終章 ここに居る

梅木家の住んでいる小さな家では、深刻な会議が行われていた。

確かに、梅木さんのような家庭に、障害のある男性が現れるというのは、めったに無いことなのかもしれない。

「それでは、本当にこの人について行くのね。」

と、梅木さんの母は、梅木正子さんに言った。

「ええ。私はそのつもり。この、小宮山裕貴さんについていくつもりよ。心配しないで。この人であれば、姓を変更してくれるって言ったわ。彼に、小宮山裕貴ではなくて、梅木裕貴になってもらう。それも、ちゃんと承諾済みだから、気にしないでいいわ。」

梅木さんが答えると、

「しかし、新居とか、そういう事はどうするつもりなんだ?」

梅木さんの父は、実用的な事を言った。

「とりあえず、不動産屋さんで、賃貸で車椅子の人でも借りられるような部屋を探すつもり。幸い、親切な不動産屋さんが、富士駅近くにあるつもりなの。そこで相談してみるわ。」

「しかし、重い心臓病で働けないということでは、生活費とかはどうするつもりなんかな?」

「大丈夫。まあ、すごい少ない額だとは思うけど、当分は、生活保護とかで暮らすから。もし、私が、安定してきたら、着物屋さんとかそういうところで働かせてもらってもいいなとか思ってる。それでいいじゃない。最低限の生活さえできれば、私は幸せよ。」

梅木さんはきっぱりと言った。

「そうなんだ。じゃあ、もうある程度覚悟も決まっているのかな。それなら、私達の出る幕は無いのかもね。頑張りなさい。もし、なにか辛いことがあったら、何でもたすけてあげるから。」

梅木さんの母親は、にこやかに笑った。

「そうだね。何よりも、娘に好きな人ができて、その人と、一緒になりたいと言ってくることは、親として、最高の喜びだからね。小宮山さんといいましたね。正子を頼みます。ちょっと、気が弱い子ではあるんですけど、それは、母親似です。」

梅木さんの父は、小宮山さんに頭を下げた。

「私は、仕事が忙しいのを言い訳にして、娘の悩んでいることには、ほとんど手を出すことができませんでした。だから、その分、小宮山さんが、うちの娘をたくさん可愛がってくれれば、それに越したことは無いです。どうぞ、正子をよろしくおねがいします。」

「わかりました。完璧に幸せにするとは、いい切れませんが、それでも、ささやかな幸せを頼りに、雅子さんと一緒に生きて行こうと思います。お父さん、よろしくおねがいします。」

小宮山さんは、にこやかに笑って、静かに頭を下げた。

「ありがとうございます!良かったわ。お父さんとお母さんが、納得してくれて。」

梅木さんがそう言うと、

「何を言っているの、こんな素敵な人が来てくれるなんて、お父さんもびっくりしてるのよ。同時に、お父さんの夢でもあったんだから。幸せになりなさいね。」

梅木さんのお母さんは、ホッとした顔で言った。

「それでは、小宮山さんと言ったね。今から、四人で食事に行きませんか。こんなところで、話をしても変な気分になるだけでしょう。それなら、この近くに、美味しいオムライスの店がありましてね。そこで、お食事しながら、結婚式のこととか、語り合いましょう。」

梅木さんのお父さんがそう言うと、

「いやねえ、お父さんったら。もう結婚式のことですか。それはちょっと、気が早すぎるのではありませんか?」

と、お母さんは笑いながら止めた。梅木さんも小宮山さんも、ああ良かったとホッとした顔で、お互い顔を見合わせようとしたその時。

「馬鹿者!何を馬鹿なこと言ってるんだ!」

と言いながら、梅木さんの祖父が、部屋の中に入ってきた。

「お父さん、だって、正子が好きな人を連れてきたんですよ。そんな怒ることではなくて、喜んで上げるべきだと思うんですけどね。だって、正子にはもう見込みがないとか、そういう事を言っていたのは、お父さんでしょ?それなのに、正子がこうして連れてきたんです。喜んでやるべきではないですか?」

梅木さんのお母さんがそう言うが、やはり、耳が遠いのか、それとも聞こうとしないのかわからないが、梅木さんの祖父は、こう怒鳴るのだった。

「うるさい!正子には、五体不満足な人間と結婚させるとは言わなかったはずだぞ!それに、働かないで好きなことに没頭しているなんて、ありえないし、生活していけるわけがない。わしは絶対に許さんぞ。そんな男に正子をやれるわけにはいかん!」

