第4話 ちょろバンパイア、リサ

 一難去って、また一難。


 昼は、オーガやミノタウロス、セイレーンやスキュラにいじめられ。

 夜は、涎だらだら垂らしてるバンパイアが目の前に。


 ねぇ、これ、なんて厄日?


「ガァッ!」


 金髪の少女は目を赤く光らせ、鉄格子をガジガジとかじっている。


「うわっ!」


 そのあまりの迫力に気圧けおされ、ボクはぺたりと尻餅をつく。


「ウ~……血ぃ……人間の、血ィィぃ!」


 ガシガシと鉄格子を噛む少女の小さな口から垂れた涎が、鉄の棒を伝ってぬらぬらとしたたり落ちている。


(檻があってよかった……)


 ボクは生まれて初めて檻というものの存在に感謝した。


 それにしてもバンパイアだって?

 本当に実在するのかすら疑われていた伝承上の魔物だぞ?

 しかも、魔力も高い。

 一万を超えてた。

 数千レベルだった他の生徒たちよりも遥かに高い。

 あの大悪魔に次ぐ高さだ。


 さすが伝承級の魔物といったところか。


「ウゥ~……! ウ~……!」


 しかし、この子。

 こんなに鉄格子に噛みつくなんて……そんなに血が飲みたいってことなのか?


 ああ、そういえばクラスの魔物たちもボクを珍しがってたっけ。

 で、バンパイアってのは人間の血を吸う生き物なわけでしょ?

 魔界って人間の数も少ないだろうし、バンパイアの飲む血ってどうしてるんだろう?

 あ、もしかして──。


 バンパイアって、人間の血に飢えてたりする?


 あくまで憶測にすぎない。

 人間の少ない魔界。

 人間の血が必要なバンパイア。

 そこから導き出されれる推論。

 うん、これをベースに交渉してみる価値はある。

 昼間は時間を無駄に潰してしまった。

 ここでチャンスをモノにして挽回せねば。


「ねぇ」


 ピタッ。


 少女は鉄格子に噛みついたまま動きを止める。 


「キミってバンパイア……なんだよね? このクラスの子なの?」


 少女はふるふると震えているようだ。

 その振動が少女の握った鉄格子を伝い、檻全体を震わせる。


 ガタガタガタガタガタッ!


「──ごときが……」


「えっ?」


「人間ごときが──気安く話しかけてんじゃないわよおおおおおお!」


 檻が激しく揺れる。


 ヤバい、ヤバい! 話しかけるべきじゃなかったか!?

 にしても、この子! 細身のわりにすごい力だ!

 オークの【怪力ストレングス】にも匹敵するぞ!


「ご、ご、ごめん! ボ、ボクなんかが急に話しかけて不愉快にさせたよね!? で、でも、ボクも昨日ムリヤリ連れてこられたばっかりで、不安なんだよ!」


 バンパイアは、たしか気位きぐらいの高い種族だったはずだ。

 ここは、なるべくへりくだってご機嫌を伺おう。


 しかし、昨日に引き続き、いじめられっ子だった経験が活かされてるってのは……。

 さすがに複雑な気分だ。


 ジロジロとボクを舐め回すように見つめる少女。

 ボクは自分が裸だったことを思い出して、小さくちじこまる。


「キ、キミからしたらボクなんて家畜にしか見えないだろうけど、せっかくだから、ちょっとお話してくれたら嬉しいな。バンパイアって夜に活動するんでしょ? ボクも夕方から寝てたから目が冴えちゃてさ……」


 どうだ……?

 ボクのことを従順な家畜として見下してくれれば、情報を引き出すチャンスは巡ってくるはず……!


「ふぅん」


 少女は甘い吐息を吐いた。

 比喩ではなく、ほんとうに甘い。

 おそらく、人間を惹きつけるフェロモンのようなものが出てるのだろう。


「ボクの血……飲みたいの?」


「まぁ、飲みたいか飲みたくないかで言えば、飲みたいわね」


 回りくどい言い方。

 でも、この子の性格が少しずつわかってきた。


「偉大なバンパイアって普段は何を飲んでるの? ここ、魔界だよね? 人間ってあんまりいないと思うんだけど……」


「人間? いないわよ、そんなの。人間ごときが、この美しい魔界に入ってこられるわけないでしょ」


「え、じゃあ、もしかして……」


 いくぞ、ここから切り崩してやる。


「実は人の血を飲んだことない、とか──?」


 少女の赤い目がカッと開く。


「あ、あるわよ! あるに決まってるでしょ! 私のことを誰だと思ってるの!? あるわよ、人間の血くらい! その……輸入されてきた……劣化した……あんまり美味しくないやつだけど……」


 だんだんと尻窄しりつぼみになっていく少女の声。


 なるほど。

 やっぱり、この子はボクの血が飲みたいんだ。

 だから、ずっと寝てるボクを見つめてたんだ。

 あんなに涎を垂らして。


 相手の欲してるもの。

 それさえわかれば、交渉は可能だ。

 しかも相手は、プライドの高い子供ときてる。


 鑑定士はアイテムの鑑定の他に、素材売買の交渉役も務める。

 相手にイチャモンつけられて値切られたりしないようにね。

 だから交渉事には慣れてる。

 この子相手になら、結構強引に行っても大丈夫じゃないかな?

