第4話 森の中
ナオの所に向かうと、突然視界がひらけ、目の前に泉が現れた。ちょうど泉の中心付近がこんもり盛り上がっていた。そこから水が湧き上がっているようだ。泉の水は、透明で輝いて見える。泉のまわりは、何重にも厚く折り重なった草で覆われていて地面は見えない。水辺まで近づいても、バネを敷き詰めた板の上を歩いているような反発があり、泥が舞い上がって泉の水を汚すことはなかった。瑠璃色の蝶が何羽か、ひらひらと舞っていた。ナオが深呼吸した。
「気持ちいい」
俺も、ナオのマネをして、深呼吸した。本当なら緊張感を持たなければいけない状況なのだろうが、一回深呼吸しただけでその緊張が自然に解けていく。ナオが、泉の水を両手ですくい、口に含んだ。
「甘い。美味しいよ」
俺も、片手で水をすくい一口、すすった。
「うまい」
「きっと、神様とかいるに違いないよ」
ナオは、昔から好奇心旺盛だったが、周りが見えなくなるほどのめり込むことは今までになかった。どちらかと言えば神経質で、いつでも周りの状況の変化に敏感だった。しかし、今は、少し能天気かと思うように振る舞っている。このことが逆にナオがとても緊張していることの裏返しなのだとわかった。
ナオは、たすき掛けしているボディーバッグを開けて財布を取り出していた。
「ケン兄、5円玉ある」
「あるよ」
俺は、ポケットの中から5円玉一枚を取り出し、ナオに渡した。ナオの手のひらの中には、100円玉一枚と、10円玉一枚がのっていた。
「これで、115円。良い御縁がありますように」
と言うと泉の中心に向かって投げ入れた。柏手を2つ叩いてお辞儀をした。
何だ、いいご縁って。
セイジの顔を思い浮かぶ。俺も慌ててそのイメージを振り払うように柏手を打ち、両手を静かにあわせて目をつむった。無事に帰れますように、と熱心に祈った。
不思議なもんで、たったこれだけのことで心が少し落ちつく。
「ケン兄、ケン兄」
「今度は、何だ」
「道みたいなのがある」
ナオが指差した先は、草がわずかに踏み固められていた。
「獣道だ。戻ろう」
先に進もうとしたナオを軽バンまで連れ戻した。何か武器になるようなものがないか、バックドアを開けた。
荷室には、棚を追加で作ろうと思って買った木の板、2x4の材木やら配送業者の知り合いに借りたノコギリ、金槌、電動工具一式、延長コードなどが載っていた。ホームセンターの袋には、釘、巻き取り式メジャー、強力接着剤、歯磨き粉、シャンプー、歯ブラシ、洗顔フォーム、ボトルガムなどが入っていたが、どれも役に立ちそうにない。
大きめの紙袋には、部屋の間取りなどが書かれたチラシ、賃貸契約書、ガスと電気の契約書、料理本などが入っているだけだ。今は、そんなものよりもサバイバル術の本が欲しい。
ナオが助手席の足元に置いてあった紙袋をおもむろに開けていた。
「懐かしいね、折り紙、折り紙手裏剣、割り箸鉄砲」
「ああ、施設の子どもたちへのお土産を渡し忘れた」
「そういうところが抜けているんだよね。やだ、何、これ。『神威柔剛拳 ビギニング VS 銃刀爆弾魔 盗賊に故郷を焼かれた若者ビーエンは、神威柔剛拳の達人に弟子入りする。疾風怒涛の展開
電光石火の変わり身 一寸光陰の希望 雲蒸竜変のピンチにつぐピンチ そして捲土重来をきす』。意味分かんない」
「勝手に見るな」
「ふふん。こんな趣味があったんだ」
趣味が良くないことは自覚しているから、本当はあまり見られたくないが、とりあえず、ナオの機嫌が治ったのは良しとしよう。
「アクション映画ぽいけど、拳法、拳銃、刀とかだいぶ渋滞している」
「そういうハチャメチャなところがC級の見どころなんだよ。それよりも、何か良いものはないか考えろよ」
「わからないよ、虫よけスプレーは、絶対欲しいけど」
たしかに虫よけスプレーは欲しい。でも流石にそんなものは、季節じゃないから買っていなかった。色々と考えて見たが、とりあえず何も持たないよりはと思い、金槌をもっていくことにした。車の鍵をかけた。ナオは、スマホを見ていた。
「電波来ている?」
「圏外」
ナオは、スマホをボディーバッグにしまい、俺を見た。
「蛇とかいないかな」
「わからない。でも、足音を立てながら歩けば、きっと向こうから逃げてくれるだろう」
俺たちは、大きな足音を立てながら先ほど見つけた獣道を歩き始めた。ナオは、俺にピッタリと体を寄せて来た。あまり遠くには行けない。水も食料も持っていないからだ。薬は、救急セットをホームセンターで買ってあるから虫刺され程度ならなんとかなるだろう。だが毒のある虫や蛇に咬まれたらまずい。そんなことを考えながら5分ほど獣道を探りながら歩くと視界がひらけた。
目の前には草原が現れた。ナオが声を潜めて言った。
「何、あれ」
30メートルほど先に、10人ほどの人が、横一列に整列してこちらをじっと立っていた。全身黒ずくめで、顔もバンダナのような布を巻いて目だけを出していた。
「忍者?」
その中から、一人がこちらにゆっくり近づいてきた。ナオと俺は、後ずさりした。進み出てきたヤツが、明らかにナオに向かって声をかけた。
「お迎えに上がりました」
怯えるナオを隠すように俺は、男に向き合った。俺の膝も笑っている。怖くてたまらない。せめて声だけでも震えないように、気合いを入れる。
「あんた、何者だ」
まさか俺の人生でこんな言葉を発することになるとは思いもしなかった。男は、俺の顔をちらっと見て、眉間にシワを寄せた。男が、素早く人差し指で俺を指差した。同時に俺は、自分の胸に痛みを覚え、胸を見た。
胸に、ナイフが刺さっていた。
何をするんだと男を睨もうと視線を上げたとき、目の前に男が立っていて、ナイフを振り上げるのが見えた。そのナイフがスローモーションのように俺の首めがけて降り降ろされた。
ナオの悲鳴が聞こえた。
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