第76話 ミフネの母

 瀕死のローパープロテム。

 プロテムを背負ったオレ。

 水玉ワンピの金髪少女テス。

 テスの手を引く餓鬼のトラジロー。

 地獄の中でも一際ひときわ目を引く奇妙な組み合わせのオレたちは、元の世界へと戻るべく閻魔の元へと向かっていた。


 じゃりっ、じゃりっ。


 最短で閻魔のもとに着くために、石を積み上げている餓鬼たちを間をすり抜け、賽の河原の砂利道を歩いていく。

 十分ほど歩いたあたりで一人の女性が声をかけてきた。


「あなた……あなたからは私の息子の匂いがします……」


 頭髪が抜け落ち、頬がコケ落ち、腹が異様に膨らんだその女性。

 関わらない方がよさそうだなと感じ、断りを入れる。


「……はい? すみませんが、急いでますので……」


 するとその女性はガッ! っとオレの手を掴むと鼻をこすりつけてスンスンと匂いを嗅いだ。


「ちょっ! なにするんですか!」


 女性から漂うすえた臭いに若干の不快さを感じつつ、女性の手を振り払う。


「ミフネ……私の息子はミフネと言います……」


 意外な名前にキョトンとする。


「? ミフネって、もしかして……侍のミフネ? オレ、一緒のパーティーにいましたけど」


「ああ、やはり! あなたは息子と一緒にいたのですね!」


「ええ、いましたよ。あまりいい思い出はないのですが……」


「すみません、すみません、息子が迷惑をかけて……私の育て方が間違っていたばかりに……」


 キヒヒ笑いのミフネの母。

 それがなぜ地獄に?

 一刻を争うオレたちだが、これは時間を費やしてでも話を聞いておく必要がありそうだ。


「すみません、オレたち急いでいるので、歩きながらでよかったら話を聞けますけど」


「あら、そちらの方はお怪我を?」


 こちらの言葉を無視して話しかけてくる女性に戸惑いつつも話を合わせる。


「ええ、地上から落ちてきまして。残り二時間のうちに彼を上に戻さないとヤバいんです」


 話をかいつまみすぎだけど、この人にはこれくらいの感じでよさそうだ。


「まぁ大変。じゃあ治さないと」


「そうなんです。だから急いでるんです……って、え? 治す? うわっ!」


 ドサッ……!


 急に押し倒されるオレ。


「お兄ちゃん……!?」


 前を歩いていたトラジローとテスが駆け寄ってくる。


「ちょ……ちょっと! なにを……!」


 餓鬼の体──土色でひび割れていてすえた臭いの漂う体が、仰向けになったオレの腰から上半身の方へとぬめっと這ってくる。


「ちょっと! ミフネのお母さ……んぶっ!」


 膨らんだ腹に顔が覆い尽くされ、息が詰まる。


「む……ぶはぁっ!」


 なんとか腹の下から抜け出すと、ミフネの母はプロテムになにかを塗り込んでいた。


「ちょっと! なにしてるんで……」


 あまりの身勝手さに腹を立てて肩をつかもうとしたオレを、プロテムの一本だけ残った触手が制止する。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私があの子をあんなふうに育てちゃったから……ちゃんとお詫びします……ちゃんと治します……だから許して……ごめんなさい……」


 ひたすら謝りながらなにかを塗りたくるミフネ母。

 そのあまりに沈痛な様子に、責める気持ちが沈んでいく。


「あんなふうに育てた、ってのは?」


 背中からそっと声をかけた。


「私が……私が厳しく育てすぎたせいで、あの子はあんな……あんな…………」


「あんな?」


「あんな……殺人鬼に……」


「殺人鬼!?」


 意外な言葉に思わず大声が出る。


「お兄ちゃん、ここには罪の軽い人しかいないよぅ。殺人鬼なんていたら、即地獄行きだよぅ」


「? ここは地獄じゃないのか?」


「正確には、ここは地獄の入り口。閻魔様の裁きを受けて、あの川の向こう側に渡ったら正真正銘の地獄なんだよぅ」


「なるほど。じゃあ、もしテスが川の向こう側に落ちてたら、助からなかったわけだ」


「そうだよぅ。こっち側なら、まだたまに生きてる人間が迷いこんでくるから引き返せるんだよぅ」


 ぶる……。


「どうした、テス? 震えてるぞ?」


「わがはい、ふるえてなんかいない……!」


「そうか? そのわりには顔が真っ青だけど?」


「そ、それは、水に浸かってたから……! フィードがはやく助けにこなかったから……」


「へぇ~? あんなにオレを殺そうとしてたくせに助けを待ってたのか?」


「ちが……ぅぅ……」


 なんだろう、子供の姿になると性格まで子供になるのかな?

