第112話 声の魔力

 ディー。


 まるで月の光をあやしく反射しているかのようにつややかにきらめく銀白色の髪の女。

 褐色の肌、頭と口元を覆った半透明のベール、額につけられた赤い朱点は、彼女が南方なんぽうかのように印象付ける。

 切れ長のツリ目に覆いかぶさった睫毛まつげは、ありえないくらいに長く、そして反り返っている。

 ベールの下にかすかに見える口元は、ぼってりとしていて非常に官能的。

 テラテラとした衣に包んだ肉体にいたっては、もう筆舌ひつぜつくしがたい。

 まさに──。

 男の情欲じょうよくをそそるためだけに存在しているかのような女。


 そして、この女は。

 メダニアの町を裏から仕切る娼館「絶壁クリフ・ブラセル」のボスでもある。


 カラ、カラカラカラ、カラン。


 ディーの右手に持ったクルミが、くるくると回って音を立てる。

 その右手は、彼女のスキル『手首スナップ』によってものすごい速さで動いている。


 手の中にいくつのクルミが握られているのか。

 途中で増えているのか。

 それとも減っているのか。

 それすらもわからない。


 そう、目で見ている限りでは。


 でも残念、ボクには。



 【軌道予測プレディクション



 これがあるんだ。

 ケンタウロスのヘイトスから奪ったこのスキルが。


 スローモーション状の灰色世界に描かれる『未来の軌道』を読み取る。



 □ ディーの右手からクルミが二つ同時に投げられる。

 □ そのクルミは、ボクの後ろにいるリサとルゥの顔めがけて一直線に飛んでいく。



 【身体強化フィジカル・バースト



 パシ、パシッ!



 読んだ軌道上に両手を差し出してクルミを受け止める。

 そして。


 グッ──!


 バリッ!


 パラパラ……。


 手を開いてくだいたクルミを地面に落とす。


「あ、ありがと……ルード……」

「ルードさん、守ってくれてありがとうございます」


 感謝をげる二人に目で返事をすると、ボクは胸のうちにふつふつといてくる怒りを抑え、いまだ横柄おうへいに椅子にふんぞり返っているエルフへと声をかける。


「ボクは、ボクの大事な人を守るためにここに来たんだけどな……」


 相手は人間──というかエルフだ。

 しかも褐色肌。

 エルフなのか、ダークエルフなのかもわからない。

 魔物相手のように単純に「さぁ殺し合いだ」というわけにはいかない。


『ダークエルフなら魔の領域だからオレ様にはわかるはずなんだが……ありゃあんまりピンとこねぇな。ただの色黒のエルフなんじゃねぇのか?』


 サタンの漏らした感想により、ディーの正体に一歩近づく。


 色黒エルフ。

 それがなんでこんな辺境へんきょうの街で娼館を?

 肌を褐色に焼いてる理由は?

 そもそも頭からかけられたベールによって、エルフの特徴である長耳が見えていない。

 おそらく、ほとんどの者が彼女がエルフであることに気づいていないんじゃないだろうか。


 さぁ、これらの情報がこの交渉でどう役に立つのか。

 どうやったらボクらの身の安全を約束させられるのか。

 駆け引きの手札てふだは多いに越したことはない。

 ボクは手元にそろった手札を一旦いったん伏せて、まずは向こうの出方でかたうかがう。


 ディーが、そのぬらぬらと光る口を開いた。


「反射神経と目がいい美少女。金髪のスレンダー美少女。柔和にゅうわな緑髪美少女。青髪好色女こうしょくじょ。金髪幼女。全部で金貨十四枚で買い取ろう。ドミー、下がっていいぞ」


「いえ、あねさん……実は買い取って欲しいってわけじゃなくて、その……」


「なんだ? また私に相手でもしてほしいとでも言うのか?」


「いえ、そんな……! 相手してもらったとしても、また手だけですぐにあれッスから……えへへ……っと、ゴホンっ!」


 リサたちの冷たい視線に慌てて言葉をにごすドミー。


(手だけで「あれ」……? あれって一体なんだ……)


