-totter

 愛の重さは平等でないといけない。どちらか片方が大きい愛を向けるなら、相手も合わせて大きくするべきものだ。

 それこそ、母と子や付き合い始めたカップルなんかは、お互いがお互いを愛することで、相乗効果的に愛が大きくなっていくだろう。


 シーソーを思い浮かべてほしい。あれが上手く機能するのは、同じ体重の子が遊ぶ場合だ。あるいは重たい一人に対して、複数人が同じ重さになるまで、乗っていくしか上手く遊べないのだ。


 つまり、私が言いたかったのは、大きい愛を向けられている者は、その相手に対して釣り合うような愛情を返さないといけなくて、間違っても、その愛を裏切る行為をするべきではない。


 眼の前で私が泣いているのを、適当にやり過ごそうとしている紅みたいに。


「いい加減泣き止みなよ、香。この世に男は星の数ほどいるんだからさ」

「私は男が好きなんじゃないの! たっくんが好きだったのよ!」


 山崎紅は、所謂親友だった。中学の時から、私、吉村香と山咲紅は出席番号が近いことで仲良くなり、それ以来、私はずっと一緒にいられるようにと努力してきた。

 高校も大学も私より頭の良かった紅の志望校に受かるように勉強した。

 けれど、紅はいつからか一緒にいる努力を一切しなくなり、私ばかりが紅の為に合わせるようになっていた。



 今日も、彼氏のたっくんの浮気現場を目撃して、そのまま、


「お前は重いんだよ、もう疲れた。別れよう」


と言われてしまい、悲しくて死にそうな私が話を聞いてもらおうと連絡しても、全然応えてくれなかった。

 今日は紅は午後からの講義のはずだし、連絡できないはずないのに。何度かメッセージを送って、電話もかけたら漸く


「もしもし」


と眠たそうな声で電話に出た。その声を聞いた瞬間、私の怒りは爆発してしまった。


「酷いよ紅、私何度も連絡したのに何度も何度も連絡したのにどうして出てくれなかったの! とにかく今すぐ三号館のカフェに来て、もう私辛くて死にそうなの、今すぐ来てくれないと私本当に死ぬから!」


 怒りに任せてそう言い、興奮のあまり電話を切ってしまった。私はいつも紅に合わせて無理をしているのに、私のことを軽んじるような紅の態度が許せなかった。


 私は紅が大好きだ。愛している。

 確かにたっくんのことも愛しているけれど、それはまた別の愛だ。ただ、この世に1種類しか愛がないとしたら、一番愛を捧げているのは間違いなく紅だ。

 そんな紅に蔑ろにされるのは本当に辛くて、涙が止まらなくなった。


 電話から大分経って漸くやって来た紅は、涙が止まらず机に突っ伏している私の肩をトントンと叩いて、


「ちょっと、香、恥ずかしいから少しは堪えなよ」


と言った。私はまた体中の血が怒りで沸騰したようにカッと熱くなって、


「酷い! 電話にも全然出てくれなかったし、来るのも遅い! 紅は私が死んでも平気なのね!?」


と叫びながら机に突っ伏した。

 私は知っているのだ。紅はとても鈍感だから、ちゃんと私がどれくらい傷ついているか、悲しんでいるかを言葉にしないとわかってくれないのだ。

 案の定、私が傷ついていることにやっと気が付いた紅は


「そんなことないよ、心配だからこうやって来たんでしょ。何があったか教えてくれないの?」


と諭すように背中を撫でてくれた。


「あのね、たっくんが別れようって言ってきたの」


 少し落ち着いてきたから、私がどんなに彼を愛していたか、尽くしてきたか、そんな彼から酷い裏切りを受けて傷ついたか、でもまだそんな彼が好きで、今どんなに辛いかを一生懸命話した。

 紅はずっとよくわからないという顔をしていたから、できるだけ鈍感な紅にもわかるように説明したのに、


「いい加減泣き止みなよ、香。この世に男は星の数ほどいるんだからさ」


と言われたのだ。私は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 こんなに説明しても、紅は私を理解してくれない、いや、私を理解しようとすることを怠っている。


「あんたがたっくんを好きだったのはもう充分わかったから。でももう別れることになったんでしょ? だったら、新しい恋するしかないじゃない。もう私、講義始まるから行くからね」