 思わずついついからかってしまう。

 それにしても。

 急な大声を聞いたにも関わらずトラジローにお漏らしの様子はない。

 たぶん、妹分のテスの前だから頑張って我慢してのだろう。

 微笑ましいことだ。

 今も二人はギュッと仲睦まじく手を繋いでいて、まるで本物の兄妹かのようだ。


「それより、ミフネのお母さん。ミフネが殺人鬼ってどういうことなんですか? オレとパーティーを組んでた時は、そんな素振りはなかったですけど」


 プロテムに張り付いたままのミフネ母に声をかける。

 彼女は首だけくるんと後ろに向けると訥々とつとつと語りだした。


「あの子は……よく出来た子でした。私にはもったいないくらいの……ええ……。寺小屋でも優秀、道場でも敵なし。私は、そんなあの子に期待をかけすぎてしまったのです」


 天を仰ぐように見上げた彼女の眼窩がんかはくぼんでおり、その奥に微かに見える目玉はどろりとした狂気をはらんで左右に揺れていた。


「ああ……ごめんなさい……あんなこと……鞭や……折檻……ああ、ごめんなさいごめんなさい……よかれと思ってやったことなの……あなたの、あなたのことを思ってやったのよぉぉぉぉぉぉ! おおぉぉぉぉぉん!」


 ガクガクと体を揺らしながら雄叫びを上げるミフネ母。


「お兄ちゃん、あんまり刺激しないほうが……」


 トラジローにうながされてミフネ母をなだめる。


「まぁまぁ、落ち着いてください。ミフネは腕の立つ冒険者として、今や王国でも注目を浴びる立派な戦士ですよ。お母さんの心配するような人じゃありません」


「……人なのよ」


「え?」


「心配するような人なのよぉぉぉぉぉおおお! 今日も! 三人も! 息子に斬り殺された人が地獄にやってきたのよぉぉぉぉぉぉ!」


「ええぇ!?」


「だから私は、あの子が傷つけた人をこうやって癒やしてるのるのるのるのるのぉぉぉぉぉ! それが私の償いだからぁぁぁぁぁぁ!」


 そう言ってプロテムの体にベタベタと手から出る塗り薬? を塗りたくるミフネ母。


「あの、気持はありがたいのですが、オレたちは別にミフネから傷つけられたわけじゃないので……」


「そう……。ごめんなさいね、てっきりあなたから息子の臭いがして、この子が怪我してるもんで……」


「いえ……。あ、オレたちは地上に帰る予定なんですけど、もし息子さんに会った場合なにか伝えることは……」


 うとましい。

 そう告げるかのようなくぼんだ目でじとりとオレを見つめたあと、彼女は口を開いた。



「殺して……あげてください」



「えっ……」


 意外な言葉に二の句が継げない。


「あの子は、元から壊れていたんです。そして、それをさらに壊したのが私。生きていても罪を重ねるだけの存在なんです。お願いします、どうか、これ以上世間様に迷惑をかけないように……。お願いします、お願いします……」


 ガツン、ガツンっ。


 何度も頭を砂利に叩きつけながら懇願するミフネ母。


「ちょ……やめてください!」


 両手を伸ばして彼女の上半身を起こす。

 額からはどす黒い血がダラダラと流れ落ち、涙と混じって顔中を汚している。


「お願いします、どうかあの子を……」


「お母さん、一つだけ確認させてください。お母さんをここに……地獄に落としたのは──ミフネ、ですか?」


 彼女は静かにうなずいた。


「…………! ……わかりました。会うことがあれば、ミフネはオレが止めます」


「うぅぅぅぅ……あの子は剣の天才。闇夜に紛れて獲物を狩り尽くします。そして、とどめを刺した相手の苦悶の表情を至近距離で見つめるのです。どうしてあんなにおぞましい子になってしまったのか……。父・ロウゾウに申し訳が立たぬとぜひお伝え下さい……。あの子の好物は柿でございました……」


「わかりました。会ったら必ず伝えます」


 ミフネ母は、そのままいつまでもいつまでもオレたちに向かって頭を下げ続けていた。


 意外な出会い。

 意外な告白。

 一緒に過ごしていたパーティーメンバーのミフネが殺人鬼だって?


「トラジロー。彼女が嘘を言っている可能性はあるのかな?」


「うそ? ここでウソなんかつけないよ。ここにいる餓鬼はみんな魂みたいな存在だから。ウソなんかつけないし、つく必要もない」


「そうか……」


 どうやら彼女の言っていることは本当なようだ。

 となると……。


(また、生きて人間界に戻らないといけない理由が増えたな)


 モモ。

 ミフネが殺人鬼であるならば、オレの恩人でもある幼馴染のモモが危険にさらされてるかもしれない。

 まずは、なんとしてもここから脱出しなくては。


「テス、あとどれくらいだ? お前が消滅するまで」


「わがはい、あとおよそ一時間さんじゅっぷんで消滅のきき」


 金髪幼女のテスがたどたどしく答える。


「けっこう時間食ったな……。プロテム、少し歩くスピード上げられるか?」


 うなずくプロテム。

 彼女の塗り薬が効いたのか、プロテムは自分で歩けるほどには回復していた。


「よし、それじゃ急ごう」


 歩き続けると、枯れ木に吊り下げられた案内板が目に入った。

 


『この先、地郎じろう



 地郎。


 案内板の先に目をやると。


 大勢の鬼の並んだ一軒の店が。


 そこには『地郎』と大きく書かれた看板が、地獄とは不釣り合いに黄色く光灯ひかりともっていた。



 【ダンジョンから切り離された大悪魔の存在消滅まで あと一時間二十三分】

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