第33話

「え……じゃあローリィってば隣国のお姫様なの!?」

「あー、妾腹やけど一応そう言う事になるな」

 声を上げた友人たちがいるのは炉吏子の部屋だ。髪を整えて着替えさせられていたネグリジェのままベッドに身体を起こしている、その隣で二人は唖然としている。まあお嬢様に見えない奴が王女様だと言うのだからその反応は当たり前だろう。帰って早々鞄を置いてすぐ炉吏子の部屋に呼ばれた友人たち。俺は机に向かう椅子を頂戴して、二人は立ったままだ。はーっと息を吐いた俺の悪友は、呆然としている。

「じゃあ今までの私の態度って大分不遜だったんじゃ……」

「かまへんて、友達やってんから。今更畏まられた方が傷付くわ」

「それにしても……それじゃあ迂闊にプロポーズも出来ないよなあ」

「なんで?」

「なんでって、身分的に色々……うちも大貴族じゃないし」

「今のうちはただのローリィや。親からも切り離されてもーた、ただの名前だけの貴族のローリィ。誰が求婚して来たっておかしくないけど、せやな、さっきヴォロージャに婚約者になれ言われたから、しいて言うなら王子様と張り合う事になるのは避けられひんのと違うかな」

「何それ怖い。今更女の子巡ってヴォロージャに勝てる気とかしねえよ。剣術の授業だって最近は負けっぱなしだし、成績もこの前のテストで大差付けられたし」

「言っとくけどうち、平等にしか課題出してへんからな。王子様でも関係なし」

「そう言う子だと思ってるけど」

 ぶー、と口を鳴らしながら見られて、俺は肩をすくませる。俺の実力だ。参ったか、無精者め。学校の図書室での復習の後に城でも本を読んできちんと理解していたのだ。その場限りでない理解を。暗記だけでない公式を。参ったか。大切な事なので二度思う。俺、結構粘着質だな。自分でも今知った。

「本当の名前は炉吏子。浪花炉吏子や。覚えんでもええし呼ばんでもええけど、まあ知っててくれるとちょっと心強いな」

「炉吏子、か。じゃあ城にいる時やこの四人でいる時だけは炉吏子って呼んでも良い?」

「ええけど」

「炉吏子。改めてよろしくね、プリンツェーサ・炉吏子」

「今更お姫様扱いは痒いて」


 あははは、と笑いながら、でも炉吏子はどこかホッとした様子だった。二人の態度があまり変わらなかったからだろう。また自分の名前を知る人間が増えた。友達が増えた。仲間が増えた。それは炉吏子にとって、救いだろう。孤独の中で繰り返される暗示と勉強と実戦の中で、炉吏子に友達はいなかった。王都では何もかもが違う。自分の名前も晒せる。ストレス源もいない。それでも変えられない行動はあるのかも知れないが、それでも今までより心は軽くなるだろう。

 ツォベール伯の掛けた暗示も、この分ならそれほど時間を経ずして抜けるのかもしれない。流石にそのことはまだ秘密だが、いつかすべてが笑い話になる頃には話してみても良いかもしれない。そう、十年とか二十年とか経ったら。その頃には炉吏子は王妃か王太子妃になっているかもしれない。たった一人この国で唯一無二にされる、その立場にいるかも知れない。

 それは炉吏子を助けるだろう。手に職付けて代えの効かない何かになろうとしていた炉吏子を、満足させるには丁度良い。俺は父上の子供だけど、婚約者が出来たら浮気はしないつもりだ。ラブレターもいつも通りゴミ箱にザァ、だろう。炉吏子の方がもてそうなぐらいだが、炉吏子だってこの微妙な事情を話せる相手でなくては完全に気を許すことは出来まい。結論、俺たち以外に親しい友人は中々生まれないだろう。


 性格の悪い考えだ。九歳のうちからもう好きになった相手を囲ってしまおうと思っているのだ、俺は。そこは父上と血が争えないのかもしれない。母上にラブレターが来ると父上が相手をしに行っていた、とは、こっそり母上が教えてくれたことだ。少女のようにはにかみながら、だから捨てられないのよあの人、と言った母上。俺も捨てられないようにしないと。もっとも炉吏子は俺の告白に返事をくれていないが、話題に出したと言う事はそれでもう答えになっているのかもしれない。

 しかしプリンツェーサ――姫――か。俺のそれになってくれれば良いのだが、と炉吏子を見ると、目が合った。杏色の目。くるくる巻き毛。ちょっと恥ずかし気に視線を逸らされて、無駄に俺も照れ臭くなる。そんな俺達の様子に二人も気付いて。あらあらまあまあと訳知り顔をされた。まだキスしかしてない。一般的でないかもしれないけれど、キスはキスだ。

