3つの願い

神原

第1話

「……私を、殺してください!」


 それが悪魔に放った少女の願いだった。






 十数分前。


 人里離れた朽ちた洋館の一室で、蝋燭の灯りだけが暗闇の中に浮かんでいた。突然、圧倒的な存在感を放ちながら、その悪魔は漆黒の翼をひろげて魔法陣の中に現れたのだった。血で出来た魔法陣の中に。


「願いは何だ? 人間よ」


「わ、わた……」


 長い髪を伸ばし、制服を着た少女の身体が震える。恐怖。魔に対する根源的なそれは、彼女をしてなお恐怖に震えあがらせていた。


「3つだ。それが叶った時は。分かっているな、人間」


 こくりと少女が頷く。だが、次の瞬間、驚愕したのは悪魔の方だった。


「わ、私の願い、願いは……私を殺してください!」






 内心で生じた動揺は見せず。しかし言葉は途切れ、沈黙が辺りを支配する。願いは3つ。それが成就しなければ魂など奪えはしない。しかし、願いを拒否する事は召還された身として出来ないのだ。今迄にこんな願いを聞かされた事などなかった。冷静に、悪魔の頭の中で思考が駆け巡る。


「思いなおす気はないか? 人間」


 その言葉に少女は無言で頷いた。


 悪魔の口が開くまでの数瞬。それは、どう譲歩を引き出すかと思考する時間だったのだろう。


「その願いを叶えるのは簡単だ。だが、二日時間がかかる」


 言葉と共に辺りに静けさが戻る。少女が涙を浮かべて頷いたのと同時に悪魔の姿が消えていた。長い様な短い時間は嘘の様に過ぎていったのだった。






 少女の腹が小さな音を鳴らす。ぽつり「はあ」と空腹をどうでもよさそうにため息をつく。自殺する勇気もなかった少女が洋館から離れ、元来た道を歩きだした。


 月明かりがようやく見えてきた。それは森を抜けた証拠。三十分ほど歩いたお陰で通りまで出ていたのだ。その刹那、

「いっ、痛い! 痛っ」

 不意に胸を抱えて少女が蹲った。脂汗がしたたり落ちる。身じろぎすら出来ない激痛が身体を走った。






(さあ、願え、死にたくないと)






 だが、蹲ったままでかなりの時間が過ぎ。少女は気絶した。どこかで舌打ちをした様な音が闇の中に消えていった。


 それからどれくらいの時間が経過したのだろう。倒れて、動かない少女。


 偶然、通りかかった一人の男が彼女を見つけた。地面で突っ伏しているのを慌てて助け起こす。そして額に片手をあてた。


 その掌の温かさからか、意識を取り戻し薄っすらと瞳を開けた少女が目を見開く。信じられないと言う面持ちで。





(願え。お前の理想像の男だ。その男と恋をしたいと)





 安心した様な男性の笑顔。だが、少女の瞳は絶望を彩った。ぽつり、「違う、こんな笑い方は……」とだけ呟いて。その腕を振り切り、逃げる様に走り去る。顔が同じ別人を愛せる程、彼女の傷は浅くなどなかったのだ。


 再び舌打ちをする音が辺りに響いた。





 どこをどう走ったのか少女には分からない。ただ、意味もなく歩き続ける。じっとしていられなかったのだろう。


 思わず、その視線がある一点で静止した。


 轢かれた猫の死骸。それは、少女により死を意識させる物だった。





(どうだ、惨たらしい死体は。死にたいとは思わなくなったか?)





 しかし、少女が釘付けになった物は死骸の方ではなかった。道の外側でじっとその死骸を見つめる痩せ細った子猫が一匹佇んでいたのだ。


 何を思ったのか、少女がその猫に近づいていた。


「あの猫の子供? こんな所にいたら、お前も死んじゃうよ?」


 子猫を見る少女の目から涙が零れた。後から後から溢れ出す涙。声を殺して少女は泣いた。それは自身が亡くした恋人を想っての事だったのだろう。


「にぃぃ」


 自分と同じ臭いを嗅いだのかもしれない。泣き止まない少女に、猫はその足をぺろぺろと慰める様に舌で舐めあげた。


「おまえ」


 ようやく顔を上げた少女が猫を抱き上げる。


 泣き笑い。ようやく何かを見つけた様に。





 轢かれた猫の死骸を丁寧に葬った後で、何時の間にか日が昇り。朝靄の中。少女は洋館へと駆け足で戻ったのだった。


 大きな声で「悪魔さん」と叫ぶ。


「夜まで待て、まだ時間ではない」


 隠せる物などないのに、そこに闇がわだかまる。悪魔がいた。今迄そこにいたかの様に。


「ごめんなさい。お願いは破棄します」


 にやりとほくそ笑む悪魔。


「いいだろう。では、新たに3つの願いを」


 その言葉を遮って少女が言葉を紡いだ。


「いりません。契約は解除します。家族が……出来たから」


 猫をしっかりと抱き締めて微笑んだ少女は、そのまま駆けていった。


 もう、振り返る事なく。






 苦笑。少女と共に一夜を過ごした悪魔の顔にはそんな笑いが浮かんでいた。


 ふと気づいた。漆黒の翼に日の光が透けていた。この世に干渉出切る時間も後わずか。


「ふ、ふふ。ふははははは」


 結果としてあの場所まで導き、契約が叶わなかった。しかし思わず、こんな事も悪くないと思って少女を見逃した悪魔は、笑い声を挙げていた。


 楽しい一時を過ごしたかの様に






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

3つの願い 神原 @kannbara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る