日常の呟き

天狗馬

ペットの死について思い出す

 SNSで、先日、亡くなったペットの話を読んで、ふと蘇った記憶を残しておく。


 ――――――


 小学生だった頃、家で金魚を飼っていた。

 お祭りの金魚すくいで迎えた子たち。デメキンのような派手さはなく、ごくごく一般的な品種だけど、待ち望んだ初めてのペットだった。

 なので、相応に愛着を抱いていた。


 朝。真新しい水を入れたバケツを水槽の隣に置いて、「おはよう」を言いつつ餌を撒く。器用に食べる姿をじっと眺める。

 昼すぎ。水槽の水をいくらか捨てて、水温調整したバケツの水を注ぐ。揺れる藻の間を泳ぐ姿をじっと眺める。

 夜。少し動きが緩慢になった子らをじっと眺めてから、「おやすみ」を言って寝室へと向かう。

 日々のルーティーン。興味と義務感がい交ぜになっていたけど、それでも好きな時間だった。


 ところがある朝、「おはよう」を伝えに行くと、一匹が水面に浮かんでいた。水面上に出た腹を指先で触っても、ぴくりとも動かない。

 一年も保っていなかったから、世話が間違っていたのだろう。非道いことをした。


 ――お墓を作りたい。

 罪の意識もありつつ、庭の片隅に穴を掘って亡骸を埋め、石を重ねてお墓らしくする。

 墓前で手を合わせながら、涙を我慢していた。


 それからも、彼らが亡くなる度にお墓に埋葬していった。



 しばらく後、お墓に何かの芽が生えていた。鳥が種を落としたのだろうか。

 由来はともかく、その芽は、我がを得たりと言わんばかりに順調に伸びていった。


 大きくなってから分かったが、発芽した種は桃だった。

 成長が速いのは、ただ単に品種によるものかもしれない。桃栗三年と言うし。

 金魚が動物性の肥料になっているからという情緒の欠片も何もない理由もある。

 それでも、どんどん大きくなることが嬉しかった。


 数年で幹が太くなり、葉が茂り、立派になってくれた。

 でも、実が食べ頃を迎える頃には、虫や鳥が食べてしまう。そうやって別の場所に種が運ばれていくことを考えると、種の出所からして、エラそうなことは言えないが。



 その桃の樹も、嵐で折れて傷んで倒れてしまって、今はもう居ない。

 代わりに隣の紫陽花が、梅雨の到来を待ち望んでいる。



 ――輪廻転生。古代インドの言葉から来ているらしい。金魚が樹になっているので、本来の輪廻転生とは微妙に違うかもしれない。

 けれど、僕の頭のどこかでは、金魚が桃の樹になり、今はまた別の何かになっているのを妄想していたりもする。

 隣の紫陽花は、何か知っているだろうか。

 声を聞くことはできないが、今年も美しい花を咲かせてくれるだろう。それが、金魚や桃からの元気であるとのメッセージであれば、嬉しいのだけど。

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