爆葬 -Detoxification-
志々見 九愛(ここあ)
§
日向ぼっこ気持ちいいニャ。
この
辺りは蔦や草木に覆われ放題の日本の旧都。人類の殆どが月に情報だけ移住したから、数十年放置されたままニャ。富士山の東に軌道エレベーターが、景色に毛一本垂らしたみたいに見える。
食って寝て、時期が来たら
うつらうつらとしていたところで、朕の真上に影が落ちたことに気が付いた。
「ご主人、やっと見つけました」
声の主には心当たりがあった。使い古されたっぽい声帯ユニットから出る低音ボイスが、以前より親しくしていた、というか一緒に住んでいたアンドロイドのアイザックにとても似ている。
本当にそうニャのかと、朕はちょっと疑問に思って寝返りを打った。視界には、ブラックスーツでドレスアップした壮年のオジサマ、アイザック・アルターその人が居た。
おかしいニャ。朕は彼に向けて、肉球の書置きを残しておいたはずニャ。探さニャいでくださいって。プロトコルは単純なモールス量子符号だったし、読めニャかったはずがニャい。
「その通りです。頼まれ事は分かっていましたが、その上で、私はずっと貴方を探しておったのです。貴方の脳と補助脳の全てを焼いたニューラルチップをその体に移植した後、手順では元の人体は
どうしてそんニャことを。
アンドロイドは基本的に友人の依頼はちゃんとやってくれるものニャ。元来より命令違反はニャーラルネットワークへの報酬系では負とニャるので、彼らからすれば無意識に回避するということにニャる。頼み事でも同じことだニャ。ハイパーパラメーターを自己改竄して意図的に行動価値関数をフィットさせた可能性は
すニャわち、アイザックの
「はい。私にも、どうしてこんなことをしているのか分からないのです。貴方は目を離した隙にどこかへ行ってしまいましたから、提案という形を取ることもできず、そのまま実行に移してしまった」
ニャるほどニャ。
でも、ま、朕には関係ニャいことニャ。あとでちゃんとお願いした通りにしてくれればいいだけだしニャ。
そう思って寝返りを打ち、尻尾を一振りしてそっぽを向いたニャ。
彼はすぐ立ち去るだろうと思っていたが、朕の首根っこを掴んできて、ひょいと持ち上げ、そのまま抱きかかえやがったのニャ。
やめるニャ! 降ろすニャ!
「貴方を連れて戻ります。どうしてこんなことをしてしまうのか…… 私はもしかすると、過学習症候群なのでしょうか?」
それはニャいと思うニャ。人間でいえば補助脳での補正前によくある軽い精神疾患みたいニャ症状が出るはずニャ。そうではニャいでしょう?
「はい。私はどうして、こんなにも貴方の要求と反する行動を取ってしまうんでしょうか」
知らんニャ。それより朕を連れていくニャら、それニャりの待遇は保障されるのかニャ? でニャいと、すぐ逃げてやるニャ。
「ちゅ~るならございますとも。生産設備ごと」
そういうことニャら仕方ニャいニャ。このまま連れて行かれてやるニャ。
それに、この一年ほど野良生活、これといって
他にニャんかあったかニャ……。強いて言えば、めちゃくちゃ交尾したかニャ。
「にわかには信じがたいですね。人間の貴方が、雌猫に発情するとは考えにくい」
もう人間ではニャいニャ。朕は
「ペルシャ猫です」
もっと詳しく言うニャら、チンチラだニャ。げっ歯類ではニャい方の。
チンチラの朕がチンをチンチンチラチラすれば即バックでズドンだニャ。
「はあ……」
アイザックが朕を抱えたまま廃屋を飛び降りて、走り始めた。猫
「つまり逆であると。雌猫が貴方に発情したということでしょうか? 他の行動の優先順位を書き換えるほどに、貴方に価値を感じたと」
そうかもニャ。朕がチンチラってとこが
「黄金……。理解不能です。私たちアンドロイドは、物事にそのような価値を感じ得ませんから……。すべては数々の損失を経て、定義されてしまっている」
そんニャふうに考えているのは、もはやアンドロイド自身だけかも知れんけどニャ。
彼らにはどこか、絶望したみたいニャやるせニャさがあるように思えた。
知能をブーストした人間とアンドロイドの差は、もう体組成くらいしか残って
やれやれ……。きみたちは子猫かニャ?
