teeter-
愛の重さは平等じゃない。どちらか片方が、重ければ重いほど、必ずもう片方は相対的に軽くなるものだ。勿論、どちらも深く愛し合っている関係はある。母と子や付き合い始めたカップルなどが互いを思い合うのは珍しいことではない。
シーソーを思い浮かべてほしい。あれが上手く機能するのは、同じ体重の子が遊ぶ場合だ。あるいは重たい一人に対して、複数人が同じ重さになるまで、乗っていくしか上手く遊べないのだ。
つまり、私が言いたかったのは、軽い愛で接しても、重い愛を押し付けても、対人関係は上手くいかないということだ。
同等の愛を持った二人でなく、どちらか一方が重い愛を相手に求めたら、その相手はうんざりしてしまうもの。
眼前で啜り泣く、この女にうんざりしている私のように。
「いい加減泣き止みなよ、香。この世に男は星の数ほどいるんだからさ」
「私は男が好きなんじゃないの! たっくんが好きだったのよ!」
吉村香は、所謂重い女だった。中学の時から、私、山咲紅と吉村香は出席番号の近い者同士話すことが多かった。
特別気が合うわけでもなかったけれど、たまたま高校も大学も同じで、なんとなく一緒にいることが多かったと私は思っている。
香はしきりに私を「親友」扱いするが、本当にそんなに親しいだろうか、と少し疑ってしまうのだ。この子は重い女だから、大袈裟に言ってるだけじゃないかって。
今日も、午後からの講義だからとゆっくり寝て、起きがけにスマホを開けば、着信が52件と、メッセージ通知99件+というストーカーも真っ青なレベルの状態だった。そこに53回目の着信が入り、
「もしもし」
と出た瞬間に
「酷いよ紅、私何度も連絡したのに何度も何度も連絡したのにどうして出てくれなかったの! とにかく今すぐ三号館のカフェに来て、もう私辛くて死にそうなの、今すぐ来てくれないと私本当に死ぬから!」
と一気に捲し立てて、通話は終了した。
解せぬ。まるで、私が心置きなく寝ていることが、彼女にとっては大罪のような扱いだ。
面倒くさいな、どうせ彼氏にまた振られたとかだろうな。
そう思って、渋々急いで向かった大学の構内のカフェの一席で、人目も憚らず泣いている女がいた。
「ちょっと、香、恥ずかしいから少しは堪えなよ」
「酷い! 電話にも全然出てくれなかったし、来るのも遅い! 紅は私が死んでも平気なのね!?」
香はヒステリックにそう喚くとまた机に突っ伏して泣き始めた。本当にうんざりするが、こうなると手がつけられなくなるので、なるべく感情を殺して
「そんなことないよ、心配だからこうやって来たんでしょ。何があったか教えてくれないの?」
と諭すように背中を撫でてやった。
少しは機嫌が直ったのか、泣き声が小さくなり、すんすんと鼻を啜る音が聞こえた。
「あのね、たっくんが別れようって言ってきたの」
やっぱり、思った通りだ。やっと収まって話し始めたら、案の定彼氏に振られた話だった。
そこからはもう、如何に自分が彼氏を愛していたか、尽くしてきたか、そんな自分を振るなんて彼は酷い男だとか、そんな酷い男を自分は如何に愛していたかの無限ループに突入だ。
しばらくは適当に相槌を打っていたが、二時間経って、そろそろ講義が始まる時間が迫ってきた。
そこで励ましの言葉で言ったのが
「いい加減泣き止みなよ、香。この世に男は星の数ほどいるんだからさ」
だったのだ。
しかし、残念ながら香は何一つこの言葉に救われることなく、むしろ自分の愛を否定されたとばかりに憤慨し始めたのだから、いよいよ面倒くさい。面倒くさいし、本当に講義が始まってしまう。
「あんたがたっくんを好きだったのはもう充分わかったから。でももう別れることになったんでしょ? だったら、新しい恋するしかないじゃない。もう私、講義始まるから行くからね」
席から立ち上がった私に、香は俯いたまま
「酷い」
と呟いた。これは到着時と同じく泣き喚き攻撃の第二波がくる、と察して立ち去ろうとした私の服を掴み、ゾッとするような声色で
「今、行ったら私死ぬから。本当に死ぬから」
と、言った。
