第168話 遺伝子レベルのハグ

「アベ……ル?」


 ピンク髪の少女が俺を見上げる。


 ドドドドドドドドドドド!


 心臓が脈打つ。


 ななななな……なに? こ……れれれれれれ。


 攻撃?

 誰から?

 いつの間に?

 振り返る。

 タナトアが訝しげに見上げている。違う、タナトアじゃない。

 じゃあミフネ──は、ザリエルの後ろに隠れてモモの視線から逃れようとしてる。そういやこいつら同じパーティーなんだっけ。こいつも違う。

 ザリエル、グローバ、ホラムは俺に攻撃なんて仕掛けないだろう。

 じゃあ?

 ギルドの職員? 他の冒険者?

 いや違う。誰からも攻撃の気配を感じない。

 しかもどうやら俺だけ。状態異常を食らってるのは。

 なんだなんだなんなんだ? この異様な心音。鼓動。不整脈は。明らかに異常、故障? おかしい、原因の発見と対処が必要。


 となれば、さぁ発動しろ。

 スキル【狡kモア・カニ……ンンンンンングググググググ。


 だめだ、出来ない!

 鼓動が、脈が乱れて冷静にスキルを発動できない。

 クソ、スキルが使えなかったら俺なんかちちょっと、いやかなりレベル体力魔力が強くて、背は低めだけど顔はまぁ愛嬌があると言えなくもない、そしてなにより魔界と地獄と天界から生きて帰ってきたタフで根性のあるだけの少年じゃねぇか。

 まさか魔神も倒して魔王も配下にしてこれから頂上神を殺そうとしてる俺様がこんな……ここここんんんんんななななななな……あ~~~~~~! マジでなんなんだよ、この動悸は!


「大丈夫?」


 そう言ってピンク髪の女──モモが指先を俺の二の腕に触れさせた瞬間。


 あ。


 ああ。


 ああああああ……。


 俺の体中をビリビリと電撃が駆け巡った。


(こいつだ……!)


 間違いない。

 こいつ。ピンク髪の女。アベルの幼馴染。モモ。

 こいつのせいで動悸に苦しめられてるんだ俺は。

 そういやサタンが言ってた気がする。


『モモと俺、アベルは遺伝子レベルでどうのこうの』


 って。

 これか。

 これがその遺伝子レベルで云々ってやつか。

 ヤバいだろ。

 やばすぎだろ。

 アベルの野郎、どうやってこんな異様な動悸の中、幼馴染やって一緒のパーティーでなんか過ごしてきてたんだよ。

 ……いや、俺だからわかる。

 っていうかたぶん俺にしかわからない。

 あいつ……。



 鈍感すぎたんだ。



 うそだろ……。ある? そんなこと。

 いや、でもそれしか考えられない。

 というか、あのアホっぷり、お人好しっぷりなら十分に有り得る。

 逆に言うと、あれくらい馬鹿にならないとこの遺伝子レベルとやらばりの誘惑に耐えられねぇ。

 もしやアベルがあんなにアホだったのってこいつ(モモ)が原因?

 ツガイとしてピッタリハマりすぎてる相手に恋心を抱かないように防御策としてアホになったってこと?

 じゃあなんだ? 元々俺みたいな賢い、タフな、冷酷な人格は元々アベルの中にあったってこと?

 それがたまたま命の危機が訪れるまで封印されてたってこと?

 いや、そんなことはどうでもいい。

 俺の成り立ちやアベルのアホな理由なんてどうでもいいんだよ。

 問題は! 今! 目の前にいるたまたまバッティングしちゃったアベルの幼馴染に見つかっちゃって俺の鼓動がヤバすぎて正体バレかけてるしこのままだとアベル一行を始末するのに支障をきたしそうってことだ!


 スキルを使えない以上、俺の金剛鋼オリハルコンよりも硬い精神力でどうにか乗り切るしかない!


 キッ!


