第3話 異界へ
ナオは、助手席に座ってから一言も口をきかなかった。昼飯を買うためコンビニに立ち寄った際にも、目線を合わそうともせず、返事もせず、軽バンから降りてもこなかった。コンビニで適当に買い物を済ませ、アパートに向かい始めたときには、雨は本降りになっていた。
何が、大安吉日だ。
助手席でそっぽを向いて座っているナオに色々と問いただしたい気持ちはあったが、これ以上ナオの機嫌を損ねることに心の準備はできていなかった。
今は運転に集中しよう。そう思えば思うほど、車内の雰囲気は、気まずいものに変わっていった。
ラジオのパーソナリティが天気予報が外れたことなど、なかった事にするかのように、リスナーからの投書を笑いながら読んでいるのも、実に腹立たしい。
気がつくと、いつの間にか車の交通量が少ない道を走っていた。すれ違う対向車もなく、バックミラーにも後続の車はいない。この時間帯で、こんなに空いている道がこのへんにあったのか。良い抜け道になるかもしれないなどと考えて、気を紛らわす。
軽バンは、トンネルに入った。
そのとたん、ラジオの電波が届かなくなったのか放送は聞こえなくなり、ノイズばかりがスピーカーから聞こえて来た。ナビを操作して別のチャンネルにしてみたが、どのチャンネルも同様に受信できなかった。
車内の沈黙に耐えかねて、独り言を言ってみる。
「おかしいな、トンネルの中でも受信出来るはずなんだがな」
「セイジは、本気でお兄ちゃんに謝りたいって、ずっと、ずっと、言っていたのよ」
左太ももをさすり、膝のあたりをグイグイともんだ。このまま返事をせず沈黙を貫いたとしたら俺は、一生、ナオと面と向かって会話をすることもなくなるのではないかという恐怖が湧き上がってきた。トンネルのライトの届かない暗闇をじっと見つめながら、言葉を絞り出した。
「セイジのことがスキなのか」
ナオが小さくうなずくような気配がした。貧乏な俺と暮らすより、有名スポーツ選手と暮らすほうが良いに決まっている。だけど、俺の心が、どうしてもそれを許せないでいる。俺が納得する必要などない、ということも頭ではわかっているが、感情がそれをゆるさなかった。
少しおどけた調子で話を変える。
「それにしてもトンネルが長いなあ。こんな長いトンネルは、この近くに無かったはずだ。道を間違えたのかな」
ほんとに道に迷ったのかもしれない。セイジの事でよっぽど頭に血が上っていたとしか考えようがない。
「お兄ちゃん、逃げないで。私の話を聞いてほしいの」
「わかった。ナオ。部屋についたら、その話をしよう。約束だ。だけど、今は運転中だ。事故るわけには行かない。いいよな。もう少しで着くから、それまで、その話はなしだ」
俺は、アクセルを気持ち緩めた。トンネルの出口がやっと見えてきた。随分と明るい。夏の昼間のような明るさで眩しい。山や川を越えれば天気が、がらっとかわることはある。もしかしたら道を間違い、山を一つ越えてしまったのかもしれない。いつもどおりトンネルの出口付近ではアクセルから足を離し、ブレーキペダルに足を乗せ、光の中に突っ込んだ。強烈なフラッシュを浴びたように光に包まれ一瞬だけ視力を失う。
突然下から突き上げるような衝撃とともに、車体が左右に揺れた。車体の下をこするけたたましい音が車内に響いた。隣のナオが、悲鳴を上げた。俺が急ブレーキを踏む前に、軽バンがとまった。
何だ。道路に落下した何かを踏んづけ、乗り上げたか。恐る恐る目を開けると目の前には、森が広がっていた。正確に正直に言えば、フロントガラスの先に見えたのは鬱蒼としたジャングルだった。
フロントガラスに顔を近づけ見上げた。木々の隙間からは、真っ青な空が見えた。木々の表面、葉っぱに雨で濡れた形跡は見られなかった。
「ケン兄、ここ、どこ」
「わからない」
俺は、バックミラーを見た。トンネルはなく、見えるのは、鬱蒼とした森だけだ。後ろを振り返って再度確認した。トンネルのトの字もなかった。ドアの近くまで伸びている枝を押しのけてナオが外に出た。ドアに傷がつく、と言う言葉を飲み込み俺も外に出た。すぐさま車体の下を確認した。前輪は、太い木の根をまたいでおり、完全に宙に浮いていた。レッカーを頼むにしても、腹をこれ以上こすらないように注意しないといけない。車の前方からナオが俺を呼んだ。
「ケン兄、ちょっと、こっち来て」
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