この手を離したくない。
誰に、何を言われても……。
俺は、この手を離したくなかった。
あの日、梨乃さんは俺を選んでくれたのだから……。
あの雨の日に……。
二年前ーー
どしゃ降りの雨の日。
俺は、住宅街の中でひっそりとbarをやっている。
【bar ミモザ】
念願だった店をオープンしたのは7年前の30歳の誕生日だった。
住宅街でのひっそりとしたオープンの為、大々的に宣伝はしなかった。
外観は、白を貴重とし扉は重厚感のある黒い扉を使用した造り。
ここの家主の【
神永さんと俺は、10年来の付き合い。
俺が【bar Jewelry】で働いた時からだ。
Jewelryのオーナーである藤崎さんと神永さんは25年来の付き合いだと話していた。
「神永さんの所で、
藤崎さんは、喜んでくれた。
そして、俺は【bar】を開店した。
地域住民に反対されるかも知れないと思っていたけれど……。
神永さんのご両親は、どうやら此処の地主らしく反対はされなかった。
そして、神永さんは隠れ家的【bar】が出来た事を何よりも喜んでくれていた。
最初のお客さんは、勿論神永さんで……。
神永さんは、モデルのようなスラリとした奥さんを連れてきた。
「遼河君、妻の美咲だ」
「初めまして、
「初めまして、
神永さんの奥さんは、とても綺麗な人。
「美咲はね、元モデルなんだよ」
「もう、真さん。やめてよ。そんな大昔の事」
「大昔だなんて、今でも十分綺麗だよ」
俺は、二人のやり取りをにこやかに聞いていた。
「そうだ。遼河君は、彼女は?」
「あーー、いないですよ」
「えーー。そんなにイケメンなのに勿体ない」
「イケメンじゃないですよ」
「いやいや、十分。男前だよ。出来る事なら、そうなりたかったよ」
「何言ってるのよ」
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞じゃないよ」
二人は、そう言って笑っている。
俺は、二人のお陰でお客さんがどんどん増えていった。
そして……。
カランカランーー
「いらっしゃいませ」
「あの~~。一人なんですけど」
「大丈夫ですよ。こちらにどうぞ」
どしゃ降りの雨だったこの日は、客足もまばらで日付が変わる前に閉めてしまおうと思っていた。
23時55分。運命に導かれるように莉乃さんが俺の店にやってきたのだ。
「じゃあ、遼河君。帰るよ」
「はい、ありがとうございました」
神永さんと美咲さんが帰り。
「じゃあ、僕らもそろそろ」
「はい」
常連の田中さんと岩田さんが帰って行った。
お客さんは、彼女だけになってしまった。
「あっ、私も帰った方がいいですよね」
「大丈夫ですよ!ただ、お店はクローズにしますけど、よろしいですか?」
「あっ、はい」
彼女の花柄のワンピースは、雨で濡れていて一部分色が変わっている。
俺は、店をクローズにしてから戻る。
「何にしますか?」
「あっ、私。お酒飲めないんです」
「え?」
「すみません。だけど、来てみたかったんです」
「いえいえ。大丈夫ですよ!ノンアルコールカクテルでも作りましょうか?」
「あっ、はい。お願いします」
彼女は、俺の言葉に嬉しそうに笑っていた。
俺は、カシスシロップとオレンジジュースでノンアルコールカシスオレンジを作って差し出す。
「実は、さっきいた女の人もお酒が苦手なんですよ。だから、ノンアルコールのカクテルをよく作ってるんですよ」
俺は、ニコッと微笑んだ。
「飲めないときちゃ行けないって思ってました」
「いえいえ。来てくれて、大丈夫ですよ!俺は、大歓迎です」
「よかった。じゃあ、いただきます」
「どうぞ」
彼女は、ニコニコと嬉しそうに笑いながらカクテルを飲んでくれる。
「あっ!もう、帰りますね。ご迷惑ですよね」
「いえ、大丈夫ですよ。ゆっくりして下さい」
「いえ、貸し切りになっちゃいますから、駄目です。今、払いますから」
彼女は、慌てて鞄からお金を取り出そうとする。
「あ、危ない」
