第75話 男と男の約束

「な……なっ……お前……!?」


 赤地に白の水玉ワンピース、赤いローファー、白い靴下。金髪ロングの頭のてっぺんからは、馬鹿みたいなアホ毛が二本伸びている。


「おまえ大悪魔、なのか……?」


 少女というより幼女に近い。かといって童女というほどでもない。その金髪の子供は、オレの顔をポゥっとした表情で見上げると信じられないほど間の抜けた声で言った。


「わがはい、だいあくま、テス・メザリア。だんじょんと切り離されたゆえ、あと二時間でしょうめつの危機」


「は? 消滅? 消滅って消える消滅?」


「ごめいとう。わがはい、あと二時間できえる。わがはいの根幹をなすスキル博識エルダイトの力がうしなわれたとき、わがはいは消滅する」


 スキルが根幹をなす魔物。

 透明人間のインビジブル・ストーカーやバンパイアのリサ、ゴーゴンのルゥもそうだったな。

 彼らはスキルが失われたら人間になっていた。


 だが、世界で常に一人だけ存在する大悪魔。

 もし、こいつのスキルが失われた場合──その個体が人間になるんじゃなくて、新しい大悪魔が生成されるってことだろうか?


「……ん? ちょっと待て、お前が消えたらダンジョンはどうなる?」


「わがはい……わがはいが消えたら、また新たなだんじょんが作り出されるだろうな。あらたな大悪魔を生み出すために」


 幼女大悪魔は危機感のかけらもない様子で人差し指を咥えている。


「え、じゃあ中にいるオルクたちは……」


「ぴしゃっ」


 両の手のひらを合わせる。


「それが、あと……?」


「二時間」


「なんで二時間ってわかる?」


博識エルダイトが六分間でコンマ三パーセント消滅した。このぺーすだと、あと二時間で、わがはい、かんぜん消滅」


「なっ──!」



 名前:テス・メザリア

 種族:大悪魔

 レベル:22

 体力:44

 魔力:1578

 スキル:【博識エルダイト37.7%】



 とっさに鑑定眼アプレイザル・アイズを使ってしまう。

 たしかに……減ってる気がする。……減ってるよな?

 前に鑑定したのが、こいつがララリウムでダンジョン壁と一体化してるときだったからハッキリとは覚えてないが、多分減ってる。

 オレの魔力も残し少ないからなるべく節約したかったんだが、こいつの言う「二時間後に消滅」が本当なのだとしたら……。


「トラジロー! ここから閻魔とやらのところまではどれくらいかかる!?」


「ひぃ! お兄ちゃん、大きな声ださないでよぅ……びっくりしてまたおしっこ漏れちゃったよぅ……」


「きさま、きたならしいガキ。ちかよるな、けがらわしい」


「こらっ! 汚いなんて言っちゃダメだろ!」


 ゴチンっ!


 あ、ヤバっ……。

 子供の見た目に釣られて思わずゲンコツしちゃった……。

 これでも、もしダンジョンの消滅が早まったりしたら……。

 いやいや、っていうかそもそも子供だからってゲンコツしていいわけじゃないしな……。


「あ、ごめ……」


「うぅぅ……」


 両手で頭を押さえて目に涙を浮かべる幼女大悪魔。


「フィード……命の恩人……わがはいの、ほごしゃ……これは、きょういくの一環……だから、わがはい、がまん……ぜったいに、なかない……う……うぅ……」


 幼女大悪魔の目に見る見る涙が溜まっていく。


 ……ん? 保護者?

 幼女化する直前に恩を売るようなことを繰り返し言ったから変に刷り込まれちゃってるのか……?

