帰路にて

@4mada3

 

 この道は暗くて、人通りも少ない。歩道もろくに整備されていない上、抜け道になるからと車の通りはやけに多い。片田舎の人々の運転というのはどうにも荒々しくて、一方通行の細い道とは思えない速度で辻から車が飛び出してきたりする。

 私の姿を認めた車がはっとしたようにブレーキをかけ、嫌味なまでにゆっくりと私とすれ違っていく。まるで私が悪いみたいじゃないか。口にはしなくても、私がいなければただ快適に交通できたのに、と非難されているような不快感を覚える。

 そんな道でもこの道は私の選んだ道であり、私が選ぶしかなかった道。不満ばかりが浮かんできても、私にとっては唯一の安らげる場所であった。ただ無気力に、漠然と、誰かの声に怯えながら流れていく日、張り合いのない営みの中で、唯一私が何とも向き合わずにいられる場所。それがこの道なのだ。

 この道に差し掛かる前に、小さな酒屋で酒を買う。好きでもなければ強くもない、どちらかといえばとびきり弱い私が選ぶのは決まって果実で誤魔化した薄い酎ハイ。アルコールの不快感に敏感な私にとって、酒と言えばこの他にない。アテは買わずに一本だけ酒を買って、誤魔化しが効くうちに半分ほど一気に流し込む。空きっ腹で歩き回れば一〇分もしないうちに酔いが回って、鼻から抜ける不快感を誤魔化すように煙草を咥える。

 綿に包まったようで歩きにくくなっていくこの道の上で、考えるのは決まってあの時選ばなかった自分の未来のことで、そこにいる自分もまた、決まって幸せになっている。憎たらしい。でも、そうだったらいいなと、そう考えるだけで満たされている自分もいる。

 友達に囲まれて、隣を歩く恋人、そろそろ昇進の話もちらついて、部下は一層私に期待を寄せている。自信に満ち溢れ、替えの効かないだけの能力を持った自分。私には手に余るような試練に立ち向かい、旨くもない酒の代わりに、きっと汗と涙を飲んできた自分。どう転んでもそうなり得っこない、どこにもいるはずのない自分のことを考えている。そういう自分がどこか、私の頭の片隅に創り上げた都合の良い世界にでもいたら、私の代わりに幸せな人生を歩んでいてくれたら、それでいい。私には困難や苦痛に耐えうるだけの気概は無い。試練など与えるだけ甲斐がないのだから、それで良いのだと思う。

 この道の上で考えることはこれからのこと。取り返しのつかない私の人生を、どう終わらせるのか。どうやりすごしていくのかということ。もう泥水を啜っても、恥をかいても、自分の流した汗に足を取られても、今一度立ち上がって進み続ける。そんな情熱は無い。いや、初めからなかったんだと、最近になって気づいた。どうしようもなくなったら死んでしまおう。そんなことばかりを考えている。

 

 人が自らを殺す行為は選択的に行われるのではなく、炎の迫る高層ビルの一フロアで、助かるためには一か八か、窓から飛び降りるような、そんな急場の決断の末の結果でしかない。なにかに苦しみ絶望した人々は、死ぬしか助かる方法がないと迫られ、そして自らを殺すのだというスピーチの原稿を読んだ。このスピーチは外国の大学の卒業式か何かで作家が発したもので、その作家も私がこの原稿を読んだ頃には荼毘に付していた。自殺だった。

 彼もまた、死ぬ他ない。そう思ったのだろうか。なにかに苦しみ、踠き、考える暇も与えられずに、助かるために自分を殺したのだろうか。

 

 私は死ぬのは怖い。痛みからも、苦しみからも逃げて生きていたい。でも、この今の息苦しさが、いつか、逡巡の間も与えずに殺しにやってくる日が来るのだろうか。私にはそんな密かな憧れがある。私が選ぶのではなく、それ以外に自分を助ける方法がない。そんな決断に迫られたとき、私は私を殺す。そうすればきっと、私はもう息をしなくても良いのだと、小さな憧れを胸に秘めている。今はこれで良い。この居心地の悪さに、鈍い痛みに鈍感なふりをしていれば、いつかきっと私の憧れた場所にたどり着く。死の恐怖に打ち勝てない小さなタナトスを、いつか飼い慣らせない程大きく育てていくために生きていく。今は、これでいい。

