宇宙少女と海沿いで

くらげもてま

海と

 遠き果てから来た人々がいる。

 なかでも彼女は幼く、青く、そして靭やかな力強さを持っていた。私と同じように二本の腕と、二本の足を備え、長い髪が美しかった。それでもたしかに人間でないと理解できた。おそるおそる彼女の瞳を覗き込む者があれば、そこに宇宙銀河のごとき静寂の深みと輝きを見たはずだ。

 彼女のような者が大勢来て、地球は少しだけ変わった。魔法としか呼ぶことのできない不可思議な力。例えばガスコンロは陳腐化し、私たちは片手間で炎を灯しながら料理を行える。それがいいことなのかどうか。ガス会社は滅びた。他にも多くのモノが追いやられ、もはや存在していない。しかし人類は滅びなかった。


「マサキ、明日は海に行こう」


 彼女はリアリカという名があった。よく私の机に器用なほど縮こまって、そこで体育座りをしたまま外を眺めていた。青い髪が机いっぱいに広がって、そうなると私はもうどんな作業もできやしない。彼女は装いは十五歳かそこらの少女に似ていたが、習性としては猫に近かった。


「明日はダメだ。テストがあるし」


「海に行こう」


「リアリカ、だからさ――」


「行こう」


 あのキラキラと輝く宇宙銀河を映した瞳、それにジッ……と見つめられ続けることを、あのソワソワとする落ち着かない感覚を、私はどうにも伝えられない。言うなれば完全に人のいない真夜中の砂漠で天空の星々とまんじりともせず向かい合うような……私はそこで裸にされる。彼女たちの種族はいとも容易く人類の脳神経をレイプすることができる。


「わかった、行こう」


 私はいつも頷くことになる。そしてリアリカが満足げに微笑む。あの白い歯がさも人間らしく覗く笑み。そうすると途端に私は救われた気持ちになる。まったくあれは悪魔の所業だ。救いなのは、彼女たちがおよそ人間の悪意に相当する感情を持ち合わせていないことだけだ。


「学校を休んだらどうなるかわかってるのか、おまえ……」


「ふんふふーん……」


 リアリカは私の自転車の後ろを好んだ。漕ぐのは私だ。彼女はいつだって私の腰に細い両腕をまわし、当然この現地奴隷が大人しく自分の要望を叶えるのを期待して歌っていた。ゆらゆらと体を揺らすせいでこっちは大変だ。しかし転ぶことはない。転びそうになるといつもリアリカの遠慮のない「魔法」が僕らをひっつかみ、焼けたアスファルトにきっちり正対させたから。


「まひるーのーほしがーきらめくーよー……わたしーはーどこへーとんでーゆくー……」


 私が一度だって教えたことのない歌をよく歌った。そもそもそんな歌が存在するかも怪しいものだ。彼女が即興で作り出したのかもしれない。その証拠に、リアリカは一度だって同じ歌を口ずさむことはなかった。

 ずっと先まで続く砂浜沿いのアスファルトが焼かれ、夏の陽炎が揺らめく。その先に私たちは当て所もなく向かった。リアリカの調子っぱずれな歌声と、自転車のきこきこという音、打ち寄せる波の音が全てだった。世界の上半分は空で、下半分にだけ人間のゴミゴミとした営みの産物、あるいは残骸が続いている。いや、そうではない。右手半分には海だった。だから人間の領分はそこでは世界の三分の一しかない。

 きこきこ、きこきこきこ、と私は必死に漕ぎ続ける。真夏の容赦ない日差しに汗だくだった。しかしリアリカは汗一つかく気配がない。彼女の体はいつでもひやりと冷たかった。小型のクーラーを背負っているようなもので、その点はありがたかった。


「おまえ、どこまで行けば気が済むんだよ」


「海の向こうには何がある、マサキ?」


「太平洋だから、その先はアメリカだろ。ああいや、今はアメリカって言わないのか。西部連合共和国だっけ?」


「違う。おまえは本当に愚かだ」


 リアリカの種族と会話したことのない者にはわからないだろうが、彼女たちと会話することに意味はない。彼女たちは話したいことを話す。人間のように言葉のキャッチボールをしたり、忖度したり、そういう高次のコミュニケーションは期待できない。