 それとも……これが大悪魔の姑息な生き残り戦術なのか。

 こんな状態の大悪魔では一人で地獄から脱出するなんて不可能だろうからな。


 そんなことを考えていると、バッと両手を広げてトラジローが幼女大悪魔の前に立ちふさがった。


「お、お兄ちゃん、殴ったりしたらダメだよぅ……。それじゃ鬼婆と一緒だよぅ……。ボクが汚いのは事実だから、この子を怒っちゃだめだよぅ……」


 見れば手の指はふるふると震えていて、内股になってるふとももからはしずくが垂れてきている。

 トラジローは、勇気を出して大悪魔をかばったんだ。

 怖いだろうに。

 馬鹿にされて悔しかっただろうに。

 己がすぐにお漏らしをしてしまう餓鬼の身に落とされてなお。

 こんなに子供なのにも関わらず。


 その勇気にオレは心を射抜かれ、ハッと一人の人物を思い出していた。


 元ツヴァ組の老トロール。


 彼の中に見た、黄金の精神。

 それと同じものが、こんな世界の果ての。

 こんな小さな子供の中にもあったんだな。


 オレは尊敬の念を込め、トラジローに優しく微笑みかける。


「こめんな。もうしない。約束する」


「ほんと?」


「ほんとだ」


「約束だよぅ……?」


「ああ、男と男の約束だ」


 膝をかがめ小さく拳を突き出すと、トラジローはおそるおそるちょこんと拳を合わせてきた。


「それと大悪魔」


「だいあくまじゃない、わがはい、テス。テス・メザリア」


「よし、じゃあテス。トラジローは地獄で罰を受けてるから漏らしちゃうんだ。汚いとか言っちゃダメだぞ」


「しかし、にょーは、はいしゅつじはキレイだけど、出てすぐわるい毒素がふえていって……」


「テス」


「ぁぅ……」


「そういう御託ごたくを聞いてるんじゃないんだ。相手の事情も知らないのに、一方的にののしったりけなしたりしちゃダメだ。わかったか?」


「しかし、すべての人の、じじょうを知ることはできな……」


「そう出来ない。全ての人の事情を知ることは出来ないよな。じゃあどうするか? 想像するんだ。『なんでこの子は漏らしちゃったんだろう?』『きっとなにか事情があるんじゃないかな?』って。そう思ったら、汚いなんて言葉出てこないはずだぞ」


「ぁぅ……たしかに……そうかも……」


 悔しそうに言葉をつまらせるテス。


 ハァ……なんでオレはこんな子守みたいなことを……。

 大悪魔は、親からちゃんとしつけを受けたりしなかったんだろうか。


 ……あっ。


 いないんだ、多分。

 大悪魔には親が。

 ほら、死んだらすぐダンジョンになって次の個体が生まれるから。

 さらに、そういう個体の知識がずっとスキルで積み重ねられてきたから、あんな高慢ちきで思いやりのない性格になったのかもしれない。


 親の愛を知らない、頭でっかちの哀れな悪魔。

 きっと──膨大な知識量と、悪魔界序列一位ってことだけがヤツの心の支えだったのかもしれない。


 相手の事情を知らなかったのはオレも同じ、ってことか。


「よし、それじゃあテスは、ちゃんとトラジローと仲良く出来るな?」


 テスは、もじもじと胸の前で人差し指をすり合わせたあと、頬を膨らませて「……ぅん」と呟いた。


「いいか? 相手の事情を想像して接するってことを『優しさ』っていうんだ。これで、これからテスはトラジローに優しくしてあげられる」


「やさし……さ……」


「そう、優しさ」


 キョトンとした顔をするテスを見ながら、オレは自分にも言い聞かせる。


 優しさ。

 それは、オレにも足りていなかったものだ。

 生きるのに必死で生み出した残忍で冷徹で強い「フィード」。

 だが、その対となる「アベル」は、ただ弱いだけだった。

 けど、見つかった。

 アベルは、想像力で、「優しさ」でいく。

 きっと優しさで切り開いていける未来だってあるはずだ。


 オレは、テスに言い聞かせながら、そんなことを自分にも言い聞かせていた。


「よし、じゃあトラジロー、閻魔のとこまで案内してくれるか? この子を元の場所まで送り届けてやらないとだからな」


「うん! ここからたぶん一時間くらいだよ!」


 トラジローは元気よく返事をすると、テスの手を引いて意気揚々と歩き出した。


「ちょ、きさま……なにを……」


「ま、迷子にまったらいけないからね、えへへ……」


「はなせ、わがはいは、そんなこどもでは……」


「はいはい、お兄ちゃんの言う事は聞く」


「だ、だれが、お兄ちゃんだ……」


 オレは二人の背中を微笑ましく見つめながら、よいしょとプロテムを担ぎ上げた。



 【ダンジョンから切り離された大悪魔の存在消滅まで あと一時間五十八分】

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