幕間
壊れた日常
何もない、平穏な日常なんてあっという間に壊れる。
刑事である父をずっと見てきた俺だから分かる。
「せめて手掛かりがあれば……」
一人頭を抱えながらそう呟く父。
「どうかしたの?」
俺がそう尋ねても、「事件のことだから話せないんだ」と何も話さなかった父。今から思えば、それが当たり前のことで、警察官として守秘義務は死守すべきこと。
けれど、この時の俺はまだ十歳。そんなことなど分からず「お父さんは僕とは話してくれないよね」と冷たい言葉を掛けてしまっていた。
そう放った言葉に、父は悲し気な表情をしていた。それが頭から離れない。今なら分かってやれる。今なら、何か力になれることがあるかもしれないのに、それはもう叶わない。
『生嶋博信さんのご家族で間違いないですか……?』
高校卒業を控えた十八歳の冬、警視庁から自宅へ一本の連絡が来た。
「そうですが……」
母が対応していたのをよく覚えている。
そして、その言葉の次に母は声を上げて泣いたことも……。
「母さん!何、どうした!?電話の相手は?誰だったんだ?」
俺がそう聞いても、母は俺にしがみついて泣いているだけ。ここで嫌な予感がした。母が泣くなんて、きっと父に何かあったに違いない。
「もしもし、母は電話に出られないので俺が……」
『私、警視庁捜査一課の
正直言うと、それ以降のことはあまり良く覚えていない。
ただ、母を守る人はもういないと、強く感じた事だけは覚えている。
病院に着いてからも、母のそばを離れられなかった。離れたら、母がいなくなりそうな気がして……。
霊安室で父の姿を見た母は、泣く気力もなく、ただ茫然と父を見つめていた。
「ねえ……起きてよ……」
父の胸に手を乗せ、体を揺する。
「母さん、父さんは……やっと眠れたみたいだよ……。事件の捜査で家に帰ってきても全然寝てなかっただろ……。やっと眠れたんだ。寝かせてあげよう……」
そう伝えるのが精いっぱいだった。
本当なら俺だって泣きたかった。泣いて、悲しんで、気持ちの整理を……。でも、母を守る俺は、泣いてられない。
「母さん、父さんに何があったのか俺が話を聞いてくるから、この刑事さんと待ってて」
俺は部屋の隅に立つ女性刑事に母を任せ、父に何があったのか、話を聞きに行った。
「どういうことですか……?」
話を聞いていた俺の第一声はそれだった。
「我々としても、なぜ生嶋警部が亡くなったのか……まだ分からないんです。分かっているのは、犯人ともみ合っていたことしか……申し訳ありません」
そう説明された。
意味が分からない。なんで父さんが死ななきゃならなかったのか、理由も原因も何も分からないなんて、意味が……。
「父の体に傷はなかったんですか?」
「もみ合った際に付いたであろう傷はいくつかありました。ですが、
「じゃあ、殴られた後とかそういうのは?」
「殴打痕はありました。ですがそれも、致命傷ではないと検視官が……。我々も本当に謎なんです」
目の前の刑事はそう言う。
「何で分からないんです……?あなたたちはそこにいたんじゃないんですか!?」
声を荒げる俺を、一人の警察官が抑える。
「今、生嶋警部のバディである吉野警部補がこちらに向かっています。だから、もう少しお待ちいただけませんか?」
彼が言った。だが俺は、一刻も早く詳細を知りたかった。
しばらく待っていると、一人の刑事が部屋に入ってきた。体格は父さんと同じくらいだろうか。顔は違えど、父さんが入ってきたのかと錯覚に陥る。きっと混乱しているせいだろう。正常な判断を脳が下していないだけだ。俺は頭を軽く振った。
「お待たせして申し訳ないです……。生嶋警部のご子息ですよね……この度は……」
「そんな挨拶はいらないんで、何があったのか説明してください」
俺はそう言った。
「十一月末に発生した殺人事件、ご存じでしょうか?」
「確か……遺体遺棄の……」
「それです。その事件を担当していたのが、私を含めた生嶋警部の捜査班でした。全くと言っていいほど、犯人に繋がる手掛かりはなく、遺体の身元も判別するまでに時間がかかっていました。何も見つけられない私たちを、生嶋さんは責めたりせずに……自分も見つけられてないから気にするなって。時間ばかり過ぎて焦りが出て……。そんな時に初めて、犯人に繋がる証拠を見つけた。偶然かもしれないし、意図的かもしれない。間違っていたら……って悩む私たちに言ってくれたんです。“どちらにせよ、初めての証拠だ。賭けてみる価値はある。何かあったら自分が責任を取る”って。その言葉で、私たちは……賭けてみることにしたんです」
彼はそう説明した。俺の知らないところで父はこんなにも信頼厚く……。
「でも、結果としてこうなってしまった……」
「その、犯人に父が殺されたってことは?」
「確かに犯人は刃物を手にしていました。ですが、揉み合っただけなんです。刺されたり、出血していたなんてことはなく……だから、生嶋さんの死因は本当に謎で……」