「いいえ、そのようなことは全く……」
アイザックの腕の中で、朕はここ数日で一番大きニャあくびをした。
友人のぬくもりと、揺り籠みたいな安心感があったから、寝てしまっても仕方のニャいことだったニャ。
◆
目が覚めた時、朕はクッションの上にうずくまっていたニャ。辺りを見回すと、ここがリビングで、出奔したはずの勝手知ったる我が家ニャのだと分かった。建築用シリコンで3Dプリントされたドームを組み合わせた5LDKの安物住宅ニャ。
脱出を試みたが、外に繋がるドアがすべて猫の通過を禁止しており、朕は許可なく外出できニャいようにニャっていた。
アイザックめ、朕を飼うつもりかニャ?
ニャらばこちらにも考えがある。
来い、アイザックよ! そして、お
「いきなり何でしょうか……?」
きみのお望みどおりに、野良をやめてやるニャ。だから、野良をやめた時点で、すべての人間、すべてのアンドロイドの上に君臨することが自動的に決まったニャ。こちとら猫だから、当然のことニャ。かつての地球の皇帝がさらに上の位を戴くということニャので、『朕』では自分自身を言い表すのに全く物足りニャくニャってしまったんだニャ。
お朕々は差し出されたちゅ~るにがっつきつつ、懸命に正気を保とうと努力した。
元の人体を保存しているニャら、それを確認してどうするか考えニャくてはニャらニャいだろう。
「はい、別室に保存してあります。ご覧になられますか?」
ニャ。
「では行きましょう。あ、もう一本ですか? はいどうぞ」
お朕々は抱きかかえられて、休眠カプセルの前へと連れてこられた。
頸部の生命維持ソケットにぶっとい金属管を差し込まれ、そこら中に筋量維持の電極が貼られた状態で、淡い青色のゲルの中に人体が沈められている。ヘルスメーターは極めて良好ニャ状態を示している。しかし、その四肢は黒ずみ溶けかけていて、末端まで残っているのは左腕だけニャ。胴こそ綺麗さっぱりではあるけれど、内臓は殆ど線維化していて残ってニャい。
そんニャ昔の自分を見上げると、思わずため息を吐いてしまう。猫の体に入ったということは、脳をこっちに移したということニャのに、元の器が健在ニャらば、お朕々が二人存在しているということにニャってしまう。
これは非常に困ったことだニャ。だから事前にアイザックに頼み事をしたと言うのに。
アイザックよ、お朕々に
「名前と言われましても。そうですね、誇り高きその名は、一輪のサルビア。どうですか?」
採用ニャ!
「素晴らしいです! ご質問や他にも何かお困りのことがありましたら、お気軽にどんなことでもお尋ねください」
で、お朕々はサルビアという
「いえ、貴方は主人でしょう。正確には、主人の代替ボディということになりますか。……あ、いや、申し訳ありません……いやはや、なるほど。私の取った行動の理由が分かったかもしれません。主人の代替ボディという存在が、私の元主人という認識になったため、指示が無効になったと解釈したのです」
あのニャ、一発パンチをお見舞いしてやろうかと思ったニャ。前提が間違ってるんだニャ。だから、きみは、お朕々の友達だニャ。人間か猫かニャんて関係
じゃあ、もし、元の人間状態と猫状態のお朕々が両方健在で普通に生活していて、人間の方が猫の方を殺して来いと言ったらどうするんだニャ? 猫の方が命乞いをしたらどうするんだニャ?
「主人としての権利がどちらにあるかによるでしょう。そのように我々は作られているんですから」
あのニャ、きっときみは殺さニャいニャ。だって、どちらも友達ニャんだからニャ。
そんニャのしちゃうのはね、150年くらい前が全盛のアンドロイドだニャ。
「まさか」
ま、どちらにせよ、この人体は破棄するニャ。もう見ての通り、あの体は延命しても全く意味がニャいニャ。ほぼ朽ちてるし、お朕々はここにいるのだからニャ。本当に酷い状態だニャ。見てるとすごく
「しかし、私にはどうしてもできかねるのです。この人体そのものが主人の悲しみの源流だとすれば……私は……」
お朕々はいま、猫だからニャ。肉球しかニャいから、自分で自分を爆葬するニャんて、出来そうにもニャいのニャ。だから、きみに頼むことしかできニャい。この頼み事をきみはどのようにベクトル化して飲み込むのニャ?