 席から立ち上がった紅に、私は俯いたまま


「酷い」


と呟くしかなかった。ショックだった。たっくんに裏切られて、私は紅にまで裏切られた。

 縋るような思いで、紅の服を掴み、


「今、行ったら私死ぬから。本当に死ぬから」


と言った。紅は私の手を解いて、今まで聞いたことないような冷たい声で


「ああ、そう。好きにすれば」


と言って立ち去ってしまった。

 私は呆然と紅の遠ざかる背中を見詰めていたけれど、カフェを出て屋上へ向かって、次に気が付いた時には自分のお葬式を見ていた。


\\


 自分の葬儀を見るなんて、とても不思議な気持ちだった。葬儀には紅も来ていて、私の両親から何か死因はわからないか、と泣きながら尋ねられて閉口していた。

 何も言えなくて当たり前だ、紅の所為で私は死んだのだ。


「香さん、彼氏と別れたって、泣いてて」


 絞り出した声は震えていたけれど、それは私が死んで悲しいからではなく、自分が殺してしまったという罪悪感からに他ならなかった。


「こんな時でも自分だけが可愛いのね、紅は」


 私の両親にすみませんと頭を下げる紅の隣でそう言っても、紅には届いていなかったようだ。

 仕方ない、私は愛する人たちに裏切られ、失意のまま死んでしまったのだから。成仏なんてできるはずない、この葬儀に来ている皆が憎い、憎くてたまらない。

 皆、私の愛に報いて私を救ってくれなかった奴等なのだ。

 特に、紅。


「紅ちゃんが謝ることないわ、あの子が悩んでることに気付けなかった私たちが悪いのよ。良かったら最後のお別れを言ってやって頂戴。香は、紅ちゃんのことが大好きだったから」


 母が言う通り、私は紅が本当に大好きだったのに。じっと母に頭を下げて、御焼香をしに祭壇に近づく紅をじっと見詰めながら、後をついて行った。

 不意に私の遺影を見て顔を背けた紅の真正面に立って言ってやった。


「絶対に許さないわ、紅」



 私が死んでから、紅の元には色んな人がやってくるようになった。皆、何も事情を知らない癖に、好き勝手私のことを噂していて、


「あんなに取り乱すくらいに、よっぽどその別れた男のこと好きだったんだね」


と、たっくんを責めることばかり言った。

 勿論、彼に裏切られたことも、私をとても傷つけたが、最後に屋上から私の背中を押したのは、紅だ。紅は好き勝手言う奴等に気のない返事をするばかりで、否定も肯定もしなかった。

 きっと自分が私の死に直接関わっていると思われたくないのだろう。


「紅、紅。こんなに近くに私がいるのに、気付きもしない、酷い女ね」


 たっくんは、すぐに私に気付いたのに。


 私は死んでから、毎日紅の側にいて何度も声をかけた。けれど、一度として紅が私に気付くことはなかった。

 私は自分自身がどんどんどす黒い何かに染まっていく感覚に、怯えていた。紅に気付いてほしい。そんな私に気付かない紅が憎い。誰も私に気付いてくれないのは寂しい。私に気付かない皆が憎い。

 何かを考えるたびに、憎い、苦しい、この辛さを他の誰かにも知らしめたいと思うのだ。


 私は紅について回っていたある日、構内でたっくんを見つけた。隣には私と彼が付き合っているのを知っていたにも関わらず、彼を誑かした女がいた。


「なぁ、瞳。次の講義サボって俺ん家来いよ」

「ええ、またぁ? もうしょーがないんだからぁ」


 人目も憚らずにいちゃつく二人の姿を見ていると、また、どす黒い感情がせり上がってくるのがわかった。私は紅の側を離れ、たっくんの家に向かう二人の後をついていった。


 二人は部屋に入るなり布団になだれ込んで、お互いの服を脱がせ合っていた。

 私はそれを部屋の奥の右隅に立って見詰めていた。行為を見続けていると、どんどんと自分が黒く染まっていくようだった。憎い憎い。この男も、この女も殺してやりたい。

 すると、不意にたっくんの背中越しに女と目が合った気がした。その瞬間、女は目を見開いて


「いや!」


と叫んだのだ。


「どうしたんだよ、瞳」

「そ、そこ、あの女、吉村香が!」

「ひっ!」


 女が私の方を指さし、それに背中を向けていたたっくんが振り向いて悲鳴を上げた。大慌てで二人は服を着て、鍵も締めずに部屋を飛び出した。どうやら、今まで見えなかった私の姿が見えたらしい。

 すっかり外は夜になっていて、私ははっとして紅の元に戻った。もしかしたら、今だったら、紅にも姿が見えるのではないかと思ったけれど、やはりいつも通り紅には私の姿は見えず、声も届かなかった。


 私はその日から、毎日夜になるたびにたっくんの部屋を訪ねた。思った通り、夜になって、あの部屋の右隅に立っていると、彼には私の姿も声も認識できるようだった。


「消えろ、消えろよ! どうせ幻なんだろ!」

「紅、紅をここに連れてきて」


 たっくんは私の姿を見るたびに錯乱状態になって、物を投げつけてきた。元々、部屋の片づけが苦手だったのに、私が立っているここだけ余計に散らかっているみたい。

 たっくんはすぐに引っ越そうとしたけれど、元々遠方の親に無理矢理頼み込んで仕送りをしてもらっていたのに、大学もさぼりがちで怒った親に仕送りを打ち止めにされていた。私にもよくお金を貸してと言って、返してくれることもなく、浪費していく。バイトも長続きしないし、貯金もない彼に今の家を引っ越す資金などなかったのだ。


 たっくんはみるみる内にやせ細っていった。怖がりで小心者な部分がある人だったから、少し可哀想になったけれど、しょうがない。

 ここに紅を連れてきてもらえたら、もしかしたら紅にも私の声が届くかもしれない。そう思って、毎晩毎晩、たっくんに紅を連れて来てと頼んだ。そうしたら、彼も毎日毎日、紅に私の話を聞いてくれと頼むようになったのだ。


