Episode③
翔は遺体が保管されている法医学教室に来ていた。
「先ほどお電話させていただきました、警視庁の生嶋です。法医の浦浜先生に連絡をお願いしてもよろしいでしょうか?」
彼がそう言うと、警備員は「少しお待ちください」と受話器を手に取った。
数分後、彼らは中へと案内される。
「ここが法医学教室……なんですか?なんか、テレビとかでみるような大学じゃないんですね」
香田がそう言うと、翔はため息交じりに答えた。
「君は、捜一に来て日が浅いんだっけ?」
「鳴海君よりは長いですけど、四か月くらいですね。ちゃんとした事件を担当させてもらえるのってこれが初めてなんですよ」
「じゃあ、警察や関連組織に関してはそんなに詳しくない?」
「だいたいは分かってますよ?警察学校でも教えられるし、自分でも学ぼうとしますし……それがどうしたんですか?」
翔は答える。
「この建物が何か分かる?」
「……法医学教室……ですよね?」
「そうだけど、そうじゃない。ここは、国の研究機関なんだ。建物は地下が一階、地上が八階の全部で九階。屋上にはヘリポートが設置されてる。各階で部門が分かれて、情報は全てコンピューター管理。法医分野に関しては、遺留品や被害者の組織などがあるから別管理。入退室は個人に配布されてる専用のカードキーがないと無理。そして、警察組織とも提携している……それが、この研究機関“National Institute of Forensic Sciences”国立法科学研究所、頭文字を取って“
そう説明する翔を、香田はじっと見る。
「あの……なんでそんなに詳しいんですか……?」
「資料に書いてあるって。それに、常に新しい情報を頭に入れておかないと気が済まない性格なんだよ」
そう説明するが、香田はどこか腑に落ちないようで「でも、詳しすぎませんか……?」と譲らない。
「香田さんはさ、好きな物や好きなことだと覚えられたりしない?例えば、アニメや漫画とか。どう?」
「ええ、好きなアニメとかだと簡単に覚えられますけど……」
「それと同じですよ。俺にとって、自分の糧になると思ったものは覚えたくなるんです。じゃあ、説明はこの辺にして……行きましょうか」
エレベーターに乗り込み、地下一階へと降りる。
「ここって地下ですよね……」
「ニフスの法医学科は地下にあるんですよ。もし仮にウイルス漏れが起きたとしても、地下なら封じ込みやすいですからね」
「ウイルス漏れ……?」
香田は気が遠くなりそうだった。
翔は扉の前に立ち、インターホンを鳴らす。
『どちら様ですか?』
ガラス扉越しに女性が尋ねる。
「遅くなりました、先ほど連絡した生嶋です」
彼はそう言いながら警察手帳を見せる。それを見た女性は、二人を中へと招き入れた。
「浦浜先生の助手の岬
岬について行くと、広い部屋が見えた。
「中は広いんですね」
「入り口はあえて狭めているんですよ。出入り口は二つ。先ほどの場所と、奥に遺体搬入口が。各部屋は全て特殊な硬質ガラスシャッターで区切れますし、ここは最高な環境です」
彼女がそう説明する。
「浦浜先生、警察の方が来られましたよ」
岬が声を掛けると、資料の束を手に一人の男性が振り返った。
「アメリカ……人……?」
男性は天然であろう焦げ茶色の髪、長身、メガネをかけており、立ち振る舞いからイケメンなオーラを放っていた。そんな彼をじっと見る香田。
「かっこいい……」
「言っておきますが、先生は彼女はお作りにならないそうですよ」
岬は彼女に耳打ちした。
「え、何でですか……!?」
「理由は知りません。ですが、僕は恋人は作らないんだって断られましたから」
女性二人は初対面ながらも意気投合したのか、ずっと話している。
「香田、事件の捜査に来たんじゃないのか?」
翔が声を掛けると「そ、そうでした」とすぐ隣に立つ。
「Can I help you, sir?(何か御用で?)」
「I came here because I have something to do.(用があるから来たんだ)」