 煙草を一本喫い切ったとき、減らない酒がいつにも増して減っていないことに気がついた。これを家まで持ち帰るのは面倒だから、どうにかして飲み切っておきたい。道の途中で自販機の横に設置されたゴミ箱にでも捨てて、何も持たずに帰ってくるのが一番楽だ。どうにも進まない酒を、鼻息を止め、なるべくあの不快な臭いを感じないように一気に飲み干そうと試みる。缶の飲み口に口をつけた途端に胸に込み上げるような感覚を覚えてすぐにやめた。今日はなにやら酒を受け付けない日のようだ。まあ良い。時間はたっぷりとあるのだから、どこかで飲み切っていれば問題はない。幸い、自販機も、隣に備え付けられたゴミ箱も、どこにだってあるものだ。この道のどこかで、捨てられればそれで良い。

 どこにもいない幸せな自分は、そろそろ子どもを。なんて考えている。きっとこの頃、私が主婦向けのメディアで子育てのコラムなんかを読んでいるからだろう。別に私は子どもに興味や憧れがあるわけではない。ただ、なんとなく、暇を持て余して目についた見出しを読み耽っているだけだ。彼には幸せになってもらう必要がある。だから、幸せの記号につい引き寄せられてしまうのだ。

 結婚、子ども、幸せな家庭と、やりがいのある仕事、悩みを打ち明ける友と、尊敬できる上司に信頼できる部下、明るい食卓、明るい職場、笑顔、喜び、普通で穏やか。あまり頭のよくない私にとって、幸せという変数には、これぐらいしか代入できそうなものがない。そんなものが全てではなくて、好きなものに打ち込んで、誰がついて来るかなんてことも気にせずに自分の思う方向に、道がなくても分け入っていき、目まぐるしく刺激的な毎日の中を駆け抜けていくような人がいることも知っている。誰がどう見たって辛い思いをしているに違いないのに、だた、懸命に生き、今日もまた命あるだけで感動できるような人がいることも知っている。私には好きなことなんてない。誤魔化すように漫画を読んで、賢ぶって文学に触れ、諦めてきた過去への引け目から勉強をしてみるけど、どれも中途半端で、好きになることなんてできなかった。好きになるにはあまりに邪で、不誠実すぎたのだ。だから私の持っている幸せの記号というカードには、塗りつけたようなステレオタイプで、わかりやすいものしか残らなかった。

 あまりにものを知らなさすぎたんだ。でも、知るには、知ろうとするにはもう遅いのかもしれない。ただ、知ったところでどうせ何も変わらない。自分には変える勇気がないことをよく知っているから。そんないじけた考えが過って嫌になるからいらない。好きなものも、夢中になれることも、命のありがたみも、全部いらない。無知の恥を得て尚一層学ぶ姿勢もいらないし、立ち向かう勇気もいらない。ただ、馬鹿でもわかるようなわかりやすい記号に押し込んだどこかの誰かが、私の見ている角度から幸せに映ってくれさえすればそれで良い。そんなやつどこにもいなくたっていい。全部いらないんだ。

 だからせめて彼には幸せになってもらいたい。私の描いた幸せの像が、私が逃げてきたどんなことなんかよりもずっと良いことを、私に証明してもらう必要があるから。家事はちゃんとやりなさい。家庭という一単位で活動することと、自活のために働くことはイコールじゃないんだよ。自分のことのように、自分の家族のことに興味を持っていなさい。自分の家のことなのに、ものの場所も満足に把握できていないなんてありえないよ。経済力を盾に妻を脅すような真似は決してしてはいけないよ。家事は手伝うんじゃない、君も参加するべきことなんだ。コラムの受け売りで生成したコマンドを、矢継ぎ早に彼にプログラムしていく。

