Episode⑤
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
「おいっ!やめろって!」
待合室は騒然としていた。
「俺の息子はっ!ここの院長に殺されたんだよっ!」
男性がナイフを手にそう叫ぶ。
「院長出せよっ!おいっ!いるんだろ!?戸樫っ!」
ナイフを振り回す男性。
彼を抑えに行ったのは翔だった。
「大村さん!それ以上殺しちゃだめだ。殺しても……
「え……」
庵野らは互いに顔を見合わせている。
「お前……誰なんだよ!」
「この事件を捜査している、警視庁の生嶋です。大村さん、あなたはこの事件……誰かに止めてほしかったんじゃないですか?だから、こんな分かりやすい方法を取った。違いますか?」
男性は「何で俺が……名前……」と翔にナイフを突きつけた。
「被害者となった方の頭文字、漢字は異なりますが……一人目からつなげるとあなたの息子さんの名前になることに気付いたんです。だから俺は、過去の資料を探した。ですが、“大村瑛人”という名前の人物が亡くなっていると、確証はありませんでした。思い過ごしかもしれないと、そう思って。でも、葬儀社の中にその名前を見つけた。年齢はまだ十歳。死亡確認された病院は双葉総合病院。これらの情報から、我々は捜査を急ぎ、真相にたどり着いた。大村さん、あなたにきちんとお話したいと、当時の担当医が言っていましたよ。我々がこの耳で聞いて、嘘ではないことをこの目で見ました。だから、殺すのはやめませんか?」
翔はナイフを突きつけられながらも、そう諭す。
「話をして、息子が帰ってくるんですか?あの子を治すために……家を売って、お金を作った。でも病状が悪化して使う薬が増えて、お金は無くなる……。仕事を辞めるわけにはいかないから、銀行に融資を頼んだ。でも、言っていることとやったことが違っていた……融資が間に合わなくて、あの子に新しい薬を使ってやれなかった……。私のせいだと思ったのに、医療ミスかもしれないと看護師たちが話しているのを聞いて、担当医の戸樫に詰め寄った。でもあいつは、口を割らなかった。そばにいた看護師に聞いても、私は看護助手だからと何も教えてくれない……。あの子が亡くなった本当の理由が知りたくて、何度も何度も話をしに病院へ行った。でも……誰も何も話さなかったんだ……。あいつが口止めしてたんだよ!金で……口止めしてたんだ……。お金があれば……もっといい治療を受けさせられた。お金があれば……専門の病院へ移ることも出来たかもしれない……。どうして息子は……」
からんと音を立てて、ナイフが床に落ちた。
そのナイフを桜木が慌てて拾う。
「大村さん、あなたは我々に分かりやすいようにヒントを出していましたよね。殺害方法や、殺害の順番、時刻、傷の深さ、全てをぴったり同じに……。これ、全部息子さんに繋がるものだった。それを我々に示していたんですね……。気付いてくれる人が出てくるのを待ってた。我々がもう少し早く気付いていれば、あなたは三人も殺さずに済んだかもしれない。……申し訳ない……」
翔が謝る。
「刑事さん……私は殺そうと思って殺したんじゃないんです……話がしたかっただけなんですよ……。あの子がなぜ死んでしまったのか、それをちゃんと話したかった。でも、結果としては……私は殺人犯だ……」
大村は涙ながらに訴える。
「瑛人の死の真相が知りたかっただけなんです……」
そんな彼の肩を、桜木はそっと抱え立たせた。
「大村さん、署へ行きましょうか。お話はそこでお聞きしますから。いったん外に行きましょう」
桜木は翔に目配せすると、彼を外へと連れ出す。慌てて付いて行く鳴海、香田の二人。そんな彼らを見送った庵野は翔に近づいた。
「生嶋、私た……」
「あんたのせいで、罪を犯す必要のない人間が罪を犯した。それがどういうことか分かってんのかっ!」
人格が豹変したかのような翔。両腕は戸樫の胸倉を強く掴んでいた。
大村を外に連れて行った桜木は、翔の声で
「看護師さん、患者さんと職員をいったん外へ。慌てなくて結構ですから」
庵野はけが人を出すわけにはいかないと、院内にいた人間を外へと避難させる。
