まつ江さんにサクラを頼んだ結果、想像を遥かに越える客の反響に三人とも対応するだけで手一杯の毎日が続いた。


 一度ホンモノと知られると、お金を手にした客が蟻のように群がる。なんせ国が厳しく流通を管理している砂糖が、文字通り山のようにあるのだ。

 角砂糖は一箱あたり百三十円。一粒あたり一円で売り出したにも関わらず、出せば売れ出せば売れ、金庫代わりにしていたアルミ缶は大量の売上金でいっぱいになっていた。


 客に求められるがままに売り出せば、恐らく三日もあれば店頭から品物が無くなりそうな勢いだったが、ヒロヤンは砂糖と同じく統制品であった醤油やバターを大量に仕入れてまとめて売り出すことで、調味料を欲していた主婦層が店を開ける前から行列を作るほどだった。


「しかし、ここまでの人気が出るとは正直俺も思わなかった。人間ってやつはつくづく欲深い生き物だってことを知ったよ」

「ヒロヤンが最初に限定品って宣伝したのが良かったのかもね」


 まだ日が高いうちに店じまいをした三人は、その日の売上を手にまだ稼働数が少なかった銭湯へと訪れていた。普段は汚れた体の客でごった返している浴場に人影はなく、誰もいない浴場で貞春たちは、横一列に並んで身体を洗っていた。


「だが、さすがに俺達だけで捌くのが難しい客数になってきたな」


〝花王〟と刻印された石鹸は今や入手困難で、お湯で泡を流すと肌が色艶を取り戻していく。ほのかな石鹸の香りが鼻をくすぐり頬が緩む。


 石鹸製造に必要な油脂が極度に不足するなか、貴重な油脂は闇市場へと流出して、中国人や朝鮮人が率先して粗悪な闇石鹸製造に手を染めているという話を、シゲチーから砂糖という賄賂わいろを受け取って開店前の入浴を許してくれた番頭さんから教えてもらった。


「これからもっと手広く仕入れる予定だから、そうしたら二人とももっと忙しくなるぞ」


 湯船に肩まで浸かると、ヒロヤンの声が天井高い浴室に反響する。


「ねえ、石鹸を売ることはできないかな。闇石鹸じゃなくて正真正銘の石鹸を売ったら、砂糖以上に目を引くと思うんだ」

「シゲチーにしちゃ、いいアイデアだな。だが物が物だから仕入れるのが難しいな……。いっそ知識のある人間を雇って、造らせるのもありかもな」


 シャボンの玉が舞い上がり、弾ける。二人の楽しげな声を貞春は他人事のように聞いていた。

 商売の楽しさに目覚めたのか、二人は売上金を元手にさらなる儲けを得ようと画策していた。つい数ヶ月前まではその日一日を生きていくのさえ難しかった自分たちが、いつの間にか生きること以外の欲を抱いている――。


 使い切れないほどの大金を手にして明日への希望を口にしている現実に、貞春の心は未だ追いつけずにいた。


 一人お湯の中に潜って瞼を閉じる。息継ぎのタイミングで顔をあげると二人は既に湯船から上がっていて、脱衣所に戻っていた後だった。

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