 世の中はあまりに簡単なはずのことを、こうも難しくしてしまう。すれ違う夫婦、傲慢な夫に耐えきれずに出ていく妻、自分ばっかり苦しんでいると勘違いして、辛く当たってしまう関係がこの世には沢山あって、私はそれらから彼を守る必要がある。

 女は子を持つと変わる。そういう言説が飛び交っていて、そういう話を聞くたびそういうものなのか、と勝手に納得していた私だが、最近になって気づいたことがある。子を持って変わるのではなく、子を持ったから変わらざるを得ないのだ。変わっていくのではなく、変えられている。変えてしまったのは他でもなく迷信めいた言説を盾に居酒屋で愚痴を垂れる夫なのだ。

 二人が結ばれる時、きっと誰もが永遠の愛を誓う。二、三年もすれば誓いは破られて、互いを憎み、恐れるようになっていく。男が狩りに出かけている間に、女が留守を預かる。そんな様式が成立していたのは群れを形成していたからでしかなく、現代の様式にはそぐわない。男が稼いで女が出迎えるなんて形は、どこかで音を立てて崩れるに決まっているのだ。夫には夫の、妻には妻の苦労があって、夫は外にいるから、妻は見えないところに使う時間が多いから、お互いの苦労が見えていないのだ。

 魚は魚、鳥は鳥、互いの苦労も知らずに互いを身勝手に羨む。結局、時代の変化に耐えきれなかった形式が壊れる音に気づけないまま、何もしないからそうなっていったんだと思う。

 もし、あのとき私を蔑んだあの人に私の痛みを知って貰えたら。もし、あのとき私が嘲笑ったあの人の抱えた傷を知ってあげていたら。私の今は何か違っていたのだろうか。少なくとも、彼という幸せの像は、もっと鮮明に描写することができていたのだろうか。願わくば、彼ではなく、私がそこにいることができたのだろうか。

 彼を幸せに創り上げるにも、限度があることなどよくわかっている。それでも彼を幸せにしてあげることでしか、私は満たされない。もうそれ以外に満たされる方法を知らない。そうしなければ、小さくて、傷つきやすい、小さな小さなこのタナトスは育ってくれない。いつか育ててやった私のことなど忘れ、私の腑を貪り食う程大きくなってもらうためには、なにも変わらない私と、私からかけ離れていく彼の対比が必要なのだ。幸のゼーベック効果。その温度差が生み出したものでなければ、腹が膨れないのだ。

 酒は一向に減らない。今日はやけに考えごとが多い。二本目の煙草を咥えて、ポケットからライターを取り出すと、目の前から親子が歩いてくる。母親と、未就学児くらいの男の子。母も子も、別になんてことはない、面白くもなければつまらなくもない、という顔をしている。それでも母は子の手を取って、子も母にしっかりとついて歩いている。別段会話もない。親子が通り過ぎるのを待ってから、煙草に火をつける。不気味なくらいに会話もない親子を見て、私の胸はざわつきを覚える。子どもは幸せの記号のはずなのに、どうしてあんな顔をしているんだ。わからない。もしかしたら、叱った帰り道なのかもしれない。なにか、笑う気も起きないようなことがあったのかもしれない。それでも、私の描いた幸せにない、想像したこともないような顔をした親子の顔がまた脳裏を過って、不安を覚える。幻覚を疑って振り返る。親子の背中が闇に揺れている。

 私が親子の幸せを決めるのも傲慢だとわかっている。もしかしたらあれで通じ合っている可能性だってあるのだから。私の想像には至らない形だってある。そういう学びをつい最近得たばかりじゃないか。自分に言い聞かせながら一口、煙を吐き出して缶を振る。酒の量を確かめて、いつもより多めに口に含んで飲み込む。じわりと目頭が熱くなって、胸が込み上げる。やはりいつになく酒を受け付けない。

