Episode②
「母さん、父さんの墓参りはまた今度にしよう。今は、母さんだけでもここから離れるんだ。いいね?」
翔は少し離れたところから、薫に電話をかけていた。
『電話じゃよく聞こえないから……今そっちに……』
近づいてくる母を、彼は制止した。
「こっちに近づかないで。もしかしたら何かの感染症かもしれない。幸い母さんは倒れた人たちと接触してない。今なら自宅に戻れるはずだ。よく聞いて……。このホームで確認できてるだけでも三人倒れてる。救急隊が到着する気配もない。色々なところで人が倒れて手一杯らしいんだ。もし……駅が封鎖されたら、家には帰れない。もしかしたら楯河区内が封鎖されることもある。だったら、今すぐ家に帰るべきだ。ハンカチ持ってるよね?ハンカチで口と鼻を覆って、今すぐ家に帰って。頼むから……」
数メートル先にいるのに電話で伝えてくる息子。
薫は近づきたい気持ちを抑え、返事をした。
『……分かった。家に帰って、待ってるから。翔、あなたも気を付けて……周りの人を助けるのはいいけど、あなたも無事でいてくれないと……』
「大丈夫。俺は刑事だし、父さんと母さんの息子だよ。大丈夫だから、母さんこそ無事に家に帰って。できるだけ人混みは避けてね」
翔は遠ざかる母親の背を見つめていた。
「母さん、無事に着いてよ……」
*
事態発生から一時間が経過した。
ホームに立つ人は少なく、ほとんどの人が座り込んでいる。
【家に着いたよ。帰るときに非常食になりそうなもの買っておいた。人混みは避けてるし、何の症状もないから安心してね。もちろん手を洗ったしうがいもした。服も着替えてるから。翔は大丈夫?】
母からの連絡がやっと来た。
「母さん……買い物してるならそう連絡してよ……」
翔は母に返事する。
最初に倒れた男性、坂田から少し離れたところで彼の様子を見守っていた翔。
ふと彼の異変に気付いた。腕がほんの少し動いたのだ。
慌てて駆け寄り、彼に触れた。
「坂田さん?聞こえますか?声聞こえてたら手を握ってください!」
だが、反応がないだけでなく坂田の身体が急激に冷え始めていた。
「……呼吸はある。脈も問題ない……なんで……」
そして、坂田の身体は大きく跳ね上がり、がたがたと震え始める。
「痙攣!?」
翔はすぐ対応した。
衣服を緩め、窒息しないよう回復体位を取らせ、気道を確保する。
痙攣が収まるまで、様子を見ながら対応を続ける。幸いなことに痙攣は五分ほどで落ち着いた。坂田の身体が少しずつほぐれていく。
「坂田さん、聞こえます?」
けれど反応はなかった。
「刑事さんっ!!」
「どうかされました!?」
「この人も痙攣してます!どうすれば……」
「大丈夫、対応します。離れたところで構わないので、この男性のことを見ていてもらえますか?」
どうなってる……全員が同じ症状を表して、痙攣まで……。一体なんの病気なんだ……本当に感染症なのか?
そんなことばかりが頭によぎる。
そして、環状線ホームはたちまち恐怖の場所へと変わった―――。
事の発生から、すでに五時間が経過している。
環状線楯河駅は封鎖された。
駅に留まる人々はすでに誰一人としてホームには立っていなかった。それどころか、寝転がる男性も。何の情報もないまま駅は封鎖され、突如として隔離されたことに不安と焦りを感じている。
「刑事さん……一体どうなってるんですか……?」
「申し訳ない、俺にも分からないんです」
「そんな……」
翔にも何が起きているのか分からず、庵野たちに連絡を取っても、前線で動いているはずの彼らでさえ、情報を手にしていなかった。
「秀一から連絡もないしな……」
携帯を何度も確認する。だが、秀一から連絡はなく、今起きていることがニュースにすらなっていなかった。書いているのは“環状線楯河駅封鎖 原因不明”の文字だけ。
「せめて情報が……」
頭を抱えたその時、携帯が音を立てた。
【駅にいる感染者を隔離して。なるべく人を近づけないで。翔も離れて】
秀一からだった。彼が用件のみの連絡をするときは、切羽詰まっているときの表れだ。そんなに危ないのか……?
「隔離って言われてもな……」
翔は周りを見回す。楯河駅は一面二線。ホームにいる全乗客数はざっと見積もっても一二〇人はいる。これをどうやって……。
考えろ……何か方法はあるはずなんだ……。
携帯を握りしめ、翔は目を閉じて考える。
“暇がある時は色々な情報をインプットしなさい。きっといつか役に立つから”
“色々な情報って?”
“例えば、この間遊びに行った歴史博物館。展示物の一つに昔の楯河駅がジオラマ展示されていたのは覚えてるね?説明書きにはなんて書いてあった?”
”急に言われても……”
“ゆっくりでいいから思い出してごらん。あれだけじっくり見ていたんだ。覚えているはずだよ”
“大正時代にできた楯河駅、今は楯河区の環状線主要駅として多くの乗客に利用されている。当時は多くても一日に五〇人ほどしか利用しておらず、スペイン風邪が流行した時には一時的な隔離施設としても利用された歴史が……”
「何で今、こんな記憶が……待てよ……隔離施設……当時の楯河駅……もしかしたら!」
翔は何かに気付き、すぐ行動に移した。
「橋田さんでしたよね?」
翔は年配の駅員に声を掛けた。
「そうですが……」
「大正七年頃の駅の詳細図って残ってますか?」
「大正七年ですか?……見たことはないですが、もしかしたら駅の保管庫に残ってるかもしれません」
「よかった。それを見せてほしいんです。構いませんか?」
翔は橋田に有無を言わせないよう頼む。一瞬、首を傾げた彼だが、翔の意志は強く橋田は折れた。
「分かりました。見せるのは構いませんが……それをどうするんですか?」
「大正七年頃、スペイン風邪が流行した時に一時的にこの駅を隔離施設として利用していたのを思い出したんです。ですから、もしかしたら今のこの状況を何とかできるんじゃないかと……」
「そういうことですか!だったらもっと早くにそうと言ってくださいよ!この状況を何とかできるなら、何でもお見せしますから!」
彼はそう言うと足早に駆けていった。
「……逆にすみませんって気持ちになるんだけど……」
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