の説明を終えて部屋から立ち去った春彦は任されていた仕事に戻った。

 汗を流して館内を行き来していると、廊下ですれ違った日向子ちゃんがそっと耳打ちをしてきてドキッとさせられた。


「斎藤様はどんな方でしたか?」

「年齢の割に溌剌としていて元気だったよ。それにうちの曾祖父ちゃんと知り合いだったみたい。俺が若い頃の爺ちゃんとそっくりですぐにわかったんだって」

「そうなんですか? でも、さすがに性格は似てないとは思いますけど」


 さらりと言うと自分の仕事に戻っていった。たんに老人について聞きたかったようだ。時計の針は瞬く間に流れ、夕食時になると各部屋に間に懐石料理の御膳を慌ただしく運び、最後に雲雀の間を訪れる。


 そっと襖を開けると、既に一風呂済ませて浴衣姿の斎藤親子が、旧有馬郡の山々を望む窓際の椅子に腰掛けて外を眺めていた。


 もう配置場所を間違えることもなくなっていた配膳を一人で行いながら、仕事とは無関係と知りつつ小鉢を置く手を止めて、老人に話しかけた。


「あの、曽祖父とは仲が良かったんですか?」

「仲が良かったというより、ほとんど家族みたいなものだったな。ワシは生まれこそ関西だが、空襲で全てを失い紆余曲折を経て東京の上野に流れ着いた。そこで同じような境遇の貞春と、ここにはおらんが菊田茂三という友人と出会って三人で暮らしてたんだ」

「え、曽祖父は戦争で両親を亡くしてたんですか?」

「ああそうだ。その調子だと、弟を亡くしたことも聞いておらんのだろ」

「はい。弟がいるのも知りませんでした」


 ゆっくりと立ち上がった老人は座椅子に場所を変え、親子揃って腰を下ろすと運んできたばかりのグラスを手渡された。

「少し飲みなさい」と、有無を言わせずビールを注いでくると流石にアルハラとは言えず、勤務時間を理由に断ったが押しの強さに敵わない。


「こうなると頑固だからね。女将さんには事情を説明しておくから、少し付き合ってもらえると助かる」


 これまで随分と振り回されてきたのか、呆れた様子で箸に手を伸ばす息子を他所に老人は自身のグラスに注ぎ入れると、年齢を感じさせない飲みっぷりで半分ほど空けた。高齢にも関わらずいける口のようで、すぐに二杯目を注ぐと春彦にも勧める。


「進んで人に話したい過去でもないからな。貞春から戦後の話を聞いたことがあるか?」

「いえ、あまり昔のことを語りたがらなかったもので」


 曽祖父が昔のことを語りたがらないのは、思い出すのも辛い体験をしたからだろうと解釈していたが、まさか戦禍で両親を亡くし、存在も知らなかった弟も亡くしているとは思いもしなかった。


 それから斎藤さんは、懐かしむように過去を語りだした。眼の前の懐石料理には手をつける気配はなく、舌の上に広がる苦みを思い出しながら語っているように見えた。


 荒廃した上野には浮浪児が溢れかえり、糞便の臭いが充満する地下道を生活の拠点にして食うにも困る日々を送ったこと。


 予期せず手に入れて金の魅力に取り憑かれて、仲間もろとも死の危機に瀕したこと。


 真の意味で絆が深まったと思った矢先に、刈り込みにあって離れ離れになってしまったこと。


 全てを聞かされた春彦は、頑なに口を閉じていた曽祖父の心中をほんの僅かにだが、知れることが出来た気がした。


「それで、刈り込みにあったあとはどうしたんですか?」


 少しの沈黙の後、斎藤さんは口を開いた。


「すぐに戻ると約束をした以上、なんとかして収容先の養育園から脱出を図ろうとしたが、監視が厳重で無理だった。もう一人捕まった茂三の行方もわからずじまいで、時間だけが過ぎていった。以前に犯した罪がバレやしないか気が気でなかったが、結局それは杞憂に終わり孤児院に送致されたワシは、そこで縁があってとある夫婦に引き取られたんだ」

「それじゃあ、曽祖父とはそれから」

「会っておらん。それどころから、つい最近まで生死も定かではなかったからな」


 曽祖父との関係を実の息子に打ち明けたのも最近のようで、人生の終着点が見えてきた今、なんとかして再会の約束を果たそうと行方を探したらしい。


 瑞鳳苑で働いていたことまでは突き止めたが、曽祖父の認知症が進行していることをまではしらず施設に入所していることを告げると、「そうか」と寂しそうに呟いた。

 

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