その怒鳴り声に、気の弱い梅木さんの母は、ちょっと小さくなってしまうのだった。

「じゃあなんですか。お父さんが、正子の結婚相手を紹介してくれるのですか?」

と、梅木さんの父が、そういったのであるが、祖父は、また無視してしまった。

「お父さん、答えてください!」

梅木さんの父はそう言ったけど、祖父は、聞こえないらしく、何も返事をしなかった。もしかしたら、自分の言いたいことを言って、あとの反対意見は一切聞くつもりが無いのかもしれなかった。

「お父さん、僕の質問には答えないで、自分の要求を押し通すつもりでしょうけど、それはいけませんよ。それに、今回は正子が、大事だと思える人を連れてきたんです。だから、喜んでやるべきじゃないんですか。なんでそんなに自分の意見を押し通そうとするんですかね。それはある意味僕達の事を馬鹿にしているということに繋がりますよね?」

梅木さんの父はそういったが、祖父は聞こうとしなかった。多分、こうして話しているとき、何も返事をしないのは、わざと聞いていないんだと思う。

「大事な話だから聞いてやってください。正子が、せっかく好きな人を連れてきたんです。」

お母さんがそう言うと、

「お前らが甘やかすから、こんな人間しか正子が連れてこれなかったんじゃないか!それよりも、もっと実用的で、ちゃんと家庭を持てる男を、親として用意すべきだ。アイがあるから大丈夫なんてことは絶対無いんだぞ!」

と、祖父は怒鳴った。

「そうかも知れないですけど、でも、正子はきっとこの人の事を好きだと思って連れてきたんだろうし、好きでも無い結婚なんて、本当につまらないじゃないですか。それはお父さんならよく知っているはずでしょう?昔は政略結婚とか、そういうことだってよくあったんでしょうし。」

梅木さんの父がそう言っても、祖父は、

「すバカ!」

としか言わなかった。梅木さんのお父さんとお母さんは、そうやって怒鳴られて、何も反論できないようだった。いつもそうだ。なにか決まりごとというか、新しい事をするときには、梅木さんやお父さんお母さんではなしあっても、祖父が結局持っていってしまうのだ。例えばテレビが壊れたときも、量販店にいかせてもらえず、知り合いの家電屋でやってもらわなければいけなかった。

「お前みたいな奴らには、今度一切金など出さないからな!それでは生活できなくなるのだから、お前らで好きなようにやれ!」

それが、切り札みたいなセリフだった。そうやって、何でも祖父の年金から、出してもらっている。だからこそ、祖父の言うとおりにしなければならない。梅木さんの父と母は、それがなくなってしまったら、生活できないと言うことも知っていたから、何も反論できず、黙ってしまった。

「ほら見ろ!金は汗水たらして働いて稼ぐものだ。お前たちはそれができないんだから、できるやつの言うとおりにしなければだめだ。それも守れないで逆らっても、何もできないんだぞ。それならわしの言うとおりにしろ。正子が、結婚したいと言うんだったら、わしが、親戚の中から、もっと稼げる男を連れてくるから!」

「そんなの嫌!」

と思わず梅木さんが言った。

「私は、小宮山さんがいい!」

そう言っても、やはり祖父は話を聞こうとしなかった。

「おじいさん。そうやってお金をあげているからと言って、何でも、自分の思い通りにご家族を動かす事はやめてください。僕らは確かに生活費は国で見てもらっているかもしれないけど、そういうことができない人はいっぱいいます。そういう人は、最低と言うつもりですか?」

小宮山さんが、梅木さんの祖父に言ったが、祖父は答えようとしなかった。

「おじいちゃん、誰の質問にも答えないなんて、不公平よ!」

梅木さんがそう言うと、

「金を稼げないのは、犯罪者だ!そうやって、金を稼げない生活が続いていくうち、頭がおかしくなって、犯罪に走っていく。それを止めるには稼ぐものが、止めるしか無いんだ!」

と、梅木さんの祖父は怒鳴った。多分辻褄が合わないことも平気で言ってしまうのだろう。梅木さんは涙をこぼして泣き出してしまった。

「それでも、おじいさんだって、今は歩けるかもしれないけど、そのうち、歩けなくなったり寝たきりになったりすることだってあるかもしれません。そうなったら、今の状態では誰も介護してくれる人なんて出てきませんょ。そんなふうに、家族を自分のちからで押さえつけて、何でも思い通りにするなんて、まるで、社会主義国家と同じようなものです。そんな事、果たしていいのでしょうか。梅木さんが病んでしまった原因もそこにあると思います。」

