6
妄想に支配されていた。
その中で私は、人類がゾンビとなってしまった世界で生きていた。意識だけ人間に戻ったゾンビとして、とある施設で数体のゾンビたちを率いていた。外には人間のゾンビハンターがいて、いつ狩られてもおかしくない緊迫した状況だった。
ヤクザの大崎が赤シャツと呼ぼれるゾンビとなっていた。暴力的な性格は変わっていなかったが、焼け爛れた皮膚は大仰だった。
あいつの身体はロシア製の粗悪な薬物で爛れているが、火炎放射を浴びたほどにはなっていない。ただし、肌着にいつも血がついて赤茶色に汚れている。誰かを出血させるまで殴らないと気が済まない性分なんだ。
セーラー服姿の女子高生ゾンビは志保だ。繁華街にたむろしては家に帰らず、売春して金を稼いでいた。まだ十六歳だが、性格は四十路のババアみたいにやさぐれている。肉体以外に良いところのない少女だ。
陽菜がロリっ子になっていたのはお笑いだ。血のつながった娘なのに、どうして淫靡な名をつけてしまったのか。きっと愛していないんだ。自分の子供であるという事実から遠ざかりたくて仕方がなかった。
ツルハシ女が妻の詠美だ。彼女に関しては、なにも考えたくない。あの顔を思い出すほどに心の動揺が抑えきれない。無茶苦茶に引き裂きたい衝動に駆られてしまうんだ。
おそらく鎮静剤の類を投与されているのだろう。頭の中の霞がなくなって考える力がすごく透明だ。いつもの薬よりも効きが良い。薬にも相性があるんだな。
俺はずいぶんとやらかしてしまったようだ。
妻と娘と弁護士を拉致して立てこもった。侵入してきた警官を切り刻んで殺した。それから突入してきた数人を殺した。赤シャツ、じゃなかった大崎が撃ったのだが、性格破綻者のジャンキーを雇ったのは俺だからな。共同正犯として射殺されても文句はいえない。
ああ、そういえば、あの弁護士も撃ち殺したっけ。あいつが家族を引き裂いた諸悪の元凶だった。くだらん法律知識をひけらかすだけの、最低のクズ野郎だ。
俺は警官から銃弾を喰らったが、急所は外れていたようだ。撃たれた箇所よりも、詠美に殴られた顔面のほうがよっぽど痛い。凶悪犯人となってしまったが、しっかりと治療されているのはありがたい。死なずにすんだのは幸いだった。
とにかく眠くてしかたがない。こんなに気持ちが明瞭なのは久しぶりだから、もう少しの間考えていたいのだが、まるで早送りで生肉が腐敗していくように、意識が急速に溶けてゆく。
「ハッキリ君、ハッキリ君、のん気に寝てる場合じゃないよ」
ハッとして目を開けた。
微睡みからの突然の覚醒だったので、責任者は頭の回転が追いつかない。上体を起こして辺りをキョロキョロと見回している。
「ハッキリ君、困るよ。なして病院なんかで寝てるんだ。ゲームセンターがぼくらの家じゃないか」
「教授っ」と鋭く言って、責任者は眉にぶっ太い皺を寄せた。
「な、なんだよ」
「いや、おまえは詠美が雇った腐れ弁護士か」
「いやいや、失敬だなあ。ぼくはね、ゾンビだから腐ってはいるけど、まあお尻がね、ちょっとばかり腐っているんだけどもさ、腐れ弁護士とはひどい言い草だなあ。弁護士資格もないのにさ。法務省に猛抗議だよ」
中年のゾンビがバツの悪そうにうつむくと、尻に手を当ててからその手のニオイを嗅いだ。
「ハッキリ君、赤シャツさんが呼んでるよ。外で待ってるって」
セーラー服姿の女ゾンビがやってきて、ベッド上のゾンビに向かい、窓の外を指さして言った。
「おまえは志保か。大崎はどうした」
「はあ?、志保って誰さ。大崎ってのも知らねえし。美味いのか、それ」
「人間の肉はおいしいよ。ぼくたちみたいに腐ってないから、衛生が安全なんだ」
「そんなの教授に言われなくなって知ってるって。安全がセーフティーなんだから」
