我々について
「乳首隠さないと親の死に目に会えないんだっけ?」と、そうぽつりと言ったのは志々見で、しかも冗談で言っているわけではなさそうだった。
その証拠に志々見の崩れたアイメイクはほとんど第四
学生の時分はここまで酷くなかったのだけれど、と思いながら「親指だろ」と私は答える。なにかウィットに富んだ返しをして、ひと笑いいただきたい気持ちも無くはなかったが、流石に友人の葬式、自重する程度の自制心はあったし、志々見と違って私は素面だった。
「親指かあ〜」という志々見の言葉は、発車する霊柩車のクラクションに半分かき消されて聞こえた。
火葬場に向かう霊柩車を見送った後、どこか遠くを見つめながら、佐藤が言った。
「二人とも、これからどうします?」
どうとは? と聞く前に、佐藤は続ける。
「もし良かったら、収骨に参加させてもらいませんか? ご遺族からは了承いただいてますし」
佐藤は私と和田島と志々見の一年後輩にあたり、でも多分我々の中では一番に社会適応性が高かった。旧友の死に際して呪いの弔文を書いたり、葬式の二時間前までゲロ吐くまで飲み散らかしたりは決してしない人間で、身だしなみもきちんとした人間っぽい。だから和田島の遺族も佐藤を信用したに違いなくて、収骨の申し出をしたのが志々見や私だったなら、きっと門前払いを食らっていただろうと思う。
佐藤の提案に、志々見は「フムン」と鼻を鳴らし、少しの間考えるそぶりを見せ、それからまた「フムン」と言った。実際にそのことについて検討したのかは不明だった。「フムン」と「フムン」の間の数秒、佐藤の問いかけは、スポンジ状になった灰色の脳細胞だったものに、すっかり吸収されてしまったのかもしれない。
私はかぶりを振って答える。
「ねえ、私たちは行くべきじゃないと思うよ。それはきっと、家族の最後の時間だから」
佐藤は俯き、左手で墨色のスカートの裾を払う。抹香のかけらでも付いていたのだろう。それから顔を上げ、私たちふたりに向き直った。
「いいんですか? あの女がちゃんと死んだかどうか確認しなくて」
表情は無かった。彼女とも長い付き合いなので、悪気がないのはわかっていたけれど、物言いに少しぎょっとする。可哀想なことに佐藤は生まれつき、どこか人間としての大事な部品が欠落しているのだ。社会適応性が高いというのは単純に人間のふりをするのが上手いという意味でしかなく、つまり本質的に人の心がないということ。趣味は小動物をいじめ殺すことで、小動物というくくりには〝文芸部の先輩〟も含まれていた。でも別に、それは彼女に人間としての感情がないことを意味するわけではなくて、だって彼女だって泣いていた。涙を拭いに拭ったせいで崩れたメイクが横に伸び、それはそれで第六
「嫌いだったんでしょ、和田島さんが」と、佐藤。無表情のまま私の目をじっと見つめる。
言葉に詰まった。確かに私は和田島を憎んでいたが、死ねとまでは思っていない。いや百回以上思ったが、それはどちらかというと「三日三晩推敲を重ねた超傑作を顔面にぶつけて殺す」だとか、「最高の長編が書けたのでこいつで心を折り息の根を止める」だとか、「私の卓越した文才で部員全部皆殺しにする」とかの、どちらかと言えば若々しく溌剌としたキラキラ方面での「死ね」であって、実際に心臓を止めて棺桶に入れて干からびた骨になるまで焼くことを想像していたわけでは断じてない。
何を考えているのか全くわからない無表情のまま、グリムジョーは続けた。
「なんか逢坂さん、この期に及んで『もしかしたら和田島さんは何かの手違いで実は死んでなくて、またひょっこり現れて、相変わらずすごい小説を書いて私を打ちのめしてくれるかも』みたいなことを考えてません? だから見たくないんですよね? 確定しちゃいますから。焼却炉で焼かれた和田島さんが骨壷に収まるところを見」
「思ってないよ」