 仮になにかあっても、ボクは檻の中だから安全だ。


 しかもボクには今、このスキルがある。


 【狡猾モア・カニング


 頭が冴え渡っていく。

 ボクが取るべき交渉の選択肢が次々と頭に浮かぶ。


「ふぅん? じゃあ、ボクの血──飲みたくて飲みたくてたまらないんじゃない?」


「なっ──! なにを偉そうに! 人間ごときがっ!」


 激高する少女にボクは言い放つ。


「あと、ずっと言おうと思ってたんだけど……」


「な、なによっ!?」


「パンツ、見えてるよ?」


 黒のワンピースに、頭に黒いリボン。黒ニーソに黒パンプス。そして背中に羽織った黒いマント。全身を黒で固めた少女は、ずっとしゃがみこんでいたわけで。つまり、ずっと見えていたのだ。その、白い、三角のものが。おまけに夜なうえに全身黒な分、その白さが一層際立ってしまっていたわけで。まぁ、指摘するのもどうかと思ったけど、交渉のペースを握るために使わせてもらう。


「キャッ──!」


 ワンピースを押さえた少女は、バランスを崩し、すってんころりんと後ろへ転がった。


「わわっ──!」


 ドシーン!


 ああ、ひっくり返ったことで、三角だった白いものが台形に……。


「いたた……」


 バッ!


 大股開いてたことに気づいたバンパイアが、慌てて足を閉じる。


「み、見た……?」


「見る気はなかったけど、目に入ってくるものはしょうがないよね?」


 ボクは、にっこりと微笑む。


「あ、あんたっ……人間のくせに……!」


 顔を真っ赤にさせて詰め寄ってくる少女。


「それだよ」


 その顔に、ボクはぴしりと指を差す。


「人間。ボクは人間なんだ」


「はぁ? あんた、なにそんなわかりきたこと言って──」


「しかも三十日後に食べられる人間だ。それは知ってる?」


「え、ええ、使い魔から報告は受けてるわ」


 よし、完全にこっちのペースに引きずり込んだ。


「ボクが死んだらキミは人間の血を吸うことが出来ない。貴重な人間の血だよ? もし、この機を逃したら……もう今後一生、キミに生き血を吸う機会は訪れないかもね?」


「うっ……!」


「ほら、想像してみて? 生きてる人間──ボクの首筋。ここに、キミの牙を突き立てるんだ。牙が、ボクの柔らかい肌にスッと入っていく。ぷっつり血が滴り落ちるよね? どんな味なんだろうね? 劣化してない、新鮮な、人間の生き血。ねぇ、どんな味だと思う?」 


 少女の口から涎が滝のように垂れ落ち、ぺたんと内股で座り込んだ彼女の太ももをベトベトに汚す。


「飲ませてあげてもいい」


「ほ、ほんとっ!?」


 もはや理性を失ったも同然の少女が、恥も外聞もなく食いついてくる。


「ただし、数滴だけね」


「なんでよ、ケチっ!」


「いやならいいんだよ? 別にボクには、キミに血を飲ませてあげる義理なんてないんだから」


「あっ……そんな、ちょっと待って……! いや、ほんとに……えっと、その……飲ませて、くれる、の?」


「ああ、飲ませてあげるよ? ボクの言うことを聞いてくれればね?」


「え!? い、言うことを!? い、一体なにをしようってのよっ!」


 両手で体を覆う少女。


「そうだなぁ。これから三十日間。夜、こうして話し相手になってくれたらそれでいいよ。あ、それから、ご飯、人間が食べられるもの──パンや肉を用意してくれたらいいかな」


「は、話し相手……。ま、まぁそれくらいなら……。あと、食べ物も……なんとか用意できると思う」


 小声で要求を飲む少女。


「オーケー、それなら交渉成立だ。高貴なるバンパイアが約束をたがえたりはしないよね?」


「あ、あたりまえでしょ! バンパイアは人間みたいな下等な生物じゃないの! 約束は必ず守るわ!」


 ちょろい。

 このバンパイア、ちょろすぎる。


「よし、じゃあ舌を出して鉄格子の隙間に入れて」


「は、はぁ!? なんでそんなこと──」


「入れるんだ」


 強気に押す。


「うっ──ううっ……!」


 抵抗を感じながらも、食欲には逆らえない様子の少女。

 顔を赤らめながら舌を突き出す。


 彼女の口に、人差し指を近づけていく。


「ボクの、いや──オレの名前はフィード。フィード・オファリング」


 ここから先の三十日間、オレはフィードとして生きてやろう。

 どれだけ残虐になったとしても。

 この魔物たちを全員殺してでも。

 ここから脱出して、人間界に戻るんだ。

 それまでは、フィード(餌)・オファリング(供物)という屈辱の名前を甘んじて受け入れようじゃないか。


 まずは、この少女を陥落させて。

 それから、クラス全員の間を上手く渡り歩いて。

 脱出する。

 そのために手段は選んでいられない。

 いい子のままの。

 モモに守られてたままの。

 今までのアベルのままじゃ成し遂げられない。


 だからこれは、ボクの──血の儀式だ。



 これからボクは、『フィード』に擬態する。



 生き延びて、この地獄から抜け出すために。


「お前の名は?」


「リサ。リサよ」


 健気にも舌を出したまま答える。


「よし、じゃあリサ。大事に味わえ。これが、人間の──」


 牙に指を押し当てる。


「生き血だ」


 ぷつり。


 赤い斑点が浮かび上がると、やがてそれはしずくとなって少女の舌の上にぽつりと落ちる。



「ああ──ッ! これが──! これが人間の生き血ッッ──!」



 恍惚の表情を浮かべる少女。


 ボクは──いや、オレは、その様子を見てほくそ笑む。


 まず一人目。

 バンパイア、リサ。


 攻略完了だ──。

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