空
僕には幼馴染がいる。物心ついた時から彼女は僕にくっついて歩いていた。園庭で遊ぶにも園内で遊ぶにも。帰りの遅い彼女の親が迎えに来るまで家でさえずっと遊んでいた。
彼女には僕しかいなかった。否、今でもそうなのだ。
彼女は目が見えない。いたって普通の保育園に入園させるのに苦労はあっただろうが、親の思いなど気に留めず。彼女は僕とともに生きてきた。
彼女は言葉を話さない。表情表現も乏しく不気味な子だと言われてきた。けれどそんなことはないはずなのだ。意思表示は少なくともあるし、僕がどこか行こうとすると袖を引っ張ってくれるのだ。
僕はそんな彼女が大好きだ。
家が近いと当たり前のように進学した義務教育時代。盲学校に行く選択肢など彼女にはなかった。そこには僕がいないから、だそうだ。
けれどその選択肢はよかったのだろうか。
彼女はクラスで浮いていた。そりゃあそうか。教科書も違えばノートは持ち込み禁止のはずのスマートフォン。テストも別室。音読だって、授業であてられることだってない。
ずるい。
そういわれるのは当たり前のことだった。
僕に色目を使い、こんな奴と一緒にいるくらいならと言ってきたクラスメイトも次第に、内申点のための付き合いだなんだとケチをつけるようになってきた。
それでも僕だけはずっと前に立って守り続けていた。
――――――
「あ。」
僕の腕を二度つつき、首を傾げる。
「いや。なんでもない。ちょっとここで待ってて。」
首を横に振る。
「そっか。あのな。言っていいかわかんないんだけど。」
袖口を強く握る。
「ううん。きれいな花があったんだ。君にも見せてあげたいな。」
14歳の夏。机上。一輪の花。
彼女は気づいただろう。嫌われていることを。死を、この場からいなくなることを望まれていることを。
けれど彼女は気づいただろうか。送り主が僕だということを。
誰も気づかないだろう。僕の机に連日枯れた花が置いてあることを。
放課後、僕の袖を引く。行くのはきっといつもと同じ。家と逆方向にある廃ビルの屋上。彼女はそこの空気が好きなのだという。
ああ、もちろん僕も好きだ。
「今日の空は明るい水色。ほんとにスカイブルーって感じ。雲は2割ってとこかな。」
午後4時。明るいのはもう夏になった証拠だ。
――――――
「ねえ、遠くに行こうと思うんだ。誰も追いつけないところ。」
夏休み。行きなれた彼女の部屋。唐突に問いかけるものだから彼女の動きが一瞬止まる。すくっと立ち上がりクローゼットの中のキャリーケースを取り出す。
「ううん。それはいらない。」
見えないはずの目で僕のことを見据える。
「だいじょうぶ。君は連れて行くよ、ただ」
彼女の手を取る。
「誰にも言わないんでほしいんだ。」
彼女は何かを感じたのか。一つ頷いた。
「明日の朝、迎えに行くから。ごめんね急で。」
――でも君のためなんだ
バレないように鼻を啜ったつもりが彼女には伝わってしまった。
手を伸ばし、僕の輪郭に手を添える。
「大丈夫だよ、ありがとう。」
彼女の両親は傍から見たら優しそうな人だ。
けれど僕は知っている。頑なに喋らせようと彼女に毎晩のように言い寄っているところを。
そして僕は知っている。どうして普通級に入れ続けたのかを。泊りの日に聞いてしまったのだ。
――あの子はいつか治るから。普通の子のはずだから。だって私の子だもの。あんな出来損ないでお荷物なわけない。
彼女もそれを幼ながらに知っていた。治さなきゃと息を吸ってはうつむく彼女の姿を何度も見てきた。
こんな世界にいちゃいけないんだ。
――――――
「ほんとに何も持ってこなかったね僕ら。」
「もうそろそろどこ行くかわかってるんでしょ。」
「そうだよ、いつものとこ。空見に行こうよ。」
「そんなビビんなくても大丈夫だって。ね。」
慣れた足取りで階段を上る。どうして彼女はずっと僕の袖を引っ張ってくるのだろう。
怖いよね。また親になんか言われるんじゃないかと思うと怖いよね。でも大丈夫。これで全部おしまいだから。2人きりでいられるんだよ。
ずっと最後まで彼女は僕の服を掴んでいた。けれど抱きかかえてしまえばすぐだった。
フェンスを乗り越えた時、彼女は掴んでいた手を離した。何かを決意したように。
「じゃあ、行こうか。誰も知らないところに。もう追いつかれないところに。」
驚いた。僕のほうを一つ見て首を縦に振るなんて。
僕の手を取るなんて。
彼女から空を飛ぶなんて。
――――――
アヒルの中に馴染めなかった白鳥の雛は、大人になるために翔けた。
帰るところは青く深く 櫻木緑陽 @ryou-reality
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