 炉吏子の友人が、にっこりと笑って、炉吏子の巻き毛を撫でる。編み込んだそれはどんな感触なんだろうと不意に手が出そうになったのを、断ち切るようにさあヴォロージャ君、と俺を呼ぶ。いつの間にか俺を殿下と呼ばなくなった彼女。距離が近付いていた、彼女。彼女は炉吏子の良い友人になってくれるだろう。否、もう良い友人だろう。俺達は、友人だ。ナイトと王子と姫君。丁度良い、按配だろう。

「今日の復習と予習と宿題を片付けたいから、炉吏子もさっさと着替えて図書室に来てね? 私達も制服脱がなきゃ。それとヴォロージャ君」

「えぁ?」

「炉吏子の事は泣かせないでね?」

 まだ赤い目に気付かれていたらしい。うー、と返事にならないような返事をしながら、俺は両手を上げて降参ポーズをした。よし、と言って出て行く友人たち。俺も炉吏子の着替えの邪魔にならない様に出て行く。入れ違いにメイド達が入って来た。その腕にはドレス。一日に何回でも着飾らせたい、王妃様のとっておきのお気に入り。


 お気に入りのおもちゃ、みたいだけど、母上は人権は尊重してくれるだろう。ツォベール伯のようなことはしない。伯妃のようなこともしない。ただ受け入れてくれる。赤いドレスに埋もれるのをチラ見してから部屋を出て、俺も自室に教科書とノートを取りに行く。今夜はまた四人部屋に戻るつもりだ。そしてあと五日間を楽しく過ごす。

 友人たちに囲まれて、なるべく楽しく、そうすれば炉吏子も心が解れるだろう。その隙を狙って行くのも良い。ブライドなんてぐにゃぐにゃに溶かしてやる。それでも崩れないものは、炉吏子の芯だろう。それが丸裸になるまで、甘やかしてしまおう。


 図書室に向かうと、丁度全員ドアの前に揃ったところだった。

 もじもじしている炉吏子がぴゃっと友人の背中に隠れる。あらあら、とわざとらしく言ってから、彼女はにこにこ笑っていた。隣で俺の友人も笑っている。仕方ないな、と言いたげに。まさか炉吏子が何か話したと言う事はあるまい。ならば、友人から始めた関係は、ここに来て一転したと見て良いだろう。一変したと見て良いだろう。それで良い。それが良い。

 俺はお前を愛しているよ、炉吏子。


「で、今日はここまでは出たわ、炉吏子。次の問題からが文章題でややっこしいのよねえ」

「あーここに気を付ければなんとかなるで」

「炉吏子ちゃんここってどうなる?」

「それは繰り上げが出来てへん」

「炉吏子、俺にも構え」

「モラハラ発言しなや。うちは今忙しいんや」

「未来の旦那様に随分な言いようだな」

「勝手に決めんなや! うちかて覚悟の時間が欲しい!」

「そーよぉヴォロージャ君。あんまり急ぎ過ぎても女の子って逃げるんだから、紳士的にしていなくっちゃ。とりあえず彼女は今私たちの先生なんだから、勝手に予習でも復習でもしていて下さいな」

「段々口悪くなって来たよなお前」

「隠し事しても仕方ない面子になりましたもの。ねぇ炉吏子」

「せやな、あははっ」

 笑う炉吏子がいるならそれで良いか。

 思いながら俺達は各々教科書に向かう。

 こんな暮らしがずっと続いたら良いな、と思った。


「――以上により、ローリィ・ド・ツォベール辺境伯令嬢が我が婚約者であることをここに明示する。これまでのような嫌がらせや手紙の類は検閲が入ることを、覚悟するように」


 ざわざわと揺れる講堂内。中等部の入学式でそう宣言するのは、未来の事だ。それまではまだ、炉吏子に時間をやろう。ツォベール伯家では長男がすくすく育っているらしいので、問題もあるまい。炉吏子の夜間徘徊は無くなり、父上たちの寝床も戻り、俺達は相変わらず合宿もする。

 そんな日々の積み重ねの中で、炉吏子がもじもじとらしくなく口を動かしながら、『うちも好き』と相変わらずの異国訛りで言ってくれるのは、もうちょっと先での事なのだ。そして辺境伯家に地味に嫌な仕事を振り続ける父上の助けで、俺達は結婚する。いつか。きっと。そうなるに、決まっている。

 ナイトにはなれないが、いつかキングとクィーンになれるように、王子のうちに精々盤上を掻き乱しておくのだ。

 片付けるのは自分の仕事だが、構わない。

 そんな苦労なら、厭わずにしよう。

 だから、愛しているよ。炉吏子。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異国訛りの令嬢と王子の恋愛は難しすぎる ぜろ @illness24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