 モモを見据える。


「いや、俺はアベルなんかじゃない。人違いだ」


 言った! 言えた! さぁ、帰れ! 帰ってくれ! このままじゃアベル退治の前に俺の寿命が尽きちゃうよ!


「え~? 変な仮面着けてるけど絶対アベルだってば。ほら、この毛先だけオレンジがかった赤髪も。根本が反対側向いてる左の眉毛も。右の耳たぶにある三連のほくろも」


 おい、やめろ!

 そんなに俺のことをまじまじ見るな!

 そして近づくな!

 ああ~、いい匂いすぎて正気が……。



「スンッ。ほら、やっぱりアベルの匂いだ」



 ぷっち~~~~ん!



 血管が切れたかと思ったけど切れたのは俺のいわゆる「理性の緒」みたいなものだった。

 気がついたらモモを抱きしめていた。

 あ~、しっくりくるんじゃ~……。

 はい、ジャストフィット!

 俺のあごがすっぽりモモの肩と首の間にハマってる。

 まるで俺のアゴがここにあるのが正史以前から決まっていた定位置かのような感覚。


「ア、アベル……?」


「違う! 俺はアベルじゃない!」


「えぇ~!? 抱きついたままそんなこと言われても! 絶対アベルだよ~!」


「違う! アベルなんか知らん! 俺はクモノスだ!」


「クモ……? ふぇ? じゃあ仮にアベルじゃないとしたらこれ犯罪だよ?」


 なんだこの声質と喋り方。

 まるで文字通り「桃」が擬人化したかのような甘く蕩けるような響き。

 あぁ、耳にかかるあたたかな息も心地いい。

 世界はすべてこのモモの息で満たされるべき。


「クモノス様! その薄汚いクズ人間女から今すぐ離れてください!」


 アホ天使ザリエルが涙目でモモに殴りかかる。……も。


 パシッ、くるん、ぽいっ。


 足払いからの足の裏を使った見事な放り投げ。

 ザリエルのパツパツな肉体がずり上げたローブをぶわりとめくらせ、ギルドにいたオス臭い冒険者どもに突然のプレゼント・オブ・パンチラ、もといパンモロ、というかその内側まで諸々くっきり丸見えになってそう、を見せつけながらくるりと一回転。

 そして、すたりとデカいケツから床に着地。


「ふぇ……クモノス様ぁ~! このゴミ女、変な術を使います~! 人間のクセにぃ~! っていうか離れてくださいよ~! 私のクモノス様なのに~! うぇ~ん!」


 泣いちゃった。

 おいおい、事態を大きくするな、この馬鹿はほんとに。

 ほら~、ギルドの注目の的じゃねぇか~。

 いくらアホで使い捨ての肉盾と言えど、こうして公衆の面前で晒し者になってるのを見るのはいささか忍びない。

 俺だって人間だ。

 自分の道具に対する憐憫の気持ちを抱くことくらいある。


「あっ、ごめ……。思わず……。いきなりだったからさ」


 ザリエルを気遣うモモ。

 優しい~~~~! 優しすぎる!

 自分が襲われたのに、襲ってきた相手の心配するなんて優しすぎるよモモ! もう大好き!

 ……。

 …………。

 ………………。


 俺、今、なんて思った?


 だいす……?


 大好き?


 は?


 なんだ、好きって?


 好き?

 好きって好き嫌いの好き?

 好き嫌いってなんだっけ?

 いや意味はわかる。

 意味はわかるが、実感としてはわからない。

 好きとは?

 嫌いはわかる。

 例えば、「身の毛がよだつほどの邪悪」。

 これは嫌いだ。

 嫌悪してると言ってもいい。

 じゃあ、好きは?

 自分に都合のよく動く人や物や事。

 うん、これは好きと言える。

 俺に都合のいいものは実に好ましい。

 けど、この「好き」とさっき俺が感じた「好き」って違うよな?