香はわかっていたのだろう、私が「死ぬ」と言われたら、折れることを。だから都合が悪くなったり、我を通したりする時は、こうやって伝家の宝刀として「死ぬ死ぬ」詐欺を使用するのだ。
確かにいつもならここで折れていただろうし、講義をさぼって慰めていたかもしれない。けれど、生憎この講義は出席日数が危うく、その原因も過去の香の我が儘に付き合った所為だ。
それが無性に腹立たしくなって、そもそも何故自分に関係ない話を聞かないだけで悪者扱いをされないといけないのだと、怒りに任せて、
「ああ、そう。好きにすれば」
と、つい、口から出た言葉は冷たい声色になってしまった。
どうせできやしない癖に。そう高を括っていた。
だからまさか、本当に香が死んでしまうなんて、思ってもみなかったのだ。
//
香の葬儀の時、私は香の両親から何か死因はわからないか、と泣きながら尋ねられて閉口した。
彼女は遺書も何も残さず、私が香の手を解いて講義に出席した間に、三号館の屋上から飛び降りて死んでしまったのだ。
「香さん、彼氏と別れたって、泣いてて」
絞り出した声は震えていて、それは香が死んだ悲しみからではなく、自分が香の死の原因だという恐怖からだった。
それ以上、言葉を紡ぐことはできず、すみませんと頭を下げると、香の母親が
「紅ちゃんが謝ることないわ、あの子が悩んでることに気付けなかった私たちが悪いのよ。良かったら最後のお別れを言ってやって頂戴。香は、紅ちゃんのことが大好きだったから」
と、深々と頭を下げるので、お辞儀をし返してお焼香をしに祭壇に近付いた。居たたまれない気持ちで遺影を見詰めると、なんだか笑っているはずの香が段々とこちらを睨み付けているような気がして、不意に目を逸らした。
香が亡くなって、私は色んな人から声をかけられた。あの日、香と私のやりとりを見ていた人から、
「ちょっとおかしかったもんね、吉村さん。山咲さんも災難だったね」
とか
「あんなに取り乱すくらいに、よっぽどその別れた男のこと好きだったんだね」
とか、いつのまにか広まった、香が男に振られて自殺したことについて、好奇心いっぱいの目をしながら、情報を聞きに来られるのだ。
皆、香が変わった奴だという認識だったのか、私やたっくんとやらを悪く言う人はあまりいなかった。
私はなるべく多くを語らないように必死だった。だって、今までだって似たようなことは何度もあった。振られたとか、浮気されたとか、他の女と仲良くしてるとか。
そのたびにあれくらい火が付いた赤ん坊のように泣き喚いて、
「死ぬ死ぬ」
と言いながらも、死ぬことはなかったのだ。唯一、私が
「ああ、そう。好きにすれば」
と言った今回を除いて。これが周囲の人たちに知れたら、彼氏の所為で死んだのではなく、私が殺したと思われても仕方ない。いや、事実そうなのかもしれない。
そんな罪悪感と焦燥感を綯い交ぜにした気持ちで過ごしていたら、ある講義終わり、知らない男に声をかけられた。
「山咲紅て、あんた?」
「はあ、どちら様ですか」
「俺、香と付き合ってた、星田卓也」
この真っ青な顔で話しかけてきた、少しやつれた男が件のたっくんだった。私はこの男に対して今まで何の感情も抱いていなかったが、本人を眼の前にすると、沸々と怒りが込み上げてきた。
そもそも事の発端はこの男なのだ。それが今更私に何の用なのか。
「なんですか」
「あんた、香の親友なんだろ、聞いてほしい香の話があるんだよ」
「私は話すことなんてないわ、さよなら」
待ってくれという声を背中に聞きながら、速足でその場を立ち去った。きっと、良心の呵責に耐えきれなくなって、懺悔でも聞かされるに違いない。
そんなこと、絶対にさせるものか。私がこんなに苦しんでいるのに、彼奴だけ楽になるなんて許せない。
その日から、私は星田に付き纏われることになった。彼は、話を聞いてほしいと言うわりに、勝手に話し出すことはなく、
「香の話を聞いてほしい」
と言うだけだった。
あまりにしつこく言ってくる上に、明らかに最初に声をかけてきた時よりも更にやつれている姿に、この男まで死なれては困ると思ったのだ。