小宮山さんは祖父に向かって話を続けた。

「僕も、本人から聞きましたが、梅木さんは解離性障害だそうですね。それは、自分がこの家にいないと、勝手に空想することから始めるそうです。そして、空想の世界で、友達と遊んだりして、なかったことをあったことのように話したりして居るうちに、それが、人間になって現れてしまうそうです。流石に梅木さんはそこまで進行したわけではないのですが、でも、辛かったこの生活から逃げるには、そういう事実にない事を口にするしか方法はなかったようで、何度も人を振り回してはそういう話を繰り返してきたそうです。その原因はおじいさんが、そうやって、支配しているからではないでしょうか。確かに嘘つきは泥棒の始まりとか、そういう事もあるのかもしれませんが、梅木さんの場合、それをするしか自分を守る手段がなかったんですよ。だから、事実にないことをべらぼうに喋るしかなかった。それを作ったのは、おじいさんなんです。もし、五体満足でお金を稼げる人と結婚できなかったことを、悔しいと思うんだったら、それはおじいさんの圧政に対する答えだと思ってくれませんか!」

「そうなんですね。親でもわからなかった、正子が病気になった原因を見透かしているのですが。歩けなくても、すごい方ですね。」

梅木さんの母親が、小さな声で、そういった。

「答え?」

と、梅木さんの祖父はいう。なんとか話が通じたらしい。

「答えなんて、お金が無ければ幸せになれないのに。学歴も何も無いお前らが、幸せになんてなれるはずもないのに。」

「おじいさんは、どちらの学校に通われたのですか?」

不意に小宮山さんは言った。

「ええ、尋常小学校に行って、旧制中学校に行きたかったようですが、費用がかかりすぎて高等科しか行けなかったって聞きました。そのせいで、仕事を得ても出世できなくて、かなり苦労したという話は知っていますが。」

梅木さんの母がそう言うと、

「それはお辛かったでしょうね。僕も、心臓が悪いんで上級学校にはいけませんでしたし、仕事にもつけなかったんです。辛いこともたくさんありましたけど、でもそれでも生きるってことを伝えて上げても良かったのではありませんか。それはいけないことなんでしょうか。そういう教訓的な事をすでに得ているのであれば、おじいさんがそういう事を伝えてあげても良かったのではないですか。それなのに、自分の考えを人に押し付けるなんて。」

と、小宮山さんは言った。それが祖父に伝わったのか、そうでないのかは不詳だが、祖父は何も言わず、部屋から出ていってしまった。梅木さんの母や父がちょっとと言っても聞かなかった。

「もう。仕方ありません。オムライス食べに行きましょう。ここにいてもどうせ、邪魔されるだけですよ。だったら、そっちへ行ってそこで結婚式の打ち合わせをさせたほうがいいですね。」

「あたし、介護タクシー呼んできます。」

梅木さんの父と母は、そういう事を言った。それから四人でオムライスの店に行って、結婚式の打ち合わせや、これからの生活の事を話し合った。確かに、お父さんの夢であったというのは間違いではなかったらしい。梅木さんの父と母は、とてもうれしそうだった。梅木さんに、彼とどこで知り合ったのかを知りたがった。梅木さんが、製鉄所で行われている写経会で知り合った事を話すと、やはり縁起があるんだなとお父さんが言った。

そういうわけで何回か話し合いをし、結婚式を行うことに決めた。しかし、結婚式場に申し込んでも車椅子の花婿に対する理解が無いところばかりで、それで失敗してしまうのだった。ホテルなどに申し込んでも同様だった。そこで、寺社仏閣にお願することにして、まゆ子が住職をしている丸徳寺で式を行うことに決めた。披露宴はできないが、式だけでも十分だった。

そして、6月の最終日曜日。梅雨の季節だというけれど、何故かその日はよく晴れた。丸徳寺では、梅木さんと、小宮山さんの結婚式が行われることになった。梅木さんは、真っ白な花嫁衣装である白無垢を着て、綿帽子をかぶり、とてもきれいな花嫁姿になった。着付けの先生などは、杉ちゃんたちが調達してくれたのである。結婚式らしい、真っ赤な僧衣に身を包んだまゆ子は、出席者全員が揃うと、仏前結婚式の所以について説明をした。それによると、花を売っていた女性と、ろうそくを売っていた男性とを、お釈迦様が結びつけて結婚させたのが始まりであるという。それにより、仏前結婚式は、仏教用語で華燭の祭典と呼ばれるようになった。そこで一般の信徒の結婚式でも、花の絵のついたろうそくを本尊に奉納するのが当たり前になっているそうである。