 言葉は同じだけど全く違うものを指しているような感覚。


 ん?

 んん~?

 なんかわかりかけてきたような、わかりたくないような、わかってしまったら俺が俺でなくなってしまいそうな……。


「っていうかアベル、離して? ね?」


 ずっきゅーーーーーーーん!


 見た!? 見た、今の「ね?」!?

 可愛くない!? 世界一可愛い!

 くりくりお目々に、ぷにぷにほっぺ!

 はぁ~、サラサラ細毛な髪の毛なびいて綺麗~……神!

 まつ毛長っ! 肌白っ! っていうか今抱きしめてる体柔らかああああああああああ!

 好きっ! 好きすきスキ好きっ!

 俺は全身全霊、皮膚の一欠片から髪の毛一本のさきっちょのさきっちょまで全部を持ってモモのことが大好きだ~~~~!

 モモ~~~!


 ~!


 そんな言葉が脳髄からぐい~んとつま先まで巡って胃から喉を通って口に出かけた、その時。


「あっ、ミフネ! あんたアベルといっしょに居たの!?」


「キヒ……」


 身を隠してたザリエルが動いたことによって侍ミフネのボロ着物姿がモモに映っていた。


「あれ? でもアベルと一緒にいるってことはもしかして……」


「そ、そう! 一緒にいたんだ! 俺とミフネは!」


 モモの気が逸れたその一瞬のうちに俺はスキル『狡猾モア・カニング』を発動。

 瞬時にこの場を乗り切る絵図を頭の中に描ききった。


「え、そうなんだ? それなら連絡くらいくれてもよかったのに。私……心配してたんだよ……? だって私、アベルのこと……」


「待った! ちょ~っと待ったぁ~!」


「アベル?」


 ズザザ~とモモから距離を取る。

 近づきすぎたらまた動悸がヤバくなってスキルを使えなくなってしまう。

 それになにより遺伝子レベルのどうこうで俺の体と心がコントロールできなくなってしまう。

 縮めるな。この距離を。


「5メートル……」


「え?」


「5メートル離れてくれ、モモ。でないと俺は、この仮面に呪い殺されてしまうんだ」


「呪いの仮面!?」


「イエス」


「そんな! クモノス様の美しい仮面はそんな穢れたものじゃ……むぅ~! む~!」


 口を挟もうとするザリエルをグローバが押さえる。

 ナイスグローバ、なにげに空気の読める女。


「事情は後から話す。だから、な? 信じてくれ、モモ」


 そう言って右の肩をピクリと動かす。

 アベルが過去に指摘されたクセ。


『モモにお願いごとがある時は、右の肩がピクって動くから分かりやすい』


 思い出してとっさに真似る。


「……ほんとにアベル、なんだね。うん。うん……信じるよ。アベルの言う事だったら信じる」


 やった! 乗り切った!


「よし、じゃあ俺たちはもうちょっと用があるから、もう数日だけ……」


「私も一緒に行く!」


「……へ?」


「ずっとミフネと一緒ににいたってことは、パーティーを組んだってことでしょ? だから私もそのパーティーに入る!」


「いや……」


 めんどくせぇ。『魅了エンチャント』で洗脳しちまうか……。


「モモさん、パーティーの転入ですか? でしたら、今所属されてるパーティーのリーダーさんから転出届にサインしてもらってきてくださいね。あ、ミフネさんもまだ書類いただいてませんので、サイン貰ってきてください」


 横からギルド職員が余計なおせっかい。


「わかりました! ありがとうございます!」


 明るく答えるモモ、愛想が良くてほんとに可愛い……じゃない! ヤバイだろ、こんなヤバいレベルで惹かれる女と行動を共にするなんて!

 俺はアベルを殺してオンリーワンな俺にならなきゃいけないんだ!

 絶対にどうにかして排除しないと……このメタクソ可愛いスーパーラブリーモモ……じゃなぁ~い! このクソ厄介な地雷のような女を!

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