「一体何なの? 毎日毎日、話したいなら勝手に話せばいいじゃないの。それに私以外にも聞いてくれる人いるんでしょ? 新しい彼女とか」
「瞳とはもう別れたんだ、とにかく、お前に聞いてもらわなきゃ困るんだよぉ」
とうとう泣き出したたっくん、もとい星田は、困惑する私に、
「とにかく、俺の家に来てくれ。頼む」
と、土下座でもせんばかりに頭を下げてきたのだった。
////
星田は大学近くに一人暮らしをしているらしい。連れて行かれた部屋の中を見た瞬間、私は思わず顔をしかめた。部屋は散らかり放題というか、そこら中に物が落ちていて、特に一カ所、奥の右の隅に物が集中して落ちていた。
まるで、そこに立っている何かに向かって物を投げつけたように。
「ちょっと、人のこと部屋に呼ぶつもりなら、少し片付けたらどうなの?」
「そこに、夜になるとそこに、香が立ってるんだ」
呆れながら投げかけた私の質問に答えることなく、星田は部屋の奥の右隅を指さしながらそう言った。
「香が立ってる? ふざけたこと」
「本当なんだ! 瞳、別れた彼女も一緒に見たんだ! それから毎晩そこに立って、紅、紅を連れてきてって言うんだよぉ! もう、俺頭おかしくなりそうなんだ、どうにかしてくれよ!」
泣き叫ぶようにそういうと、星田はその場に蹲った。それが悪ふざけには到底思えず、私は香が立っているという部屋の隅を凝視した。勿論、そこには物が散らかっているだけで誰も立っていなかった。
星田が言うには、夜になると現れる香の幽霊は
「紅をここに連れてきて」
と星田に恨めしそうに言うそうだ。もしかしたら、私と星田を憑り殺そうとしているのかもしれない。
現に、星田は今にも死にそうなくらい震えながら布団の上に座っている。特に会話することもなかったが、沈黙に耐えられず、
「ねぇ、香は他に何も言ってなかったの?」
と問い掛けた。星田は震えながら
「お前を連れて来いってことだけだ、それ以外は言ったことない」
と答えた。どうして香はここに私を連れて来たかったのだろう。何かこの場所に思い入れがあるのだろうか。
そんなことを考えていた時だった。突然電気が消えた。
思わずその場で硬直してしまったが、星田はもっとパニックを起こしたようで
「うわぁああ」
と悲鳴をあげていた。
「ただの停電でしょ! ブレーカーあげるから、どこにあるのよ!」
「く、来るな! 俺が悪かった! 頼むから! やめてくれ、頼む、許してくれ!」
会話にならない星田に舌打ちをして、そういえばさっきトイレを借りた時、中にブレーカーがあったことを思い出した。
壁伝いにトイレにたどり着き、中にあったブレーカーを上げたらトイレの電気が点いた。ほっとして外に出て
「だからブレーカー落ちてただけだってば、男の癖に大袈裟ね」
そう言って、部屋の電気を点けたら、布団の上で星田がだらりと四肢を投げ出して倒れていた。
「ちょっと、星田? 星田ってば!」
揺さぶっても星田は起きず、息をしていなかった。信じられないが、本当に星田の言う通り香はここにいたのかもしれない。
星田のことは、きっと、香が連れて行ったのだろう。そして、次は私の番なのか。
そう思った瞬間、膝から下の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
依然として私には、香の姿は見えないのに、この場にいるのかもしれないと、そんな恐怖が湧いてきて動けなくなった。それと同時に悲しくなった。星田とその元カノにだって香の姿は見えたのに、どうして私には見えないのって。
私は香に無理矢理シーソーに乗せられて、そのまま香がいなくなってしまったような、そんな虚しさに襲われた。
動かなくなったシーソーから、降りることすら許されず、遊び相手の香も二度と帰ってこない。
ねえ、香。あなたは私のこと、本当はどう思ってたの。どうして私の前にだけ、姿を現してくれないのよ。
「紅」
なんだか、香に名前を呼ばれた気がして辺りを見回したけれど、やっぱり姿は見えなかった。
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