ラジオライクなインタネラジオ

学縁天国得る楽縁 西原昌貝

第1話 送週迎週126

23時58分、オープニングが終わり、ディレクター兼ミキサー兼出演者の、きしあたるから渡された原稿を、原野由美恵が読み始める。


ここは毎週、ほぼ同じ内容の、原野にとっても随分読み慣れた内容だ。


「本日は週末。今週も残りわずかとなりました。そしてあと数分数秒で新しい週がやって来ます。


みなさんにとって今週は、どんな一週間でしたか?

いい一週間を過ごせたみなさんは引き続き、来週もいい週になりますように。

あまりいい週ではなかったな、と思う人も、残り少ない今日今この時に

気持ちを切り替えて、まもなくやって来る新しい週は、きっといい週にできる、と

前向きな気持ちでお迎えしましょう。


年末の年越しですと、ここで108つの煩悩を払う除夜の鐘が鳴るところなんでしょうけれど、そこまで大々的なものでなく、一週間分のほこりを払うつもりで、

みなさまにもおなじみであろうと思われます、16打の鐘の音で奏でられるあの音を聞きながら、ご一緒に去りゆく週を送り、新たにくる週をお迎えしましょう。」


0時0分、週明けを原野由美恵が告げる


「新週、明けました。より良い一週間にする時間の始まりです。

今週もそれぞれ健康にはお気をつけいただきながら、悔いのない1日1日を重ねていく一週間にしていきましょうね。


さあ、今週が始まりました。みなさん、改めましてこんばんは。原野由美恵です。

そして…」と、出演者の紹介が続く。


インタネラジオの週またぎ番組「送週迎週」は、今回が第126回目。

女性パーソナリティの原野由美恵ときしあたる。

そして、紹介ミュージシャンの音楽を、いまだ一度も番組内で流したことがない

「ユル型音楽番組」を担当している、自らもアマチュアミュージシャンの耕助の3人で、今回も進めることになっている。


耕助/「みなさんこんばんは。ユル型音楽番組を担当しております、歌う釣り人、

    お池の恋人耕助です。

    今週も、どうぞよろしくお願いします。」


原野/「よろしくお願いします。

    さて今回は、兵庫県にお住いの女性の方、ラジオネーム中華家ピラフさん

    からいただきましたお便りをご紹介します。」


コロナ禍の神経質な緊張感が少し和らぎ、2年ぶりに甲子園をめざした夏になった、ということもあるのか

「原野の大好きな高校野球に関するお便りがあった」ということで、きしあたるから原野由美恵に原稿が渡された。


原野/「では、ラジオネーム、中華家ピラフさんからいただきましたお便りをご紹介

    します。


    きしさん、原野さん、耕助さんこんばんは。私は、2年前の12月末に

    白や熱球さんのご投稿をお聞きして以来、時々聞いています。


    あの頃はまさかこんな事態になるとも想像できず、昨年は甲子園大会すら

    中止なんて。

    私たちにできることなんて祈ることしかないんですが、せめて彼らが打ち込

    んで流した汗や涙が報われる機会が奪われないことを願います。


    こんなご時世で苦しんでいらっしゃる方も多いと思いますが、一人でも負け

    ないように、つたない文章ですが、私たちに起きた出来事を送らせていただ

    きます。


    とのお便りです。」と、原野由美恵は原稿を読み始めた。



10年前まで、私たちの店に通ってくれていた野球部の子たちの中に、

みんなチャーハン大盛りのラーメンセットなのに、いつも一人だけチャーハンだけを

普通サイズで食べる男の子がいました。


他の子に比べて線の細い子でしたから

