第3話 殺害予告の犯人

 気がつくと当日になっていた。嫌な曇り空の日だった。低気圧で頭痛がするが、諸々飲んでいる薬と飲み合わせが悪いために頭痛薬が飲めない。


「本日はよろしくお願いします」


 Y君が雇った弁護士はいかにも人当たりが良さそうで「わからない時は任せていただいて大丈夫ですから」と言ってくれた。この人と俺、同じタンパク質の集合体のはずだが、きっと天と地ほど能力の差があるのだろう。その差はどこから来たんだ? 俺は曖昧に頷いた。


「ところで場所は本当にサイ○リヤでいいんですか?」


 俺が選んだ場所だ。人と交渉する場所なんてファミレスかルノ○ールくらいしか思いつかない。それより久々にあそこの淡白なパスタが食いたかったんだ。

 隣町の通いなれない店で、俺たちはドリンクバーを注文して時間をつぶす。弁護士は何を飲むんだろう、と思ってみていたが、甘そうな野菜ジュースを半透明のコップに入れて戻ってきた。


「意識しないと野菜、取れないですから」


 俺は手元の泡立つコーラの濁った色を見つめる。偏差値の差だろうか? これが? 糖分ではそう差もありそうにない。

 程なくして待ち合わせ時間になったが来訪者はいなかった。更に5分待って、俺はふと向こうの情報を何も知らないことに気がつく。これじゃ仮に現れたとしてもわからないな、と思っていたら、弁護士さんが立ち上がって、近づいてくる親子連れに軽く手を振った。

 どきりと意外な展開に胸が動揺する。俺はもっと……同年代程度の同しようもない男が来るものかと思っていた。だがその親子連れはいかにも羽振りが良さそうだったし、子供はまだ高校生くらいの――女の子だった。

 俺が何か尋ねる前に彼らは対面の席に座る。「ドリンクバーをいかがですか?」と弁護士さんが朗らかに尋ねたが、化粧の濃い母親がヒステリックに口火を切った。


「この度はうちの娘がご迷惑をおかけいたしました」


 たぶん、世界誠意の籠もってない謝罪選手権があったら彼女はかなりの上位を狙えるだろう。謝れながら睨まれたのは初めてだ。

 が、そんなことはどうでもよかった。

 「はあ」と俺は適当に相槌をうち、後の面倒事を弁護士さんに丸投げする。父親の方はムスッとしたまま一言も発さない。俺たちは母親と弁護士さんの事務的なやり取りを眺める傍観者だ。彼らの娘――俺に殺害予告をした女の子を見やる。マスクをして、帽子を深々かぶっている。目を伏せ、ちらりとも俺の方を見ようとしない。


(よく知らないが、示談ってこういうもんなのか?)


 べつに金が欲しかったわけじゃない。謝罪なんてもっといらない。キリキリと頭が痛むのは気圧のせいか? だがもっと違う――何か嫌な予感のようなものがずっと俺の心を満たしている。

 そしてどう考えてもその原因は彼女にある。俺に殺害予告をした少女。高そうなワンピースを着込んで、両手をじっと机の下に潜らせたまま微動だにしない。


「どうして俺を殺したかったんだ?」


 とどのつまり、俺が訊きたいのはこの一言に尽きた。人を殺したいほど憎む――そいつはどんな感情なんだろう。誰かを殺したいと思ったことなんて無かった。死にたいと思うことはいくらでもあるが……。

 この子は見る限り、親に金はありそうだし、殆ど見えない顔立ちも整っているように思う。

 嫉妬? まさか。俺に何を嫉妬するんだ? 何か彼女の地雷に触れてしまったのか? 会ったこともない相手の?

 

 ――訊いてみたい。


 その気持が抑えれば抑えるほど膨らんでくる――いやそもそも抑える必要なんてあるのか? 俺は被害者で、なぜ自分が脅迫されたのかを知る権利は当然あるはずだ。

 それなのに訊かなかったのは、たぶん、わかっていたからだろう。本当の答えなど返ってこないと。そして一度その本心を隠されたら、もう、二度と俺は答えを知ることは出来ない。


「……さん。ナオヤさん」


「あ、はい!?」


 呼ばれた声に振り向くと、弁護士の困った瞳で俺を見つめていた。壁掛時計を見ると(俺は腕時計なんか持ってない)もう1時間以上が過ぎていた。机の上に整然と並べられた書類。


「以上の条件で示談成立、ということでよろしいですか?」


「あ、はい」


 ちらと書類に目を走らせると、ゼロがまあまあの個数並んだ金額が書かれていた。これはいったい何のための金なのだろう。俺の心の傷を埋め合わせてくれるのだろうか? どこに傷を負った心があるのだろう? 単なる迷惑料か? 模範的社会人であるY君なら「見せしめにすることで模倣犯が減らせますよ」と合理的な理由を述べるだろう。


「この度は誠に申し訳ございませんでした」


 両親が立ち上がり、頭を下げる。娘はピクリとも動かずにいた。それを無理矢理母親が立ち上がらせる。予想外に抵抗する娘。


「あっ……」


 それは誰の声だったんだろう?

 彼女の声なのか? それとも俺が発したんだろうか。あるいは母親だったのかもしれない。

 もみ合いになった指先が勢い彼女の帽子をむしり取る。彼女は慌てて帽子をかぶり直したが、遅すぎた。いや、通常ならそれで十分だったかもしれない。

 だが顕になったその顔に俺は見覚えがあったんだ。いや、見覚えが無いわけない。

 俺に殺害予告をした少女――その顔は確かに俺の再推しアイドル「ユナ様」だったんだ。

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32歳、チー牛、ドルオタ、物真似ゲーム配信でバズる。鬱病になる。推しに殺害予告される。 くらげもてま @hakuagawasirasu

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