『カカカ! おめぇはまだ知らなくていいんじゃねぇか?』


 なんだか上から目線なサタンの言葉にムッとしていると。


「ちょっと! そこのババア! 何勝手に人に値段つけてんのよ! 何様よ、あんた!」


 リサがブチギレた。


「そうですよ! それに私たちを誘拐ゆうかいしようとして! 謝ってください!」


 珍しくルゥも怒りをあらわにしてる。


「だぁ~れが青髪好色女こうしょくじょですってぇ? この美しいプロポーションは、わたくしが世界の歌姫であることを際立きわだたせるためのただのかざりにすぎませんのにぃ」


 セレアナはセレアナで、彼女特有の独特な価値観で反論してる。


「わがはいが、金髪幼女だけの評価だと──? このわがはいが……。まったく、なんという節穴ふしあななのじゃ、貴様の目は……」


 テスもテスで、そこに引っかかってるの?


「ななな、なんなんですかぁ……このいかがわしい場所は! ダ、ダメですよ! こんな淫猥いんわいの象徴みたいな場所! ダメ! 絶対ダメです! そ、即刻撤去てっきょしてくださぁい!」


 真面目なラルクくん。

 それぞれがディーへ言葉をぶつける。


「はぁ……ドミー。貴様、もしかしてこいつらをさらおうとして、逆にやられてここに連れてきたのか……?」


「いやぁ~、そのぉ~……ぶべっ!」


 クルミがドミーの額に直撃する。


「言っておくが」


 オレたちの方を向くディー。

 その顔には、「不快」としか言いようのない腐れ外道の笑みが張り付いている。


「私になにか文句を言うってんならお門違いだからな? 私はあんたらの誘拐だなんて、な~んにも知らない。ただ、誰かが連れてきた女を買い取ってるだけ。それで? それを踏まえた上で、私に何の用ってんだい?」


 あぁ……今、わかった気がする。

 この街が腐ってる理由。


「おやおや、何も言い返せないのかい? ちょっとクルミをキャッチすることが出来ただけでいい気になった? ばっかじゃないのかい? そりゃ私が投げてやってるのがクルミだからキャッチ出来ただけだろうが。もし、他のものを投げてたら? 手で受け止められないものを投げてたら? 同時に何発も投げてたら? それでもどうにか出来たって言うのかい!? あぁん!?」


 ディーは言葉に乗せる魔力を増加させ、一気にまくしたてる。


「ハッ! しょせんは人が優しくしてやってる手のひらの上ではしゃいでるだけの小娘どもが! この私に生意気な口を叩いてるんじゃないよ、身の程を知りな!」


 声に乗せた魔力にされ、ドミーやラルクくんは後ずさっている。


 でも。


 おいおい、エルフさん。

 ボクたちを誰だと思ってるんだ?


 魔神(仮)に。

 魔物に。

 元魔物上位種の現人間に。

 悪魔界序列一位の大悪魔なんだぜ?


 声に魔力を乗せる。

 魔力に晒され慣れていない人間相手なら、それも有効な手段なんだろう。

 でもね。

 本当に声に魔力を乗せるっていうのは──。


「セレアナ、一言言ってやってくれ」


「あぁら、ルード。なかなかいいところでわたくしに出番を振ってくるじゃありませんの」



 【美声ビューティー・ボイス



「身の程をわきまえるのは、あなたの方ですわぁ!」



 ひと こと 。



 小手先の技術のディーとは比べ物にならないくらいの圧倒的な声による感情の強制力。

 それはセレアナの信念、心の強さから来ているものだ。

 彼女の芯の強さと比べたら、ディー。

 お前なんてペラッペラすぎるんだよ。


 ドミーとラルクくんも夢から覚めたかのように目を見開いている。


 さぁ、反撃を開始しようか。


 相手がクズであることが判明した。

 責任から逃れ、エルフという種族を隠し、人間と比べれば大きい魔力を利用し、ここに君臨くんりんしてきたメダニアの王。

 もう、なにも躊躇ちゅうちょする必要はない。


 始めるとしよう。

 交渉という名の。

 口撃を。


 仲間たちの発言。

 それをひっくるめて伝えるとしたら。


 ボクたちに手を出すな?

 誘拐をやめさせろ?

 教会を攻撃するな?


 いいや……違うな。


「ディー。ボクたちは──」


 うん、こうだ。


「この壁を、ぶち壊しに来た!」

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