「育ち盛りなんだから食べなきゃいけないよ」って言いたかったのですが、無理やり食べさせる商売みたいになるのも嫌で控えていました。

支払いもみんな千円札なのに、その子だけ毎回きっちり小銭だったことも印象深かったのかもしれません。


そんな彼がまだ1年生のある日。

主人がたまたま朝の散歩を1時間早くした時に、その子が自転車で新聞配達をしているところを見かけ、たまたま自宅に戻るところに会ったそうです。

「おはようございます」って元気のいい挨拶してもらったよ、とご機嫌で帰ってきた主人が話すには

「郵便受けがお母さんの名前になっていたこと」と

「小学生の妹さんがいることがわかったよ」ということでした。


その日から、主人がその子に盛る普通サイズのチャーハンは、一杯分のチャーハンを

しゃもじで皿に押し付けておいて、その上からレギュラーサイズを盛るという特別バージョンになりました。


明るくて人柄も良く、野球センスも良かった彼は、2年生でレギュラー選手として活躍していました。

3年生になると、チームメイト全員からキャプテンに推薦されるほど、人望の厚い子でした。


ただ、家庭の事情でどうしても全部の練習に参加できないから、と主将就任は固辞したそうです。

実際、チームが合宿中の時も、小さい妹さんの手を引いて、小学校に連れて行く姿を見かけましたし、

チームが遠征している時も、地元に残って毎朝新聞配達をする彼の姿がありました。

彼の最後の夏、10年前の夏に甲子園への夢は、3回戦でついえてしまいました。

しかし、負けてもまっすぐ前を見ていた彼の清々しいほどの姿勢と眼差しは、今でも忘れることができません。


昨年、折からの新型コロナの影響で、極端に客足が途絶え、野球部や他の運動部の子たちも学校に来ることすらできずにいたので

「私たちの店もいよいよ潮時かな」と主人と覚悟を決めていました。


幸いにして持ち家の店舗ですから、家賃の支払いには心配ないのですが、客の来ないお店を開けても、それはそれで赤字を作ります。

こんなことで店をやめてしまうのは悔しいけれど

「これ以上続けるのもな」と思い始めていたんです。


そんな矢先、清楚な女子大生のような子と、見覚えのある高校生が大人になった、

という二人連れが店にやってきました。


主人は、すぐその男の子を

「五年前に1回戦の延長で負けた時のショートの子やんな」と言い当て、私も思い出して4人で賑やかに思い出話に花を咲かせました。


お二人は同じ建築事務所に勤務していて、できればリフォームして

店舗面積を減らしてでも、新型コロナ騒動が終わった後の、後輩たちのためにも

店を続けてくれないか、という営業でした。


私は

「もうそんな気力もお金もないのよ」と断ったんですが、主人は


「君のように忘れずに来てくれる子もおるかもしれんのやなぁ。

その時に店が閉まっとったら、寂しい思いさすんやろうかなぁ」と言い、思うところがあったようです。


「テイクアウトできるようにしてくれたら今までと同じくらいは来るよ」という常連さんのお声もいただき、二人でもう一踏ん張り

「できるとこまでやってみるか」という気になりました。


来てくれたお二人の会社と相談して、今まで広かった店舗スペースを居住スペースに振り分けて、客席数も主人と二人で無理なく賄えるくらいに抑えてもらい、思い通りの改装になりました。


新装の営業再開日には、最初に営業に来てくださったお二人に加え、

同じ建築事務所のスタッフの方もたくさん来てくれました。


主人が言うには

「あの子らみんな、あの高校野球部のOBとマネージャーや。」という子たちが、みんな手伝って盛り上げてくれたので、 久しぶりにコロナ対策をしながらも大にぎわいとなりました。