二人は突然、英語を話す。まるで、初対面ではないように……。
「相変わらずだな、秀一……」
「翔こそ、変わってない」
二人は抱き合い、再会を喜んでいる。香田と岬はそんな二人にあっけにとられていた。
「先生、その方とお知り合いなんですか?」
「うん。彼は僕の友人……親友ってやつかな」
「相変わらず恥ずかしいこともさらっと口にするよなお前は。それより、電話で伝えてたことはいけそう?」
「当たり前。俺を誰だと思ってるのさ。遺族から許可はもらってるから、僕の立会いの下なら見ていいよ」
「助かる。着替えは?」
「そこの突き当り。終わったら呼んで」
短い会話の中から仲の良さが目に見える。
「これって……萌え要素ありってやつですかね」
「どうでしょうか。先生はお堅い人ですからね……」
女性陣ときたら、捜査そっちのけで二人の世界に入っていた。
*
「じゃあ、開けるよ?」
秀一は納体袋を開け、そっと遺体を露出させる。
翔の隣で香田が身構えた。
「ありがとうございます……」
翔は遺体に手を合わせ、そう呟いた。
「状態教えてくれ」
「うん。彼は太田武、男性、五十歳。遺体発見場所周囲に遺留物や血痕はなく、自室ベッドに仰臥位。着衣に乱れなし。右手首に刺傷あり、傷の深さは五センチ。頸部圧迫による窒息死が直接の死因だね。遺体発見時刻が午後一時半ころだったから、死後硬直と角膜混濁からして、死亡推定時刻は午前十時半頃と推定。死後三時間から四時間ほど経過してたよ。あ、毒物は検出されなかった。胃内容物は朝食と一致しているし、アムロジピンの成分も検出された」
秀一がそう説明すると、「アムロジピン……?」と香田。
「高血圧の薬だ。狭心症にも使われるが、高血圧の薬として使用頻度が高く、薬効もある。副作用が少なく高圧効果が高いんだ」
と、翔が言う。
「さすがだね」
秀一はそう言った。
「それで?ほかの遺体も同じ状態ってこと?」
「うん。不思議なことにさ、被害者全員の死亡推定時刻が同じなんだ。刺傷の深さも同じ、圧迫による窒息死も……。これ、普通の人間がしたものじゃないと思う。例えば……」
「医学的知識がある人間……か」
「うん」
「被害者の共通点が他にあるはずなんだ。それに……何か引っ掛かるんだよな……。どこかで見たことがあるんだよ、死亡推定時刻と同じ時間を。警察資料から探るしかないか……」
「四階に行ってきなよ。連絡入れとくからさ」
「良いのか?」
「うん、まあ、翔のためだしね」
「悪いな」
話し終わると、彼はふと気づいた。
「そう言えば、香田は……?」
「吐いてますよ、トイレで」
解剖室入り口に岬が立っていた。
「吐いてる?」
「ええ。遺体を見て、遺体から採取した試料をお二人が見ているときにはすでにトイレへ駆け込んでました。さすがにきつかったみたいですね」
岬がそう説明すると、翔は深いため息をつく。
「だから、無理だって言ったんだ。第一、捜一に女性なんて……」
「翔、それは言うべきことじゃないよ」
「分かってる。けど、危険な現場に……」
「それ以上はダメだ」
秀一に止められ、彼は口を閉じた。
「分かってるよ……」
しばらくの沈黙の後、「すみません……お待たせしました……」と香田が戻ってきた。
「大丈夫ですか?さすがにきつかったですよね」
秀一がそう声を掛けると、彼女は頬を赤らめながら「だ、大丈夫です……」と答える。
「なら良いですが、ここへ来るまでに通ったところに自動販売機があったはずです。そこで何か買って飲んでくださいね」
「香田、ほかに行くところがある」
翔は半ば急ぎ足で部屋を出た。あとを追うように香田も付いて行く。
「香田さん!ちょっと……。翔はぶっきらぼうだし、言い方きついし、周りからいい印象は持たれないことが多いけど、根はめっちゃいい人だから。だから、なんかあっても許してあげてね。翔のこと、よろしくね」
秀一は彼女を引き留めてそう言った。
「……分かりました。任せてください」
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