梅木さんたちの結婚式は、小宮山さんの側に親族が少ないせいで、ほとんどの来賓が、梅木さんの側で参列したが、それでも良いとまゆ子は思った。その中には、杉ちゃんとジョチさんもいたし、梅木さんと写経会をともした、羽生さんや高本さんも参列してくれた。高本さんは今や、犬服を作る作家としてホームーページまで立ち上げてしまう様になり、羽生さんは、勉強したいという意欲があってか、学校で大活躍しているという。二人は、立派に成長したなとまゆ子は思った。

梅木さんたちの結婚式が始まった。二人は、小さな寺の本堂に入場した。もちろん歩けない裕貴さんの補助は、まゆ子が行った。そして、まゆ子が、二人の幸せを願う祈願文を、本尊に向けて述べる。皆真剣にその文書を聞いていた。まゆ子により、二人に数珠が手渡され、梅木さんと、裕貴さんは、数珠の交換をする。それが終わると、誓いの言葉だ。裕貴さんが読み上げ、梅木さんは最後に自分の名を述べる。そして、まゆ子は、二人に、お祝いの言葉を述べた。結婚生活は完璧に幸せを求めなくていい、それよりどこか欠損があったほうが幸せになれる、とまゆ子は、二人に心を込めて話しかけた。最後に、お経を全員で唱えて、式はおしまいになる。

式自体はそれで終了になるが、最後に、記念写真を撮っていこうと杉ちゃんたちの提案で、全員、本堂の前に集合した。特にカメラマンを頼んでいたわけでは無いので、小薗さんがカメラマンの役を引き受けた。

「それでは撮りますよ、いいですか?」

と、小薗さんが写真を取ろうとしたその時。一台の黒いクラウンが寺の前で止まった。クラウンから、紋付袴姿になった、新婦のおじいさんがやってきた。おじいさんは、梅木さんの前につかつかとやってきて、ひとこと、

「正子!」

と怒鳴った。梅木さんたちが、何をされるのかわからない顔で、返事に困っていると、

「幸せになれ!」

と、おじいさんは吐き捨てるように言った。

「ほんならお前さんも写真に入ったらどうだ?もう二度とこんな姿は見られないかもしれないぜ。」

立場なんか関係なく話してしまう杉ちゃんが、そういう事を言ったのであるが、おじいさんは遠慮するといった。

「でも、杉ちゃんの言う通り、二度と見られないと思いますよ。」

ジョチさんもそう言うと、梅木さんは、なにか決断したらしく、

「おじいちゃん入ってください!」

と、本人に負けないくらいの声で言った。梅木さんの父と母が、祖父が入れるように隙間を作ってくれた。祖父は渋々そこへ入った。

「それでは、もう一度写真を撮りましょうか。じゃあ、しっかり入ってくださいね。撮りますよ。」

小薗さんが改めて、カメラのシャッターを押した。なかなかいい顔してるじゃないですかと、小薗さんは言った。それを、撮り終わったあと、梅木さんたちは、家に帰ることになったが、まゆ子は、梅木さんたちが、ジョチさんが用立ててくれたマイクロバスに乗り込んでいくのを眺めながら、「ああやっぱり、仏はここに居る。」

と、小さな声で呟いたのだった。

「私、信じてよかった。」

まゆ子としてみれば、梅木さんがパニックになったとき、もうこの活動は続けても意味がないのではないかと諦めていたこともあったのだ。だけど、一番むずかしいというか、一番症状が重い梅木さんをこうして幸せにしてやることができて、やっぱり、写経会をやってきて良かったと思うのだった。梅木さんは、これからも幸せになってくれることだろう。そのために祈るという自分の役割があって本当に良かったと思うのだった。そして同時に、全てのものに感謝したくなった。

梅木さんたちが、マイクロバスで、寺から出ていってしまうと、まゆ子は、庫裏に戻って僧衣を脱いで、また新しい、写経会の参加者を募集するため、パソコンに向かい始めた。これからも、自分は、この仕事をしていく。多分きっと、大きなことがあるわけではないけれど、誰かの心をかえていくことは、多分できるだろう。それはきっと、自分でやろうとしているのではなく、誰かに導かれてやっているのだと、まゆ子は思うのだった。



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無常の中で 増田朋美 @masubuchi4996

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