 ようするにリアリカはいつでも言いたいことを言う。


「海の向こうには何がある、マサキ?」


「……禅問答かよ」


「教養のないくせに何が禅だ」


「異星人に言われたくねえ」


「海の向こうには何もない。おまえたちの視界には何も映っていない。水平線まで続く海があってそれだけだ」


「今度は天動説かよ」


「リアリカの種族は現実を大切にする。現実はアイオーンの――おまえたちでいうの働きによるものでしかない。たとえ物理的ななにかしらが海の向こうにあって、それがキョーワコクと呼ばれていても、リアリカには見えない。あの水平線の果てまでが海だ。リアリカは海が好きだ」


 私たちの自転車は坂道にさしかかる。こんなものはリアリカの「魔法」があればひとっ飛びだろうが、こういう時、彼女はけして手を貸してくれない。

 きっこきっこきっこきっこと情けない音を立てて、汗を撒き散らして、喘ぎ、顔を真赤にして、私は二人分の重量を運ぶ。私が会話に参加できないことをみとめると、リアリカはまた歌い出す。


「くそっ! ちょっとはっ! 手伝えよっ! てかもういいだろっ! どこまで行きゃ気が済むんだっ!」


「リアリカは海が好きだ」


「俺はっ! もう見飽きたっよっ! くそっ! はぁ……くそっ……はぁ……次からは坂の前までにしないか?」


「嫌だ」


「どうしてだよ!?」


「リアリカはリアリカのためにへばってるマサキが好きだ」


「んむ……」


 また別の日には、大雨の中でリアリカに連れ出されることもあった。巨大な意思を持つ真っ黒い生き物のような大波が荒れていて、私はそわそわとリアリカの気まぐれが満足するのを眺めていた。

 それからふとナノフォンをいじって、クラスの連中が大雨に喜びながら楽しげにクラウドシェアスペースで遊んでいるのを横目で眺めた。また視線を戻すと、リアリカが消えていた。


「リアリカ!?」


 砂浜の縁に立った事があるだろうか。すぐそこに見える波間も実はずっと遠くにある。手のひら大になったリアリカの後ろ姿が波間に見えた。私は叫びだして彼女を助けようとした。


「リアリカ! くそっ! あそこまでバカなのかよ!」


 風のある波の荒れ方は人間など木っ端のように吹き飛ばす。すぐに全身が飲まれ、上も下もわからなくなる。文字通りの磯の味が私の穴という穴からなだれ込んできて、それでも必死にリアリカの名を呼ぶ。

 

 急に全ての感覚が消える。


 目隠しをされたまま事務椅子回転の罰ゲームを食らったみたいな平衡感覚の無さ。頭上にきらめく銀河の輝き。それはリアリカの瞳で、もう風の音も波の音も止んでいた。喉の奥に塩辛い感覚だけが残っていた。

 私は砂浜の上で寝かされていた。


「マサキ、死ぬ気か」


「無事だったか……」


「時々おまえたちはそんなに愚かでどうしてこの星の大部分を侵略できたのか、リアリカは不思議になる」


 たぶんリアリカに助けられたのだろう。そもそも「魔法」の結晶である彼女たちを助ける必要などないのだ。

 私はまったく無意味な衝動から命を捨てるところだった。ぐるぐると三半規管が狂っている。ゲロを吐きたかったけれど、仰向けに寝転がっていてはそれもできない。


「リアリカ」


「だまれ愚か者」


「なんで俺だったんだ」


 私はどこか陶然とした気持ちで尋ねた。酩酊感で夢の中にいるみたいだった。

 リアリカは珍しく難しい顔をして、瞳を細めた。それがどんな意味なのか。そこに意味なんてあったのか。私は今になって尚わからない。


「マサキ、帰ろう」


「魔法を使ってさ、ひとっ飛びって訳にはいかないのか……」


「おまえは寂しい奴だ。だからリアリカは友だちになってやったんだ」


「俺は友達多いぜ、けっこう……」


「帰ろう」


 たしか、その日は歩いて帰った。寝ている間は気が付かなかったが、身にまとった服の何もかもがぐっしょり濡れて歩くだけでも一苦労だったと思う。ナノフォンはこわれていた。リアリカなら直せるはずだが、直してはくれなかった。

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宇宙少女と海沿いで くらげもてま @hakuagawasirasu

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