カクテルグラスに彼女の手が当たった。
スローモーションのように、ゆっくりとカクテルグラスが落ちていくのが見える。
カウンターから、必死に手を伸ばした俺。
彼女も急いでカクテルグラスに手を伸ばす。
パリン……。
「あっ、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ!」
「今、拾いますね」
「危ないですから置いてて下さい」
俺は、慌ててホウキと塵取りをとって彼女の元へと向かう。
「いたッ……」
「大丈夫ですか?」
彼女は、カクテルグラスを拾おうとして指先に破片が刺さったようだった。
「大丈夫です」
「絆創膏持ってきます」
「それより、先に片付けましょう」
指先から、ポタポタと流れる血をハンカチで押さえて彼女は笑う。
「それより先に、手当てしましょう」
とっさに彼女の手を握りしめていた。
「そうですよね。血で、汚れちゃったら大変ですね」
「そんなのは気にしなくて大丈夫ですから。すぐ持ってきます」
俺は、彼女から手を離して急いで救急セットを持ってきた。
「座って下さい。こっちに」
「あっ、はい」
一席だけあるソファー席に彼女を座らせる。
暗めの明かりの中で、俺は彼女の手をとった。
「スマホのライトつけてもらっていいですか?」
「はい」
俺は、彼女の指にガラス片が残っていないか確認する。
「大丈夫ですね。消毒しますよ。染みるかもしれないです」
「はい」
消毒液をかけると彼女は小さく「いっ……」と言って我慢していた。
「終わりました」
「ありがとうございます」
「いえ、気にしないで下さい」
俺が笑いかけると何故か彼女はポロポロと泣き始める。
「痛かったですか?大丈夫?」
「そうじゃなくて……」
彼女の左指に指輪がはまっているのに、今、気づいた。
「ごめんなさい」
それでも、もう止められなくて……。
俺は、彼女の頬の涙を拭っていた。
「ごめん」
「ううん。大丈夫ですよ」
ニコッと微笑んだ彼女の口元を指でなぞる。
後は、もう流れに逆らわなかった。
お酒のせいか……。
雨のせいか……。
この場所のせいか……。
何もわからなかった。
わかる事は、一つだけ……。
俺は、この日彼女に興味を持った。
現在ーー
「やまないね」
「今日は、1日降るって言ってたから」
「それなら、ゆっくり出来るね」
毛布の端を握りしめて、梨乃さんは窓を見つめている。
俺は、二年前の雨の日に沢村梨乃(さわむらりの)と出会った。
今、隣にいる彼女だ。
彼女は、結婚して7年目の専業主婦。
子供は、まだいない。
いや、出来ない。
何故なら、旦那さんが雨の日には帰ってこないから……。
彼女は、旦那さんに優しくされた事がなくて、あの日泣いたんだ。
そして、梨乃さんは俺を選んでくれた。
元々、子供を作らない約束で結婚した二人は……。
だけど、旦那さんは子供を望み始めたと言う。
それなら離婚をすればいいと思うけれど……。
そんな簡単な話ではない。
旦那さんのお父さんの会社にとって、梨乃さんのお父さんは必要な存在らしく。
離婚は、絶対に許さないと言われていると話してくれた。
「遼河」
「何?」
「私ね。
「わかってる」
俺は、梨乃さんを後ろから抱き締めて指を絡ませる。
「産むって選択肢は選ばないわ。それを夫もわかってくれた。だけど、人間なんてどうなるかわからないものね。遼河は、変わらない?」
「変わらないよ。俺も莉乃さんと同じ。自分の遺伝子はいらない。
「遼河。愛してる」
「俺もだよ。梨乃さん」
俺は、梨乃さんの背中にそっとキスをする。
絡ませた指がほどけないようにしっかりと握りしめながら抱き締める。
これから先、どんな事があっても俺はこの手を離さない。
誰も許してくれなくたって構わない。
俺達の愛は永遠に続いていく。
3000文字の物語達。 三愛紫月 @shizuki-r
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