第3辛 鳴らない洋鐘

「ケガをしないように注意は必要かもしれないけど、たぶん裸足でも誰も気にしないよ。ライも靴、履いてないし」

「犬はそうかもしれないけど」


 魚のような雲がのどかに空を泳いでいる。この世界からは赤色だけでなく、慌ただしさもなくなっているのかもしれない。


 大きな樹に挟まれるようにして石造りの鳥居が立っていた。


「神社にお参りして行こっか。これからの健康を願って」


 階段を上がっていき神社の今度はオレンジ色の鳥居をくぐると、空気の澄んだような境内で角の生えた狛犬が出迎えてくれた。


「あれは……ベル?」


 他の神社やお寺ではあまり見かけないものがあった。屋根と柱があるだけの風通しのよい建物に、金色に輝くベルがぶら下がっている。


「鳴らさない用の洋鐘ベルだね」

「あるのに鳴らさなくていいの?」


 柵で囲まれていて、乗り越えない限り立ち入ることはできなくなっている。


「鳴らないことが縁起がいいとされている……はず。ベルが鳴るとオニが来るからね。この大きな樹の上にたしか本物の鐘があるんだけど」


 カイリは頭上を見上げながら後ずさりしていく。


「ホンマモン見るんやったら、この場所やねぇ」


 巫女の格好をした女性が竹箒たけぼうきを手に立っていた。白衣はくえに、やっぱりオレンジ色のはかま穿いている。その女性の足元には隠れるようにして狐がいて、こちらの様子をうかがっていた。


「楽しいデートの邪魔したら悪いなぁ思てたんやけど、困ってはるみたいやったから、堪忍かんにんしてな」

「別にデートというわけじゃあ……」


 箒でちょんちょんと示した場所に立つと、生い茂る木々の葉の隙間をぬって、陽を浴びて燦然さんぜんと輝く大きなベルが見えた。


「あれ、この木ィに生えてんねん。あんな大きいベルがるなんて不思議やろ? なんか教会みたいでロマンチックやない?」

「でも鳴らないんでしょ?」

っても鳴らんでも、綺麗なものは綺麗でええねん。アカオニが来るときにあのベルの音が鳴り響くって云われてるけど……なぁ?」


 巫女の女性がカイリに視線を送る。足元にいる狐とカイリの犬はお互いの匂いを嗅いで打ち解けたのか、ケンカすることもなく穏やかにまったりと過ごしている。


「この町のは僕もまだ聞いたことがないんだ。一体どんな音色なんだろうね」

「あんな高いところにあるのに、どうやって鳴らすんだろ」

「アカオニさんが来たで! ガンガン叩いてって鳴らすんやって」


 ピリカの想像するアカオニは赤色で角が生えている。よいしょっと木に登って、高らかにからんからんとベルを鳴らしている光景が浮かんでくる。


「アカオニさんかぁ、怖くないなら会ってみたいなぁ」

「そのうち会えるよ」

「そやな。いい子にしてたらきっと迎えに来てくれはる。こんなに可愛いんやし。二人はこのあと、町に戻りはるん? それとも奥のほう?」

「町に行くつもりです。この子、さっき奥から来たばかりなんで」

「サンダルを買うの。持ってくるの忘れちゃって」

「そうなん。裸足なんお洒落かと思ってたわ。余ってるのあるけど、持ってく?」

「いいの?」

「ええで。売るほどあるからな。ちょっと待っとって」


 その巫女のお姉さんは足早に境内にある小さな社務所しゃむしょに入っていった。その後ろを小さな狐が追いかけていく。


「あの狐ってお姉さんのペットかなぁ?」

「あれはペクトだよ。僕のライと同じで、この世界の特別な存在。みんなが必ず持っているもの」

「私は持ってない」

「ペクトは動物だけじゃなくて、小物の場合のこともある。アクセサリーとか、思い出の品とかね」


 ピリカは着ている服のポケットを探してみると何かが入っていた。


「ちょっと待ってッ」


 ポケットから取り出そうとするとカイリが声を上げた。


「ペクトは自分自身の大事なものだから、誰かに見られたら困る場合もある。物凄くセンシティブな物とかね」

「センシティブってどういう意味だっけ?」

「物凄く個人的な情報ってこと。動物みたいに大きくて隠せない場合は仕方がないけど、信用できないような他人にあんまり見せないほうがいい」

「分かった。ヤバいものなら見せないってことだね」

「後ろを向いとくから、終わったら声をかけて」


 自分のものすごーく個人的なもの――ペクト。


 カイリは灰色の大型犬で、巫女のお姉さんは小さな狐を連れている。


 そしてピリカは――


「終わったよ。ヤバいやつだった」

「そうか。それは大変だったね――」


 振り返るカイリの視界に入るように、手のひらに乗せていたそれは、


「じゃーん」


 緑色をしていて、ぷっくりといびつな形の、


「パプリカ?」

「シシトウちゃんです」


 丹精込めて育てたシシトウだった。


「へぇ。自分で育てたんだ。それは大事なものだね。でも僕なんかに見せてよかったの? シシトウが好きなのバレちゃうよ」

「バレても大丈夫。普通のシシトウならそこまで好きじゃないし、このシシトウが特別に好きなだけで」


「ごめん。遅なってしもて」


 巫女のお姉さんが小狐と一緒に戻ってくる。


「お姉さん見て! これ、私のペクトやねん」

「可愛らしいピーマンやなぁ」

「ピーマンじゃなくてシシトウなの。自分で育てたヤバいやつ」

「ヤバいん?」

「えへへ」

「そうそう。足のサイズ分からんかったから、適当にいくつか持ってきたけど、どれがええ?」


 地面に置かれたのは、巫女のお姉さんが履いているものと同じような下駄だった。足を乗せるひのきの台にオレンジ色の鼻緒が付いている。


「よう似合うわ。町についたらそこのお兄さんにたっかい靴、買ってもらい」

「高くなくても良いものもあるからね」

「こんなに綺麗なもの……本当に貰っちゃっていいの?」

「ええねん。ホンマにアホほどあるからな。捨てるの勿体ないペクトがおんねん。返さんでもええけど、その代わりまたお参りに来たって」

「うん。ありがとう」

「可愛いうちにいっぱい旅しとき」



 アカオニが来るとベルが鳴るというその神社から遠ざかって振り返ってみても、自由奔放に伸び盛る木々に覆われていて、お姉さんに教えてもらったホンマモンの大きなベルは見えなかった。


 その生い茂る木々の中で、太陽の光を浴びて、ちらりと光が反射したような気がした。

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