閉店後、全員残って片付けまで手伝ってくれた建築事務所のメンバーの中から、

最初にうちに来たあの女の子が進み出て

「社長から預かってきています」と封筒を差し出されました。


請求明細書と書かれた一覧表には、事前にもらった見積もり書通りの項目と金額が並んでいました。 


私は合計金額を確認して、用意していたお金を取りに行こうとしましたが、

最終合計額が0円になっており、備考欄を見ると10年前に支払い済みと記載されていました。


「そんなバカなことあるか!払うもんは払う!」

「そうよ!用意してるのよ。受け取ってもらわないとあんたらにまた来てもらえんようになる。

バカにしないで!」と主人と二人で訴えたのですが


その女の子が静かに首を横に振って、にっこり笑い、まっすぐ私達を見つめると

「もちろんそれは正式書類ではありませんが、手続き上、全てお支払いただいていることになっています。

それは兄の心からの感謝の気持ちなんです。受け取ってやってください。」

と言うではありませんか。


「兄?」と、目線を女の子の顔と請求明細書を何度も往復させながらいう主人の持つ封筒の口から、一通の便箋が見えました。

私は、主人から封筒を奪い取るようにして便箋を取り出して開くと


「おじさん、おばさん、ご無沙汰しています。

今、僕は仕事の都合で海外にいるものですから、お店のリフォームに立ち会えなくてすみませんでした。

12年前、初めて先輩たちに連れて行ってもらったお二人のお店で、他の人がみんな

チャーハン大盛りのラーメンセットなのに、

僕だけチャーハン普通サイズですみませんでした。


でも、あの頃の僕にとっては、それでもとても贅沢だったんです。


それなのに、ある日を境に、見た目は普通盛りのチャーハンが、

中にぎっしり詰まっているものになったのには驚き、恐る恐る会計すると、おばさんが普段通りに、普通サイズの値段を言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかったことは今でも覚えています。


おかげで、当時病気だった母と妹に、僕の食費分を振り分けることができたので、

二人とも健康に過ごせるようになりました。」と書いてありました。


私が声に出して読むと


「そんな大げさな」と言う主人に

「社長のこの話は、僕ら社員がみんな知っています。

社長の同期の先輩たちから、入社してすぐ必ず聞かされる話なんです。」と一人の男性が言いました。


唖然とする私たちに、

「本当なんです。

当時、もともと兄はかなり自分の分を切り詰めてくれていたんですが、それからは夕食が私と母のふたり分だけになり量が増えました。

まだ私は小さかったので、不思議でしたが聞くすべがありませんでした。

でもおかげで、私は何の不自由を感じることなく育てられ、

病気がちだった母が回復できたのもその頃からなんです」と言う妹さん。


「そんなことなら、もっと詰めてやればよかったなぁ。」と泣く主人。

手紙は続きます。


「他のメンバーに気づかれないように、わざわざ工夫された大盛りを食べさせてもらい、きつい部活を乗り切ることができました。

僕が3年間、充実した高校生活を送れたのは、お二人のおかげです。


ちなみに今の僕の会社の社員は、ほとんど野球部の同僚、後輩とその彼女です。

時々、社長命令で食いに行かせますから、売上には貢献しますよ。


これからもお元気で、練習に打ち込んだ後輩たちに、何物にも変えられないご褒美になるあの旨い料理を出し続けてやってください。


この度のお二人のお店継続のご決心に敬意を評し、心から感謝いたします。

入国規制が解けたら僕も必ず行きます。」


なんと言うご縁なんでしょう。


もう私達夫婦の涙腺は、相当前から崩壊していました。

聞いていた社員の皆さんもみんな笑顔で泣いてくださっていました。


「3年足らずの大盛り100円の差額で、店がこんなに改装できるもんか!

ちくしょう!」と絞り出した主人に妹さんは


「いいえ。残り物で悪いんだけどって、家にわざわざ何度も餃子を差し入れしてくださってますよ。

ほんと美味しかった。その分も入ってます。」と綺麗な笑顔でおっしゃるんです。


「あんた!そんなことしてたの!」って、一応主人を叱って見せました。

そんなことは当時から百も承知でしたけど。


便箋の下の方に p.s.とあって


「あとひとつだけ。

妹はまだ、僕が食べたあのチャーハンを食ったことがないんです。食べさせてやってください。

お代は今度、僕がまとめてお支払いたします。ツケになってすみません。」

と書いてありました。


それを聞いた主人は、また涙腺決壊で溢れた涙を誤魔化すように厨房に駆け込み、

いつも以上に張り切って、スタッフ全員分、中を押し固めたチャーハン普通盛りにして振る舞いました。


妹さんは

「おいしい。こんな美味しいものを兄は毎日食べていたんですね。…ちょっと腹たつ」と泣き笑いで、ポロポロ涙をこぼしながら全部召し上がられました。

私の目にはまた涙、涙です。


「けど、絶対この味にご恩返ししたいんだって言ってたんです、あの時からずっと。

だから本当にお二人のおかげなんです。兄も、私も、母も、今こうして幸せに生きていられるのは。」


もう!おばちゃんをこれ以上泣かさんとってぇ!!

少なくとも、社長さんになったあの子からチャーハン代もらうまでは、お店を閉められなくなりました(笑)


これからも楽しみに聞いています。頑張ってください。というお便りです。

ラジオネーム、中華家ピラフさん、お便りありがとうございました。」


原野由美恵は、最後まで読みきることができ、安心した様子で、耕助と感想を述べ合っていた。








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