少しぼう然として、なんとなく噛み合っていない会話を眺めていたら、小学生低学年くらいの女児がやってきた。
「陽菜か」
少女ゾンビに向かって、責任者が語りかけるように言う。
「おみゃあーさん、ちゅちゅまっちぇねくちゃってんじゃ、ぼきゃ。ぴゃらぎゃへっちゃちゃ、こてっちゃん」
「ええーっと、ロリっ子の言ったことを訳すと、{おまえさん、いつまで寝腐ってんだ、ぼけっ。腹が減ったぞ、こてっちゃん}だって」
なんだ、どうなっているんだ。俺はまだ妄想の中で夢見心地なのか。
いや、違う違う。違うぞ。
これはリアルだ。悪臭が酷いし、何発も銃弾を喰らったわりにはどこも痛くない。空気は埃っぽいし、ゾンビたちの声以外の喧噪がほとんどない。
これは現実なんだ。
「ひょっとして、人類の多くがゾンビになってしまったのか。私はゾンビなのか。世界がゾンビに支配されたのは本当だったのか。リアルがここにあるんだな」
責任者は戸惑いつつ確信を持っているようだ、うっ血した目玉をググッと迫り出して周囲を見ている。
少女ゾンビがバレリーナのように回転し、中年ゾンビの尻に指でカンチョーをした。
「あひゃっ」
中年ゾンビが跳び上がり、そしてロリっ子が言い放った。
「おみゃあーさん、ぞんべにゃにゃっちゃおちゅむぎゃくちゃって、げんじゅちゅちゅちょ、もうちょうのくちゃべぎゃちゃっちゃちゃっちゃ。もうちょうにょなきゃで、あたちゅたちゅちょぎょぎょかじゅくにゃせっくすしたっちゃちゃっちゃ」
「さらに訳すと、{おまえさん、ゾンビになって頭が腐って、現実と妄想の区別がくちゃくちゃになっている。妄想の中で、あたしたちを疑似家族に設定したんだ}と言ってるよ」
「そうか、そうだったのか。ゾンビとなって腐ってしまった私の脳が、あのような妄想を見せていたのか。苦しくてみじめで、とてもイヤな気分だった。あんな家族は二度とゴメンだ。ロクな夢じゃなかった。とびきりの悪夢だった」
ベッド上の責任者は首を振っていた。一か所を見ているのではなく、目玉が上下左右に忙しく動いている。
「くちゃってくっちゃちゃ、ちょうがにゃいにゃあ、けちゅくちゃおやじ」
「もう一つ訳すと、{腐ってるから、しょうがない。ケツくさオヤジ}だってさ」
「ケツが臭いのはハッキリさんじゃなくて、教授のことだよなあ」
セーラー服が指摘すると、「その通りである」と中年ゾンビが胸を張った。
「ハッキリさんさあ、とにかく外に出てよ」
女子高生ゾンビに手を引っぱれて、責任者は病室を後にした。誰もいない閑散とした廊下を進み、静寂の外へと行く。そして、浅い川を渡ったところで出会った。
「ようハッキリさん、やっと出てきたか」
赤いシャツを着た男が腕組をして立っていた。脇腹の皮膚が焼け爛れたゾンビである。背中にはライフル銃をたすき掛けしていた。
「赤シャツさん、状況はどうなっているのですか」
「ゾンビパーク・ヨダの連中が、また襲撃に来るようだ。ソ連が後ろ盾になっているらしいぞ」
「敵は強大だったのですね。やられる前に、こちらから出向いてやりましょう」
「それは責任者としての命令か」
「もちろんです」
赤シャツのゾンビがニヤリとする。
「ハッキリさん、行きましょう。わたしたちが一つになって戦えば、きっと勝てるわ」
ツルハシを肩にかけた女ゾンビが手を握った。砂と泥が混じっていてザラザラしていた。もう片方には華奢な感触があり、それは小学生女児のゾンビが手を握ったからである。
「皆さん、私についてきてください」
ゾンビたちを引き連れた責任者が前進する。目線はどうしようもなく定まらないが、目一杯の笑みを浮かべていた。
終わり
オブ・ザ・デッド 北見崇史 @dvdloto
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