第1話 今の俺に見えているものは……

「暇な君にね。私が出てくる小説を書いて欲しいんだ」

 昨日の夜にあの少女に言われたことが頭の中から離れないでいた。

 書くわけ……書ける訳ないだろ。自分の小説だってもう何ヶ月も手付かずなんだから……。


 カタカタとキーボードを打つ音だけが教室の中に響いている。教室には長テーブルが縦に四つ、横に三つ並んでいる。全部で十二個ある長テーブルには専門学校で同じ専攻を勉強している人たちが散らばって座っている。ここで授業を受けている人の大半は小説家になりたい人たちだ。

 今日の授業は確か各々が目指している新人賞へ向けた長編小説の企画、プロット、本編執筆の時間が設けられていた気がする。各々の作業ペースで周りの人たちはパソコンと向き合って淡々と白い画面を文章で埋め尽くしていっている。

 ちらほらと講師の元へパソコンを持って行って話している人もいる。

 出来た企画を見てもらっているのか、プロットが埋まらないのか、それとも本編の執筆に行き詰ってしまったのか、どうして話しているのかは分からないが。

「今日も何も書かないつもりなの?」

 同じ長テーブルの端に座るあかつき雪那ゆきなが俺に声をかけてきた。

 雪那は長い前髪を束ねて、おでこを出してすオールバックみたいに髪をまとめていて、黒い縁の眼鏡をかけている。

 雪那の言う通りで、他の人たちと違って俺の画面は真っ白なままだった。画面の中では小さい黒い線が点滅している。

「別にお前には関係ないだろ」

「やぐも最近全然小説書いてないでしょ」

「だからお前には関係ないだろ。俺が書いていようが、書いてなかろうが」

 雪那は自分のパソコンに向き直り、カタカタとタイピングし始めた。

「やぐも、今日の授業が終わった後の予定は?」

「六時からバイトだ」

「なら大丈夫ね」

「何がだよ」

 雪那はキーボードを打つ手を止めて、また俺の方に顔だけ向ける。

「授業が終わったら私に付き合ってもらうから」

 俺は雪那から真っ白なパソコンの画面に向き直る。

「どうぞご勝手に」

 俺がそれだけ言うと、雪那の方からまたキーボードを打つ音が聞こえてきた。

 こういう時は適当に付き合ってやった方が時間もかからないし、楽だということを一年以上の付き合いで最近分かった。


 一時過ぎに授業が終わり雪那に連れられて来たのは学校近くのファミレスだった。ついで昼食も取ろうとのことだった。

 平日の昼時だからなのか店内の客はワイシャツ姿のサラリーマンらしき男性や年配の男女、それと主婦であろう子連れの人という感じで混んでいる様子はなかった。

 店に入るとすぐに女性の店員が「いらっしゃいませー」と言いながら近づいてきた。女性の店員は雪那と雪那の後ろにいた俺のことを見てから、

「二名様でよろしいでしょうか?」

「はい。あと空いている禁煙席でお願いします」

 雪那にはそんな気はないんだろうが、店員さんは雪那の威圧的な態度に少し戸惑っている様子だった。しかしすぐにまた仕事の顔に表情を変えた。

「かしこまりました。それではご案内させていただきます」

 女性店員が歩き出すと雪那は顔だけ後ろに向けて、

「私の前で煙草は吸わせないから」

 と俺にだけ聞こえる声で言って来た。

「分かってると。それにお前の前で吸ったことなんてないだろ」

 女性店員の後を追いかけるように歩き出した雪那は「分かっているならいいけど」と適当に返事をした。

 案内してもらった席に座りお互いに食べるものとドリンクバーを注文した。注文を受けた店員が立ち去り、俺は席を立つ。

「飲み物何が良いんだ?」

「いつものをお願い」

「お前絶対そのセリフ言いたいだけだろ」

「余計なこと言ってると、せっかくの親切心が台無しよ」

「はいはい、行ってきますよ」

 雪那は頬を杖をついて、反対側の手を適当に振って俺を送り出した。

 ドリンクバーコーナーの前まで来て、さっさと自分の分のジンジャーエールを作る。

 その後にあらかじめ氷を入れておいたグラスにカルピスとメロンソーダを1:1の割合で入れる。

 席に戻ると、雪那はすぐにグラスを手に取り軽く口に飲み物をふくめる。

「やっぱりやぐもはドリンクバーで飲み物を作るプロね」

「プロも何もお前が飲み物作るのが下手くそなだけだろ」

「下手くそなんて心外ね」

「実際にそうだろ。飲み物入れてから氷入れたり、カルピスとメロンソーダを入れるだけなのに10分以上時間をかけたり」

 ため息交じりに俺が言うと、「そんなこともあったわね」と雪那に適当に流された。

 今日は雪那の方から誘ったくせに素っ気なさすぎる気がする。まあ俺と雪那は友達関係なわけでもないし、ましてや恋人関係なんかでもない。ただの同じ専門学校に通う学生ってだけの関係だ。