 アルコールの不快感を拭いながらしばらくの沈黙。鳴り止んだ頭の中の静けさに気がついて、今度はこれからについて考えてみる。私はなんで、死んでしまおうと思っているのだろう。答えは出さない。答えを出してしまったら、私は次に変わろうとしなければいけないから。そして、そんな勇気なんて持ち合わせていないことを知って、余計に惨めなだけだから。惨めな思いをして、恥をかいて生きるくらいなら、この道で腹の底をのたうつあいつを、煮やして、大きくして、やがて食われていった方が楽だから。私は楽になりたいんだな。答えがどうあれ、楽になるに辿り着いていることが願いなんだ。痛む度胸もなく、立ち上がる気力もなく、ただ、理性と恐怖のままに生きていて、いつか抗えなくなる時を待ち望んでいる。私はどこまでも楽天的で、呑気な人間だ。だから、自分の幕引きさえもどこか他力本願なまま生きている。

 これからもそうして生きていればいつか、天使だ死神だと、どこからともなく湧いて出て、それらの手を取るままについて行きさえすれば、せめて自分の望んだ楽になるところへ行けると信じてやまない。いっそ今ではだめだろうか。どうせ結果が同じなら、後でも先でも同じだろうに。神様は私を見ている暇もないのだろうか。神様なんて信じていないのに、そう思う。

 今日は車の通りが少なくて、幸せを預けた彼の人生も、なんだか嘘くさい。酒はやけに減らなくて、考え事が捗っている。そういえば、今日は家路が遠いなと思っている。全てが面倒になって、それでも腹は減っている。ズボンの裾がほつれていて、それが靴紐か何かに引っかかる。歩きづらさを覚えて立ち止まる。ほつれた裾の糸を千切ろうとかがみ込んだ時に、私の背中を何かが追い越していった気がした。アスファルトに置いた缶を拾い上げて立ち上がった時、自分の身体の重さを不意に感じて、疲れを実感する。こんなに怠惰に生きても、人間消耗はするものだ。少し先にある自販機のラインナップを横目に眺めて、手に持っているこれより安くてうまそうだと思う。ポケットから煙草を取り出して、残りが少ないなと思いつつ、三本目を取り出して火を付ける。しばらく歩いて、いつも通る畑に目をやると何かが植っていて、そういえばこの間までなにも無かったなと思う。隣のアパートは三部屋あって、三つとも灯りがついていない。誰も住んでいないのか、誰も帰ってきていないのかはわからない。車のボンネットの上でタオルを干している家を見つけて、そろそろ取り込んだ方がいいんじゃないかと思う。そういえば今日は親子以外に人を見かけないなと思った時、私は、彼のことも、自分のこれからのことも、考えたくなくなっていることに気がつく。

 結局嘘なのだ。幸せの形も、彼という存在も、彼が幸せであれば良いなんて願いも。結局嘘なのだ。死んでしまいたいなんて、楽になりたいなんて。

 考えれば考えるほどに、彼の顔がわからなくなっていく。自分と同じ顔をしているはずなのに、自分自身のはずなのに、彼の顔を思い出せなくなっていく。彼の家も、そこで待つ愛する妻も、素敵な職場も、上司も部下も同僚も、完璧に創り上げたはずのそれらの造形が思い出せない。モザイクがかかったように不明瞭に浮かび上がって、消えていく。

 ぼくは、ぼくが居ることを、誰かに知って欲しかっただけなんだ。辛さも、叫びも、息苦しさも、そんなことどうだって良い。聞いて欲しいわけじゃない、見て欲しいわけじゃない、絵に描いたような幸せなんて望んじゃいない、ただ、みんなと同じように、ぼくも居るんだって、誰かに知って欲しかったんだ。

 誰かに知ってもらうために叫んだ。誰かに知ってもらうために怒った。誰かに知ってもらうために、誰かを蔑んで、否定した。知りたくなかった。ぼくがこんな簡単なことに悩んで、こんな馬鹿みたいな間違い方をして、結局一人になったことなんて、知りたくもなかった。自分が恥ずかしい。馬鹿みたいだ。忌まわしい。憎たらしい。結局惨めじゃないか。こんな思いをするくらいなら、生まれてこなきゃよかった。

 もうすぐ人気の多い大通りに差し掛かる。この暗い道の先から、街の灯りが覗いている。その逆光に照らされた男の背中は、きっと丸まって見窄らしい、哀れな姿だろう。

 酒はまだ、一向に減らない。

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