第113話 壁に響いた叫び声

「壊す──だと? 貴様……そんな口を叩いて無事で帰られると思ってるのか?」


 ビキビキッ──っとベールの上からでもディーのこめかみに血管が浮き立ったのがわかる。


「ああ、帰れる。余裕で帰る。鼻歌でも歌いながら余裕で帰るさ。それでもって教会のおんぼろベッドでみんなで寄り添い合って寝るんだ」


「おんぼろで悪かったですね……。清貧せいひんこそ神のきし大切な教えですよ」


 空気を読まずに茶々ちゃちゃを入れてくるラルクくん。

 うん、せっかくだから彼に話を振ってみよう。


清貧せいひんおもんじる神父ラルクくん。キミにとってどうだい、この場所は?」


 ラルクくんは一瞬まゆをひそめた後、聖職者の顔になった。


醜悪しゅうあく、の一言ですね。なんですか、この悪趣味な部屋は! それにこうも! いいですか、まずは換気をよくして空気を入れ替える! そうすればほこりも外に飛んでいきます! それからものを捨てる! そして拭き掃除です! この部屋、いや、この町に足りないのは、その清潔さです! ……って、あう……はい、思います……」


 ピシッと言い終わった後、途端とたんに戻って口ごもるところがラルクくんらしい。

 でも、いいことを言ってくれた。


「聞いたか、ディー? お前はこの町に積もった『ほこり』だ。こんな風通しの悪い壁の中に閉じこもってるから、お前みたいな人間──人間と言っていいのか……? なぁ、ドミー! ディーは人間か!?」


 突然話を振られたドミーが慌てふためく。


「ええっ!? 何を言ってるんスか、人間に決まってるじゃないスか! ルードのあねさん、ディーさんをこれ以上怒らせないほうが……」


「へぇ~……なぁ、ディー。お前人間らしいぞ? お前が内心見下してるだろう人間。ちょっと声に魔力を乗せただけで気圧けおされるような軟弱な人間。それと同等だと思われてる、いや、思わせてるんだよなぁ?」


 少し離れ目なディーの切れ長のツリ目。

 その眉間みけんに力が入る。



「違うか? ──エルフの、ディーさん?」



 ピクッ──。


 ディーの眉が上がった。


「エ、エルフ!?」


 ドミーが驚きの声を上げる。


「気づかなかったか? これまでにディーの耳を見たことは?」


「いや、ないっスけど……。いつもベールを被ってるんで……。ってか、そばに寄ることすらなかなか出来るようなかたじゃないっスよ」


 カラカラカラカラ……。


 ディーの右手のクルミの回転が早くなる。



 【軌道予測プレディクション



 大丈夫、まだ何も飛んでくる様子はない。

 ボクは続けて煽る。


「辺境の街で娼館を仕切る色黒のエルフ。なんでそんなに肌を焼いてるんだ? ダークエルフにでも憧れてたのか? それとも──そんなに必死に正体を隠したかった?」


「さっきから知ったようなことをグチグチと!」



 カラ……ババッ──!



 【軌道予測プレディクション



 ボクの読んだ未来の軌道。



 □ ディーの右手からとがった鉄のつぶてが投げられる。

 □ 三発、三方へと軌道は伸びる。

 □ ボクの喉、ドミーの額、ラルクくんの右目に直撃する。



 やはり武器を持ち替えてきたか──!

 しかも距離の離れた三方向。

 手を伸ばすだけじゃ届かない!



 【身体強化フィジカル・バースト



 強化した肉体で瞬時に二つの鉄礫てつつぶてを受け止める。



 【腐食コロション



 ジュッ……!



 ボクの体に触れると同時に、腐れ落ちる鉄礫てつつぶて


「ヒッ──!」


 今、まさに殺されかけていたということを理解したドミーが腰を抜かす。


 そして、残った一つの鉄礫てつつぶては──。



 【投触手ピッチ・テンタクル

 【腐食コロション



 ボクが軌道上に投げた「触手」に触れた瞬間、やはりジュッ……っという音を上げて腐れ落ちた。


「何だそれは……どこから出した? 貴様のスキルか? それにどうやった私の鉄菱てつびしを……」


「へぇ、それ鉄菱てつびしっていうんだ? どうやったって? ちょっと腐らせただけだけど?」


「腐……らせた、だと? 鉄を? どうやっ……スキル……? いや、しかしスキルは一人一つしか持てぬはず……」


 さっきまでリラックスして椅子にもたれかかっていたディー。

 その彼女の豊満な体が起き上がり、前のめりになる。


「あいにくボクは──特殊体質でね」


「特殊体質だ? ハッ、そんなものがいてたまるか! 私がどれだけ長い時を生きてきたと思う!? スキルは最大で一人一つ! それは人間でも、魔物でもだ! そのことわりに反するというのなら──」


「そうだね」



 【暗黒爪ダーククロー



 ザシュッ──!