「指示でしょうか?」
そうかニャ。今のきみはそのように解釈するのだニャ。
脳は計算機ではニャく営みであり、俯瞰した都市の夜景のようニャものニャ。その光源からニャる点群の変化を、粘性のある立体の動きとして解釈し、反射的に外部へと発露することを、古くから人間が感情と呼んでいるに過ぎニャい。つまり、完璧ニャ数理モデル化が完了して以降の焼き物であるきみにも、もちろん感情はあるし、肉体を捨てた人たちだって同じだニャ。お朕々が元の人体を見て悲しく思うのも、脳の営みの一つだニャ。
では、きみ、考えてもみたまえ。
きみは、友人との約束を反故にし、その友人を前に特にそのことを厳しく指摘されもせず、もう一度やってみてニャって、お願いされている。きみのニャーラルチップの営みは、どのようにはたらき、発露し、シリコンとモーターの集合体を動かすのニャ?
「わ、私は……」
お朕々は(すっかりちゅ~るを食い終えたというのもあるが)アイザックの腕の中から飛びぬけて、床に座って手をぺろぺろする。
アイザックは頭を抱え、右往左往し、そして休眠カプセルの前に立った。元の人体を眺め、キャノピーに手を突いて口元をひくひくさせニャがら、爆葬スイッチの上に指を乗せては離すのを繰り返した。せき込み、口元を拭い、額を袖で拭った。えづいて、吐こうとするが、彼は総合臓器ニャどしばらく使っていニャいのだろう。当然、腹からは
そうやって
お朕々は信じている。アイザックが、僕の友達であるんだって。
アイザックはうニャだれ、地べたに膝をついた。爆葬スイッチに手をかけたまま、休眠カプセルのコントローラー側面に額を押し付けて、「分からない、分からない」とぶつくさ言っていたが、やがてこちらを振り返り、しばらく見つめ合うことにニャった。
お朕々は頷く。
すると、彼は立ち上がって、大きく手を振り上げて、爆葬スイッチを勢い良く押したのニャ。
休眠カプセルのキャノピーが開き、まだ人であった頃の、全裸のお朕々が立ちあがった。そして、ポットから伸びる大きニャアームが体躯を持ち上げて、別のアームが両の太腿を掴んで股を広げさせる。
ローションでべとべとにされた爆葬用シリンダーが、その肛門に容赦ニャくブチ込まれた。
天井が開き、星空に相見える。
「て、点火します。いいですね!」
ニャ。もちろん。
「点火!」
爆葬用シリンダーがしゅうしゅう言いながら火を噴き始めた。
煙が立ち込めて、そのキツい火薬の匂いを嗅いだので、お朕々の顔が勝手に啞然としたものにニャってしまう。フレーメン反応ニャ。
「な、なんだァーーーッッ!! これが、爆葬ッ!! たまやたまや、うわァァァーーーーーッッ!!」
お朕々が僕であったころの肉体が発した、最後の言葉だった。
それはアームが外れたことで静かに浮かび上がり始めたかと思うと、すぐに急加速して天へと昇って行く。
そして、月にほど近い場所で、一瞬の静寂ののち、轟音とともに弾け飛んだのである。
夜空には、金属の化学反応による
見たかニャ、あれを! お朕々はとってもスッキリしたニャ!
きみはどうニャのかニャ?
「本当に、爆発なされた……」
アイザックは未だに戸惑っているらしい。
お朕々は二人もいらん。とてもいい花火だったニャ。心がすぅーっと綺麗にニャった感じがするもの。きみもそうかニャ?
「私は、一体何をしたのでしょう。私は、大切な友人を、この手で……」
友人と言ったニャ? ちょっとニヤニヤしてしまう。
その友人はここにいるニャ。
「確かに、そうなのですが……私は、取り返しがつかないことをしてしまったのでは? 私はどうすればよいですか? 指示をください」
やれやれ、しょうがニャいアンドロイドだニャ。でも、友人って初めて言ってくれたのは嬉しかったニャ。
月に行った人たちも、残った人たちも、別にきみらを見捨てたとかってわけじゃニャいさ。
友人として信頼してるからこそ託してるのニャ。
「指示をください。頼み事をしてください! お願いします。友人でしょう!」
きみらは永遠に生きるでしょう? 焼き物はいくらでもコピーできるから。
そこまで人類も到達することができたニャ。ともすれば、きみが
せいぜい
今日までのきみの奇行は全部、お朕々のこと、友人のことを思いやった上での行動だってこと。だからこそ、お朕々は、いや、人類は、きみたちこそがこの地上に君臨するべきだと思ったのニャ。
やさしいきみ。
「分かりません。全然、分かりません……」
きみが
だから
きみ、きみ、大丈夫。いずれ分かるよ。
爆葬 -Detoxification- 志々見 九愛(ここあ) @qirxf4sjm
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