「え……あ、いや……」
「何とか言ったらどうなんだよっ!お前が!きちんと確認して、看護助手に薬のセットを任せたりしなければ、こんな事件は起きなかった!」
「で、でも……あれは機械が……」
「機械のせいにすればいいって思ってんのか?だったら本当に機械のせいなのか調べてみるか?ただし、お前の投薬ミスだと判明したら……その時はどうなるのか覚悟しておくんだな」
翔は怒りを必死に鎮め、戸樫の胸から手を放す。
「あとは警察署でお前の話を聞いてやるよ」
彼は戸樫の腕に手錠を掛けようと自分の腰に手を当てた。
「バレないと思ったのに……」
周りに聞こえるか否かの声量で、戸樫は言った。
その瞬間、自分の頭に血が上るのが分かった翔は抑えが利かなくなり、戸樫に殴りかかった―――。
「生嶋、殴るなっ!」
庵野が制止する。だが、翔の拳は戸樫の頬を捉えていた。当たる寸前で、彼の体は何者かによって止められた。
「離せっ!」
「落ち着け!そんな奴殴って懲戒処分にでもなったら、お前だってばかばかしいだろ。だから殴るな」
声の主は桜木だった。
「桜木さん……」
「腹立つのも分かる。でも、殴るなよ」
桜木は制止する腕を弱めた。肩で呼吸する翔の背を、優しくたたく。
「戸樫さん、あなたにも署へ来てもらいますね。詳しくお話を聞かせてください」
彼はうなだれる戸樫をパトカーへと連れていく。
庵野は立ち尽くす翔に声を掛けた。
「生嶋、戻るぞ」
「……はい」
*
本庁へと戻った一行。
香田と鳴海は翔の話をしていた。
「でも、だからって殴るかな?」
「まだ殴ってないと思いますけど……」
「でも!殴るスレスレだったじゃない?桜木さんが止めなかったら絶対殴ってたよ?」
「だとしても、ここで僕たちが話す必要はないと思うんですが……」
「でもさ~」
まだ話を続けたいと、香田の顔は物語っている。
「“でも、でも”ってお前は子どもか。そんな話より、調書まとめたのか?」
桜木はそう聞いた。「今やってますって!」と彼女は返事する。キーボードをたたく彼女の指は、いつもより遅い。それほどあいつがしたことを気にしてるのか……。桜木は「生嶋なら小部屋で庵野さんと話してるよ。そんなに気になるなら戻ってきたら聞けばいい」と彼女に言った。
小部屋———
翔は庵野に説教をされていた。
「いくら腹が立ったとはいえ、もし……君が手を出したら、それは自分の……しいては警察の威信にかかわってくる。上の人間たちは自分らのメンツを保つのに精いっぱいだから、どんな理由があったとしても私たちのことなど守ってはくれないぞ?」
彼はそう言った。だが、翔は口を開かない。
「生嶋、何か言うことはないのか?」
「……すみませんでした」
「そうじゃなくて、謝ること以外に私に話すことはないか?」
庵野は何かに気付いているのか、彼にそう尋ねる。
だが、翔は目を伏せたまま何も話さない。
「調書をまとめるのは私と他のメンバーでやっておくから、今日は帰りなさい。休むのも仕事だ。それに、配属されて間もないのに大変な事件を任せてしまったからね。疲れも溜まってるだろう。今日はゆっくり休んで、明日出勤できるならしてきなさい。ただし、休むも来るも必ず連絡はすること。いいね?連絡がないと私が心配になるんだから。約束だよ?」
庵野は有無を言わせない口調で、そう彼を気遣った。
席を立ち、とぼとぼと部屋を出ていく翔。
「……父親の事……かもな……」
庵野は彼が出て行った扉を見つめ、そう呟く。
*
「え~?生嶋さん、帰っちゃったんですか?なんであんなことしたのか聞きたかったのに」
「だから未遂ですって」
「どっちでもいいから、どうして殴ろうとしたのか聞きたかったんですって」
香田がそう言う。桜木はため息をついた。
「今はそっとしてやってくれ。彼は彼で何かあるんだよ。もっとも、何もない人間などいないだろうけど」
彼がそう口にすると、香田は何も言わなくなった。
「さあ、私たちは調書をまとめようか」
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