 ディーが右手を置いている辺り。

 そこを巨大な魔力の爪で斜めに切り裂く。

 あの、地下ダンジョンの壁のように。


「たしかにボクはことわりに反してるかもしれない。どうも百年に一回の不幸を引き当てちゃったみたいでね」



 バララッ……。

 カランカランカラーン……。



 こぼれ落ちてきたのは隠されていた武器の数々。

 おそらく、高速に動く手首の動きでこれらの武器を使い分けて敵をほうむってきたのだろう。

 ここに護衛がいないのも、そもそも彼女に護衛なんて必要ないから。

 彼女の武器投げだけで十分対処してこれたんだろう。

 そう、これまでは。


「貴様ッ! どうなっている!? なぜ、そんなにいくつもスキルを……!? ハッ──! そうか、職業特性だな! それか仲間が隠れてスキルを発動させてるに違いない! ああ、わかった! そうと分かれば恐れることはない! 貴様ら全員をここで葬ってやるぞ! この絶壁クリフ・ブラセルには欠損のある女ばかりをでる連中もいる! 貴様らもそいつらのおもちゃにしてやろう! さぁ、インチキ女! 両手を使った私を止められるか!? 同時に投げられる武器の数は八つだぞ! 止められるもんなら止めてみなっ!」



 興奮気味に椅子から立ち上がり、床に散らばった武器を拾おうとするディー。


「止めるだって? そんなことはしないさ」


「ハハッ! ついに観念かんねんしたか! そのままいさぎよく私に凌辱りょうじょくされるのがいい! たっぷりともてあそんでやるよっ!」


「いや、そうもならない。なぜなら、お前は──」



 【虚勢ブラフ



「もう二度と、武器を手に持つことが出来ないから」



 しゃがみこんだディーが、武器を拾おうと手を伸ばす。


 も。


「も……持て、ない……。なんで……。なんで武器が持てないんだよぉぉぉぉ!」


 ディーは、床に落ちた武器を掴むことが出来ない。

 その手は武器の上を数度彷徨さまよった後、すべてをあきらめたかのように力なく垂れた。


「ふ~ん、エルフの魔法抵抗力ってこの程度なんだ?」


「くっ……貴様……!」


 地面にへたり込んだディーは、最後のプライドを掻き立ててボクを睨みつける。


「ドミー! こいつらを今すぐ殺せ! 殺せば金銀財宝なんでもくれてやろう! ああ、絶壁クリフ・ブラセルの管理者に引き立てってやってもいい! そうだ、私を抱かせてやろう! どうだ、こんな名誉なことはないぞ! いまだ誰も抱いたことのない私を抱けるのだ! さぁ、ドミー! 殺せっ! そいつらをっ!」


 一縷いちるの望みをかけてドミーへと命令をくだすディー。

 しかしあせりからか、その声に魔力は乗っていない。

 少しれた濁声だみごえ

 それが、彼女の素の声だった。


「あ~、いや~……ムリっすね、これ。ほら、大体オレって、ルードのあねさんたちにボコられたから、ここまで連れてくることになったんスよ? それにこのルードのあねさんは、ここで見せた以外にも催眠術っぽいのとかも使えるんス。ちょっと普通じゃないんスよね。つ~ことで……ムリッス! 今までお世話になりましたって感じっス」


「ドミー、貴様……! 今まで散々にいい思いさせてやったのを忘れたかっ!」


「いい思い……なんてしましたっけ? ちょっとオレ頭悪いんで覚えてないっスね」


「き、さ、ま、ァ……! クソォ……! 武器さえ、武器さえ手にできれば……!」


 ディーは、いつくばったままうらめしそうにドミーにガンを飛ばす。


あわれなもんだな。ま、つってもオレ様を取り込んでるお前を相手にしてんだ。運が悪かったとしか言いようがねぇな』


 ザッ。


 ディーに向かって一歩踏み出す。


「ヒッ──!」


 顔におそれの色を貼り付けたディーが後ろへ後ずさっていく。

 薄衣うすぎぬがはだけ、開いた大股が目に入ってくる。

 しかし、その無様ぶざまな格好には、もはや色香いろか微塵みじんも漂っていない。


「森を捨て、壁の中で築いたお前の小さな帝国。それも、ここで終わりだ」


「た、たのむ……! やめて……許して……もうさらったりしない……! 娼館もやめる! そ、そうだ……私を抱いてもいい! ほら、エルフだぞ!? 普段、人間ごときが目にすることも出来ない高貴な存在だぞ!? しかも生娘きむすめだ! ほら、どうだっ!? だから、だから頼むから……!」


「今さら話し合い? ボクはずっと話し合いをしようとしてたのに? 手を出して来たのはそっちだよね?」


 笑顔で、さらにもう一歩踏み出す。


「あ、あわわ……。なんだ……なんなんだ、お前たちはぁ……!」


 ディーノの腰のあたりに生温かい液体がこぼれ落ち、波紋はもん状にシミが広がっていく。


「ボクたちが何かって? ボクたちはね、逃げ出してきたんだよ。ディー、お前がこれまでにずっとしてきたような残虐な人さらい──いや、死の運命から」


「な、なにを意味のわからないことを……!」


「わからなくていい。こんなところで正体を隠して人間を食い物にしてるお前には、一生理解できないと思うから」


「理解……理解なんか出来なくてもぉぉぉぉ!」



 ザッ!



 ディーは素早く立ち上がると。



 ガリッ──!



 ボクの頬を引っ掻いた。



「ルード!」

「ルードさんっ!」


「ぎゃははははは! やった! やってやったぁぁぁぁぁ! 油断しやがってボケがァ! 持てなくても最初っからめてたんだよ! 爪に! この鉄爪てっぴで切りつけられたやつは、すぐに毒が回ってお陀仏だぶつだよ! さぁ、泡吹あわふいて死にな、化け物!」 


「化け物、ってのはヒドいなぁ」


「……は? なんで貴様、無傷……?」



 【石化ストーン・ノート



 ルゥからの贈り物。

 この石化スキルで、ボクは頬だけを石に変えていた。


「……は? 頬が、石……? じゃあ、私の爪は……?」


 パリンっ。


 クルクルクル……。


 プスッ!


 折れた爪が宙を舞い、露わになったディーのふとももへと突き刺さる。


「? ……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 僻地の町の城壁に、娼婦ディーの絶叫がこだました。

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