「解剖はしないんですか?」
「ご家族がそれを望むのなら可能です。もちろん、法医解剖を……あ、法医解剖というのは……」
「正常解剖、病理解剖、法医解剖の三つに分かれ、さらに法医解剖は法律上の分類として司法解剖と行政解剖に分かれている。父の場合は直接的な死因が判明しないが、犯人と揉み合った際に起きた事件として扱われ、かつ死因の究明が必要とのことから司法解剖になる……ということですよね?」
吉野さんは驚いた顔をしていた。それもそうだろう。ただの高校生がなぜそこまで知っているんだって話だ。そりゃ……俺だってこう言うのに興味はある。父の影響もあるし……。
「話が速いですね。その通りです」
「だったらしてください。きちんと死因が分かれば……何があったのかが分かれば、母だって……心の整理がつきやすいでしょうから」
そうは言ったものの……父の体を開かれるのか……。想像もつかないな。
司法解剖した結果、父の死因は不明。
解剖したのになんでだと俺はキレた。解剖しても必ず分かるというわけではない。そう説明は受けた。だが、病死でもなければ事故死でもない。だったら殺人のほかにあるのか?……いや、ない。このほかにできることはないのか……。
俺は決めた。
俺が警察官になって、父の死の真相を暴く。必ず、何があったのか突き止める。
そう誓った―――。
*
「……ふっ……いつの日の夢を見てるんだよ俺は……」
眠い目をこすり、時計を見る。時刻は午前三時を指していた。
「真夜中じゃねーかよ……」
再び眠りにつこうにも、目が冴えてしまって眠れない。
仕方なく起きることにした翔は携帯を手にする。なにやら点滅しているのに目が留まり、携帯を開いた。
【起きてたら飲みにおいでよ】
差出人は秀一だった。
受信時間は午前二時ちょうど。さすがに一時間も前なら寝てるだろうと、返信しなかった。
【起きた?】
軽快な音ともに、メッセージが送られてきた。
「何で起きてるんだよ」
そう言ったものの、返信はきちんとする翔。
【起きた。どうかしたのか?】
【起きたんならおいでよ。住所送るから、一緒に飲もう】
宣言通り住所が送られてきた。
この時間から飲むのか?と不思議に思いながらも、行くと返事をしてしまった彼。身なりを軽く整え、送られてきた住所へと歩いた。
「意外に近いんだな」
翔が住むのは警視庁の独身寮。広くもなく狭くもなくと言った、何とも言い難い部屋。警察資料や捜査に関するものを置けば、たちまち眠るところなどない。ロフト付きなのがせめてもの救いだった。
だが、そんな彼とは違う世界で生活する秀一。
国立の研究機関に所属し、主任研究員をしつつ警察機関へ協力している彼には立派な“社宅”が当てられていた。
「ここがあいつの家なのか……?」
エントランスはまるでビジネスホテル。エレベーターに乗り込もうと扉に手を近づけるが、自動ドアは開かない。
周りを見る翔。
「オートロックか」
メールを開き、部屋番号を確認する。ボタンを押すと秀一の声が聞こえてきた。
『はーい』
「俺だよ。開けてくれ」
『ちょっと待ってねー』
その直後、ロックが解除される音がした。彼は中に入ると、エレベーターに乗り込み三階を押す。
エレベーターの扉が開くと、秀一が立っている。
「待ってたよ」
「何でこんな時間に呼んでんだよ」
「でも来てるでしょ?」
二人は笑った。
「それにしてもここ、社宅だよな?」
「一応ね。どう?」
「セキュリティはしっかりしてるし、集合ポストはダイヤル式だから中身を触られることはなさそうだな。エレベーターに防犯カメラもついてるし、二十四時間の監視システムもある。見たところ、各居室の鍵はカード式だし……」
翔が説明していると、秀一は声を上げて笑った。
「刑事がそう言うんだから、この家はやっぱり安心なんだな」
彼は翔を部屋へ招き入れると、スリッパを置いてやった。
「広っ!……というか、相変わらずの本の量だな……」
「これでも整理したんだよ」
「整理してこれか。まあ、仕事柄……増えるか」
翔は部屋を見回す。
「ここ座って」
落ち着かない素振りの彼に、秀一は声を掛けた。
テレビは深夜バラエティーを放送し、ソファ―前のテーブルにはすでにおつまみやらビールやらが置かれていた。
「昼間はいきなり行って悪かったな」
「今日はまだ忙しくなかったから問題ないさ。それより、翔は大丈夫?昼間見たときより、だいぶ疲れてるけど……なんかあったでしょ?」
「……揉めた」
「同僚?上司?」
「……被害者と……いや、加害者か……どっちにしろ事件関係者とって感じ」
「関係者と揉めるって、何したらそんなことになるの」
「相手の一言で腹立って、抑えられなくなって……あと少しで殴るところだった」
翔は胸の内に溜めていたものを、彼に吐きだした。
時刻はすでに朝方を迎えようとしていた―――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます