十三夜

多田いづみ

十三夜

 夢に何度も出てくる建物がある。

 ずっしりとした煉瓦れんがづくりの、赤黒い建物だ。さまざまな娯楽施設やら飲食店やらが入ったいわゆる雑居ビルで、ごみごみした繁華街のなかに、ぽつんと暗く沈んだように建っている。


 重厚な外観とはうらはらに、一階にはゲームセンターが入っていて、所狭しと並べられたゲーム機器が軽薄な電子音を響かせている。

 そこはいつも若者や学生らでにぎわっており、ひどく騒がしい。できればあまり近づきたくはないのだけれど、そうもいかない事情がある。

 夢のなかでわたしはコーヒーの焙煎ばいせん屋の店員で、その建物に入っている喫茶店に品物を届けなくてはいけないのだ。


 建物にはエレベーターがなく、階段を上っていかねばならないが、その階段というのが不思議な形をしている。まっすぐな階段や折り返し階段とは違い、三角形なのだ。

 その三角形の辺のところが階段で、角のところが踊り場になっている。三角の真んなかは吹き抜けていて、上から一筋の光が差し込んでいる。一番上までは上がったことがないから、この建物が何階建てなのか正確なところは分からない。外から見るに五、六階建てくらいだろうか?


 階段を上ると、若者たちの喚声や耳ざわりな電子音はしだいに小さくなって、ほとんどきこえなくなる。わたしのほかには階段を上り下りする者もいない。どんな店が入っているのか知らないが、一階のゲームセンター以外は景気が悪いらしい。


 二階と三階のあいだの踊り場に、黒い木枠にすりガラスのはまった小さな扉が見える。二階でも三階でもない、二階半とでも言うのだろうか。

 そこが目当ての喫茶店の入り口だ。階段の途中にあるから、注意していないと気づかずに通りすぎてしまう。目印になるようなものといえば、扉の横についた小さな看板くらいだ。

 赤さび色をした金属の看板には『十三夜』と文字が彫り込まれている。それがこの店の名前らしい。


 扉をあけると、放牧の牛がぶらさげているベルのような音がして、細長いカウンターが目に入る。店のなかはおそろしく暗い。奥のほうがどうなっているのやら見当もつかない。

 しばらくして目が慣れると、間口がものすごく狭くて奥行きがものすごく長い、うなぎの寝床のような店の作りがぼんやりと見えてくる。


 カウンターは七、八人はゆったりと座れそうなほど長い。詰めれば十人くらいいけるかもしれない。喫茶店というよりはバーのようだ。間口が狭すぎてテーブルも置けないから、こうした配置にするよりほかないのだろう。


 天井はあまり高くない。その高くない天井からランタンやらオイルランプやらがごちゃごちゃと垂れ下がっていて、頭をぶつけそうになる。それがまた穴ぐらのような雰囲気を強めているようだった。もちろんそれらはただの飾りであって、火の入っているものはひとつもないのだが――。


 店の壁は外観と同じく赤黒い煉瓦づくりだ。暗いせいもあって、もっと濃く、深く、黒光りしている。通路となっている壁ぎわは、大きな柱時計だとか、火縄銃だとか、ほかにもなんだかよく分からない骨董品こっとうひんに埋めつくされ、そうしたお宝のかずかずが、外から差してくるかすかな光に鈍くかがやいている。


 ふくよかなコーヒーの香りに混じって、店には独特な匂いがただよっている。積もったほこりが太陽にかれて発酵したような、なんとも言えない、しかしどこか懐かしいような匂いだ。

 子供のころ、祖父の住む古い家をたずねたとき、こんな匂いをかいだような気もする。


 カウンターの向こうには店主がいるはずだが、目が慣れないうちはどこにいるのか分からない。あまりにもの静かで、暗がりとほとんど一体化しているからだ。

 わたしは焙煎屋の屋号を名乗って、

「ご注文の品をおとどけにまいりました」とあいさつする。

 すると暗がりのなかで何かがうごめいて、

「ごくろうさま」と柔らかな落ちついた感じの声が返ってくる。それでなんとか店主の存在が確認できるといった次第。


 わたしは品物を取りだして、受け取りのサインをおねがいする。

 ようやくそこで店主も明るい扉ぎわに姿をあらわす。もちろん幽霊や妖怪なんかではない。ほっそりして目の垂れた、中性的な感じの男性だ。色白で、まっすぐな長い髪をうしろで束ねている。もしかすると、とても声の低い女性なのかもしれない。


 それはともかく、わたしは受領証を受け取ると、渡す品物に間違いがないかもういちど確かめる。というのも、こちらに届ける品は、店主の要望にあわせて豆の配合から焙煎の度合いに至るまで、何度も試作を重ねてこだわり抜いた一品なのだ。それをほかの店に届ける品と間違って渡してしまったら、大変なことになる。


 店主は品物をもらい受けると、すぐに封をあけて匂いをかぐ。店のなかにいぶした果実のような甘い香りがふんわりと広がる。この人は香りというものを、すごく大切にしているんだろうな、とわたしは思う。

 話によると、五感の一部が失われると、その分ほかの感覚が鋭くなるらしい。この店がこんなに暗いのもそのためだろうか。暗ければ暗いほど、味覚や嗅覚は逆に鋭敏になる。そうした効果を狙っているのかもしれない。


 店主は品物の仕上がりに満足したらしい。だんだん暗がりと同化して、影のように見えなくなる。

「またよろしくおねがいします」と暗がりに向かって言って、わたしは店をあとにする。


 階段を降りていくとゲームの電子音がして、不快な気分とともに現実に引き戻される。わたしはちょっとのあいだ、別の世界にいたらしい。たしかにあの喫茶店には独特の雰囲気があって、時間の流れがほかと違う気がする。あそこなら二時間や三時間、あっというまに過ぎてしまいそうだ。


 そして地上にあるのは、けばけばしい色彩とけたたましい騒音。そこに興味をひくようなものは何もない。わたしは急いでその場所を立ち去ることにする。

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十三夜 多田いづみ @tadaidumi

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