 それに雪那なんて愛想も悪いし……。

 グラスの飲み物を半分くらい飲むと、俺と雪那の頼んだピザとイカ墨パスタが運ばれてきた。

 雪那はイカ墨パスタを自分の方に持って行くと、眼鏡を外してヘアゴムをほどき前髪を整え始めた。

 眼鏡と髪を束ねるのは雪那の執筆作業をする時のルーティンのようなもので、眼鏡はただの伊達眼鏡だ。

 眼鏡を外して前髪も整えられた雪那の顔立ちはひいき目なしで整っている。整ってはいるが伊達眼鏡で隠れていた目つきの悪さが際立ってしまう。はたから見たらやっぱり近寄りがたい印象を受けるのだろう。学校でもクラスの人と話したりするところなんて見たことがない。

 まあ、不愛想で口も悪ければそれも仕方がない気もするが。

「何よさっきからじっと見てきて」

「別に何でもない。イカ墨パスタとその飲み物の組み合わせがあまりうまそうに見えないと思ってただけだ」

「余計なお世話よ。食べる私の勝手でしょ」

 そう言われてしまうと何も言えなかった。仕方なく自分が頼んだピザを口にする。

「あっつ!」

「ふふっ。猫舌のくせに馬鹿ね」

 俺がピザを勢いよく口元から離したのを見て雪那が鼻で笑う。

「口を真っ黒にしてるバカには言われたくないけどな」

 雪那はパスタを口に運ぼうとした手を止めて慌ててトートバックからスマホを取り出す。自分の顔を確認した雪那は頬赤らめて、慌てて口元を拭いた。

「気が付いてたならいいなさいよ!」

「そういう食べ方なのかと思って勝手に食べてもらってただけだ」

 俺が嫌味っぽく言うと、雪那は何も言えずに唇を噛んだ。

「このっ!」

 その瞬間、足に激痛が走る。雪那が俺の足を踏んづけたのだとすぐに分かった。

「痛った! お前何すんだよ!」

「何もしていないけれど?」

「思いっきり俺の足踏んだよな? かかと使って思いっきり踏んづけたよな?」

「だから何もしてないってば」

 雪那はパスタを口に運んで、わざとらしく俺から顔を背けて窓の方を見た。。

 俺の言った嫌味の腹いせなのだろうが、そんなものにいちいち付き合ってやるのも面倒に思った。

「それで? なんでお俺はお前に付き合わされてるんだ?」

「それはやぐもが了承したからじゃない」

「言葉遊びをしてるつもりはないんだが?」

 俺がそう言うと、雪那は無言のまま飲み物を口にする。そして窓の外を見ながらわざとらしくストローで吸う際に音を立てた。

「はあ、言い方が悪かったな。なんでお前は今日俺を誘ったんだ?」

 雪那がグラスをテーブルの上に置くと、視線だけを俺の方に向けてきた。

「……小説家になるのもう諦めたの?」

 雪那の問いに俺は何も答えられなかった。でも答えなければ雪那は視線を外してくれなそうに思えて……。

「飲み物取ってくるけど、お前はまた同じのでいいのか?」

 雪那の眉間にしわが出来て、さっきまで向けられていた視線はまた窓の方に移る。

「いらない。さっさと行きなさいよ」

 席を立って座っている雪那の隣を通り過ぎようとした時、

「そういう親切心の使い方嫌い」

 ボソッと独り言のように雪那が呟いた。その独り言が俺は聞こえなかったふりをしてドリンクバーに向かった。


 ドリンクバーの所まで来ると勝手にため息が出た。

『……小説家になるのもう諦めたの?』

 ちゃんと雪那の声付きで頭の中で再生される。こういう話になるのは何となく分かってはいたが、実際になってみると思いのほか窮屈なものでつい逃げ出してしまった。

 諦めたわけじゃない。書かなければいけないことだって分かっている。書きたいとも思ってる。でも、それでも……小説が書けない。

 そんな状態なのに、雪那の問いに答えるのは無責任な気がした。

 あいつは俺が小説を書かなくなってからもずっと書き続けていた。雪那と一緒に書いていた頃はあいつの横顔が見えていたのに、今はあいつの背中しか見えない。

 それに長い間足を止めていたせいなのか、同じ場所にいるはずなのに俺の周りは真っ暗闇に変わってしまっている。

 真っ暗闇の中に雪那の背中だけが見えて、そっちの方向が進むべき道だと分かってはいる。ただこの真っ暗闇をどうやって歩いて行けばいいのか、俺には分からない。

 

 

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丑三つ散歩 雨飴シシ @Amai-shishi

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