 最初はにべもなく、


「私は話すことなんてないわ、さよなら」


と、断っていた紅も、段々とやつれていくたっくんを可哀想になったのか、漸く、


「一体何なの? 毎日毎日、話したいなら勝手に話せばいいじゃないの。それに私以外にも聞いてくれる人いるんでしょ? 新しい彼女とか」

「瞳とはもう別れたんだ、とにかく、お前に聞いてもらわなきゃ困るんだよぉ」


と、彼の話を聞く気になったのだった。私はこの上なく興奮していることに気が付いた。これで、やっと紅と話せるのかもしれない。

 紅が私を見てくれるのかもしれない。


「とにかく、俺の家に来てくれ。頼む」


と、土下座でもせんばかりに頭を下げたたっくんと、紅と、そして私は彼の部屋に揃ったのだった。


\\\\


 たっくんの部屋に到着した二人は私のことを話していた。二人とも夜になると右隅に現れると思っているみたいだけれど、私はもうここにいるんだけれど。姿が見えるのが、夜の、あの場所なだけ。


 恐らく、あの日、私を初めてたっくんが目撃した日、私の溜まり溜まった恨みが爆発したのだろう。だから、あの場所で夜になったら、私の姿が見えるんじゃないかな。


 彼の話を信じたのか、紅は夜になるのをじっと待っていた。私も紅の隣でずっと待っていた。


「ねぇ、香は他に何も言ってなかったの?」

「たっくんには他に何もお願いしてないわ。あの女とも別れてくれたみたいだし」

「お前を連れて来いってことだけだ、それ以外は言ったことない」

「ありがとう、たっくん。私、あなたのこと許すわ。

ねえ、紅。私、あなたに聞いてほしいことがあるの。私、紅のこと憎くて憎くて堪らない、でもね、その反対にこんなに愛してるのも紅だけなのよ」


 きっとそれを伝えられたら、私、未練がなくなるような気がするの。

 そう思ったらつい、感情が高ぶって、その影響なのか、部屋の電気がすべて消えてしまった。


 いつの間にか、外はもう真っ暗になって太陽は沈み切り、夜になっていたのだ。


「うわぁああ」


 たっくんは真っ暗になっている中でも、私の姿を見つけられたようだ。まだ、いつもの場所に立っていないのに。


「ただの停電でしょ! ブレーカーあげるから、どこにあるのよ!」

「く、来るな! 俺が悪かった! 頼むから! やめてくれ、頼む、許してくれ!」


 たっくんはパニックになり、息が上手く吸えておらずに過呼吸になっていた。

 私はそれを助けようとゆっくりと彼に近づき彼の背中を撫でた瞬間、彼はあまりに驚き過ぎて死んでしまった。

 人間はこんなにも、簡単にショック死してしまうものなのかしら。それとも、今までの恨みや怒りが募り過ぎたから、触れただけで人を殺めてしまう力を持ったのかしら。

 紅に触れたら、紅もこっちに来てくれるのかしら。


 たっくんに気を取られている間に、紅は壁伝いに歩き出した。もしかして逃げるつもりなの。


「許さないわ! 紅、こっちを向きなさい! 聞こえているでしょう!」


 そう言っても紅はこちらを一切振り向くことなく、トイレに入って行った。私も後をついていく。


「ねぇ、紅! まさか聞こえてないの? 私が見えてないの? たっくんやあの女にだって見えていたのに?」


 何度も紅に触れようとしても、幽霊になった身体で通り抜けてしまい、触れることも叶わない。たっくんは背中に触れた瞬間死んだのに、紅は死なないどころか気付きもしない。


「だからブレーカー落ちてただけだってば、男の癖に大袈裟ね」


 なんでもなかったようにブレーカーを上げて部屋の電気を点けた紅の前に、私は立っていた。涙が止まらなかった。

 紅の目には、やっぱり私は映っていなかった。


「ちょっと、星田? 星田ってば!」


 たっくんの異変に気付いた紅は、私の身体をすり抜けて、彼に駆け寄った。


「紅、わかったわ、どうしたってあなたは私に愛を返してくれないのね。酷い女だわ、でも私は本当にあなたが好きだった、愛していたわ。私はきっと、愛を注ぐ相手を間違えたのね」


 私は、あなたとシーソーで遊ぶ為に、私とあなたの愛が同じ重さになるのを待つんじゃなくて、あなたじゃない同じ重さの愛を返してくれる子を探すべきだったのね。

 そうしたら、私もあなたも、楽しく遊べたのかもしれない。


「さよなら、紅」


 もう二度と会うことはないわ。

 そう言った時、身体中の恨みや怒り、悲しみの黒い感情がなくなって、軽くなった。紅を憎み、愛すことを諦めた私は、この世への未練がなくなったようだった。

 

 私の身体が消滅しようとした瞬間、やっと紅がこちらを見た気がした。

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