思っていた。どうかどうか、和田島さんの死が何かの手違いで、今この瞬間、奇跡のように生き返って、棺桶を蹴破り、死に装束のまま、馬鹿みたいな乳をバルンバルン揺らし、私たちのもとに帰ってきてくれますように。でも同時に、その願いが叶うわけがないことを、私は知っていた。だってもう、我々はいい大人になっていた。アルコール中毒者だろうが、サイコパスだろうが、逆恨みの粘着アンチだろうが、それでももう、我々はどうしようもなく大人になっていたのだ。そんな願望とすら言えない子どもじみた祈りに、どうしたって縋れるわけがないじゃないか。
「思ってないよ」と、私は再度答える。佐藤は左右対称の無表情のまま、ため息をつく。それが「ダメだこいつ」のため息だということは、長い付き合いのなかで知っていた。
「てか逢坂、『俺自身が和田島になることだ』とか思って地の文で無理してそう」と、脳みそが奈良漬けになった女が茶々を入れ、それからサイコパス女が畳み掛ける。
「いや本当、そこまで行くと気持ち悪いし死ぬほど面倒くさいし迷惑ですよ普通に。『クソデカ感情』とか雑な言葉で括っとけば許されるとか思ってませんか? いい加減大人になってくださいよ」
「思ってない」
「思ってる」
「思ってる」
見事に揃った二人分の否定と、二人分の「ダメだこいつ」のため息。どうしてこんな糞袋の出来損ないどもにここまで言われなければならないのか。なんなのだろう。私が悪いのだろうか? いや、悪いのは世界だ。
世界を呪い地の文で無理をする私をよそに、佐藤は無慈悲に言った。
「死にましたよ和田島さんは」
無慈悲に、でも諭すように。佐藤自身に言い含めて聞かせるように。
「知ってるよ」と、私は答える。
認めたくなかった。認めたくなかった。認めたくなかった。私は和田島さんの死をどうしたって認めたくなかった。別に彼女と仲直りをしたいわけじゃなかった。私はただ、和田島さんがいつだってこの世界のどこかにいて、困ったような下手くそな笑顔を浮かべ、この世界の中のどこか暖かで快適な場所で、好きなだけ物語を紡いでいてほしい。私はそれをただ感じているだけでいい。ただそれだけなのだ。どうしてたったそれだけの願いが聞き入れられないのだ。でもどうやら、その点については佐藤も同意見のようだった。佐藤は言った。震える声で。
「私たちは、みんな未だにそう思いたくないみたいだから――見に行きましょうよ。和田島さんがちゃんと死んでるところを。ねえ、ちゃんと、お別れしなきゃ」
ひねり出すような佐藤の言葉に、私は答えることができなかった。しかめ面で歯を食いしばっていないと、ウルキオラとグリムジョーにつられて、私まで
短い沈黙が訪れ、通り過ぎていった。その後に、「なんかさあ」と志々見が口を開いた。
「遺骨拾ってるときって地味にテンション上がんね?」
完全な不規則言動だった。重ねて言うけれど、志々見の大脳真皮質だったものは、もはや酒とLSDのお漬物なのだ。
「やっぱ行こうぜ。だってさあ、友達の中身って見ることあんまないじゃん」
けれど不規則言動でしかないそれが彼女の本心でもあるということが、どうしてだか理解できる。
「骨拾ってさあ、ファミレス行って飯食って、それからどっか飲みに行こうぜ」
私と佐藤は顔を見合わせ、どうすべきか悩んだ後、力無く笑い合った。だってそうするしかなかった。こわばった肩から力が抜け、それと一緒に涙まで出てくる。だってもう、本当にそうするしかなかったのだ。涙腺が決壊した後はもう私にはどうしようもなくて、後から後からとんでもない量の涙が溢れてくる。堰を切った濁流に流されるまま、私は高校生の女の子のように、わんわん泣くことしかできなかった。
もう、観念しようと思った。降参しよう。見に行ってやろうじゃないか。大嫌いな和田島イサキが、炎に焼き尽くされ、乾燥した骨灰になるところを。彼女の身体に、彼女のあの無駄に大きな胸に、いったい何が詰まっていたのかを。
〈弔辞・了〉
弔辞 逢坂 新 @aisk
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