Episode④

 楯河区内で謎の感染症が蔓延しているかもしれないと情報が入ったのは、十数時間前のこと。

 秀一のもとに、楯河総合病院から三人分の検体が送られてきた。

「“当院で同一病原体が原因と見られる感染症発症患者が受診されました。三名分の検体が採取できましたので、そちらへ送らせていただきます。”か……」

 彼は送られてきた文書に目を通す。

「先生、こっちは準備できました」

 秀一の助手である、岬が彼に声を掛けた。

「分かった。ありがとう」


 *


「おかしいな……」

「何がです?」

「これ……どこかで見たことない?まったく同じものは記憶にないけど、何かに似てるような……」

 秀一は画面を指さす。

「見たことって言われても……あるような、ないような?」

 画面に映し出されるのは、教科書や病原体学の本でしか見ないようなものだった。

「これ、うちに保管してあるのと一致するか検索掛けてみようか」

 彼は“病原体登録”したあと、検索を掛けた。

「時間かかりそうな予感……そういえば、隣町の例の検体って送ってもらえた?」

「それが……」

「断られたか」

「はい……ただの発熱だし、流行期の感染症とみて大丈夫だからと断られて……」

「まあ、そういう人も中にはいるだろうね。でも、僕としては送ってきてほしいけどな~。まあ、僕から……」

 彼が話していると、研究室のインターホンが鳴り、ガラス扉を勢いよく叩く音が響いた。

「どうかされました!?」

 肩で息をしながら走ってきたのは研究所の所長、内藤ないとうだった。

「う、浦浜くん……!たい、大変だ!大変なことが起きた!お、落ち着いて聞いてくれ!」

 何かを察した秀一は、内藤を研究室内へと入れる。

「所長こそ、落ち着いて話してください」

 ペットボトルのお茶を手渡し、向かい合って座る。

 喉を潤し、内藤は深呼吸した。そして、重い口を開いた。

「浦浜くん、楯河総合病院から検体を受け取ったよね。結果は……?」

「どこかで見たような病原体で、うちに保管してあるサンプルと一致するか登録して検索かけてます。まだヒットしてませんが」

「結果が出たら、真っ先に私に報告してほしい。外部に出る前に、必ず私に先に報告だ。いいね?」

「それは、そのつもりしてますが……もしかして“ヤバいこと”っていうのが起きたりしてます……?」

 彼はそう言う。

 秀一の隣に立つ岬は彼と内藤を交互に見ていた。

「浦浜君、先週中頃だったかな。北河区で突然の高熱が始まりとする感染症らしきものが出たのは……」

「ええ。そうですが、検体なら断られてますよ」

「検体なら病院の許可がなくても、強制的に提出させられるかもしれない」

「北河区と楯河区、同一の病原体が原因で……ってことですね?」

「さすが、察しがいいね。君ならこれをどう見る?」

「……新たな病原体による感染症、流行性感染症、あとは……バイオテロ、ですかね」

 秀一は言った。

「バイオテロ!?」

「あくまで僕の考えさ。でも、そう考えているのは僕だけじゃなさそうだけど」

 彼らの目の前に座る内藤は、静かに深くうなずいた。

「まさか本当に……?」

「よくある感染症なら、病原体登録したあと、すぐにヒットする。でも、さっき登録したものはなかなかヒットしないでしょ?だとすれば、よく出回るような病原体ではないってことだよ」

 秀一がそう説明すると、岬はうつむく。

「もしそうだとしたら……どうすれば……」

「どうもしない。僕たちが出来ることをするだけだから」

「でも……もし本当にバイオテロだとしたら……これからどうなるんですか」

「謎の病原体による感染症患者は、もっと増えていく。感染経路にもよるだろうけど、飛沫や空気感染なら最悪だ。感染者数は鼠算式に増えて、初動が遅れればそれこそ、バイオテロによるパンデミックだ」



【駅にいる感染者を隔離して。なるべく人を近づけないで。翔も離れて】

 秀一は翔にそう送った。

 何か嫌な予感がする。ここにあってはいけないものが、存在しているかもしれない。なぜかそう思った。研究者としての勘なのか、それとも本能的な物なのか……。自分がそう感じるときはいつも大抵は当たってる。昔もそうだった。嫌な記憶が蘇りそうになり、軽く頭痛を覚えた。

「先生?どうかしました?」

 岬に声を掛けられ、ふと我に返る。

「いや、大丈夫。なんでもないよ。それより、結果って……」

「まだ出てません。これだけ時間が経ってるのに何もヒットしないなんて、もしかして人工的に作られた病原体だったりします……?」

「どんな可能性も否定はできないけど、本当にそうだったら嫌だな~」

 軽く言ってみたものの、彼も薄々そんな気がしていた。

 手元の資料を手に取ろうと伸ばしたとき、内線が鳴り響く。

「もしもし」

『私だ。浦浜くん……死者が出た。担当できるか?』

「もちろんです」

 受話器を置き、深いため息をつく。

「表情から最悪なことが起きてるって読み取れてるんですが……」

 岬はやや顔を覗き込みながら言った。彼は軽く口角を引き上げ、悲し気な表情でうつむいた。

「出たんだよ……死者が。北河区で……。例の検体を送ってこなかった病院だそうだ。今からこっちに遺体が搬送されてくる。僕が担当することになったけど、岬さんは離れてて。向こうの病理解剖医も来るそうだから、何とかなる。未知な病原体だ。近づかない方が……」

「何言ってんですか!私は先生の助手ですよ?法医だって学べる機会なんですから。記録係くらいは私にだってできます」

 断固として譲らない彼女を、秀一は半ば諦めた顔で見る。

「そんな顔しても、私は離れませんからね」



「どうすれば……」

 楯河駅のホームで、翔は頭を抱えていた。

 目の前のテントに横になる発症者たち。自分は成す術もなく、ただ見守ることしかできない。それどころか彼が最初に対応した男性、坂田の容体は悪化していくばかりだった。

「坂田さん、聞こえますか?」

 彼の肩を刺激しては声を掛ける。脈と呼吸の確認をしては記録をつけておく。

「うぅ……あぁ……」

 時折うめき声を上げながら、坂田は顔を動かした。突然座ったかと思えば、再び倒れるように横になる。これが何度も続いた。高熱で辛いのだろうか、体に痛みがあるのだろうか、それともせん妄状態なのか……。

 この症状は坂田だけではなかった。残りの六人の発症者もまた、程度は異なると言え同じ症状を呈していた。

「一体何が原因でこうなってるんだ……」

 

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