二
更衣室に到着した春彦は、ロッカーの中に保管していたスマホを取りだしてロックを解除した。画面には祥子から届いた着信の通知が表示されている。
――なにも宿に直接電話しなくてもいいだろうに。
別れても距離感を測りかねる振る舞いにため息をつきながら、写真フォルダの中から、
「どうしたの? そんなに見つめちゃって」
「なんか、変なこと言うようですけど笑わないで聞いてくれますか?」
「それは内容によるけど」
「ならいいです。言いませんから」
「うそうそ。笑わないよ」
そんなやり取りをして、もう一度写真を見せてくれと頼まれてスマホを渡すと、「何処かで見たことがある」と呟いた。
「そんなはずないよ。だって、この絵はつい最近蔵で発見した絵なんだから」
「そうなんですけど、でも確かに見覚えがあるんですよね」
そこまで興味を持ってくれるのは嬉しいが、その一割でも自分に向けてはもらえないだろうか。
穴が開くほど写真を見つめてい日向子ちゃんは、このデータがほしいととせがんできたので予期せぬ形でラインのIDを交換すると、挨拶の一言とともに写真のデータを送信した。
今日はツイてるぞ――心のなかでガッツポーズをしている間に、用事が済んで去っていく日向子ちゃんにしばしの別れを告げて、後回しにしていた祥子に連絡を入れた。しばらく待たされてようやく祥子の声が聞こえると、少し機嫌が悪そうな気配が声色から窺える。
「あ〜もしもし。今起きたばっかなんだよね」
「寝坊するなんて珍しいな。もうすぐ夕方になるぞ」
「夜中まで課題やってて、今起きてたとこなの……。てか、春彦から寝坊を咎められるなんて初めてなんだけど。どう? アルバイトは上手くいってるの?」
欠伸をしながら気怠そうに話す祥子の声を聞いてると、微かに第三者の声が聞こえたような気がした。それも、聞き間違いでなければ、祥子の名を軽々しく呼ぶ〝男〟の声で間違いなかった。
祥子に男兄弟は存在しない。両親は家にいないのか? 脳裏には隼也から聞いた謎の男の輪郭が、朧気ながら浮かびあがった。
「もしかして、誰か家にいるのか?」
恐る恐る、聞いてはならないような気がしたが思い切って尋ねる。
「あれ、声聞こえてた? そうなの、両親は旅行に出掛けてるから。うちにアキラが泊まりに来てるの」
そう言うと、スピーカーから距離を離して、もう一人の誰かに話しかけた。両親がいないということはつまり――お泊りをしていたということか。
何処の誰かもわからない男に対する理不尽な怒りが、胸中に渦巻く。
「アキラ! 声聞こえてるって、少し黙っててよ」
「なんだよ。どうせなら挨拶させてくれよ」
階段を何者かが降りてくる足音がきこえる。そうか、〝アキラ〟と言うのか……覚えておこう。
急にアキラとやらの声が近くなり、脳内で二人が体を密着させている映像が浮かぶ。そこはもう俺の居場所でないことを改めて自覚した。
「ず、随分と仲が良さそうだな。そういえば隼也が元町で祥子が二人で歩いてるのを見かけたって言ってたけど、相手はそいつなのか?」
「あちゃ〜。やっぱり地元は知人に見られる確率が高いね」
あっけらかんと答える祥子に、声を大にしていいたかった。
〝元〟とはいえ、付き合っていた男相手にわざわざ挨拶をしようなんて、善人のキグルミを被ったヤバいやつだぞ。そんな男と付き合えば不幸になるだけだぞと、日頃の自分の行いを棚に上げていているとコンロを点火する音が聞こえた。
「それで、折り返しの電話をくれたって認識で良いんだよね?」
「……ん? あ、ああそうだよ。真贋がわかったんだろ?」
「なによ、心ここにあらずな生返事なんかして。まあいいや、実はあれから大学に戻って色々と調べたんだけど、ちょっとくっつかないでよ」
時折会話の中に交じる二人のいちゃつく声が神経を逆撫でる。誰にも見せられない顔でスマホを握りしめていると、背後から視線を感じて振り返った。
そこには母が〝家政婦はみた〟でお馴染みの立ち姿で、更衣室の中を覗き込んでいる。
「ちょっと仕事のことで話があるんだけど……お邪魔だったかしら?」
しっしと、手のひらで追い返すと母の気配が向こうに伝わったのか、「仕事中なの?」と祥子に問われた。そそくさと退散する足音が遠ざかっていく。
「正確にはもうすぐだけどな。で、結果はなんだったんだよ」
「例の絵について、真贋も含めて直接話したいことがあるから、出来れば都合の良い日にちでいいから教えてくれない?」
「はあ? まあ、別にいいけど」
理由は分からないが、祥子から突然デート(?)に誘われ、変に意識をしすぎないよう細心の注意を払いながら一週間後に会う約束を交わした。
場所は高校生の頃によく訪れていた喫茶店。通話を終えると思い出した――今日が大安であることを。
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