第3話 夜の青年  二 対峙 

初めてのことだが、ふくではなく、小女の口を通じて、今夜の宿直を姫さまがお命じだと伝えられた。一度長屋で仮眠をとり、日が沈むころに用意して無名舘のお家に戻る。日が長くなったな、と思いながら、堀を渡る。

 日が没し、室内から黄色い光が漏れるころ、縁の下に呼び出された。

 心細い明かりを背に、姫さまの影が立つ。

「このような文を貰った。」

 畳んだ紙を手にしている。

「読むか?」

「滅相もござらぬ。ひとのご文などを。」

 さようよの、と姫さまの声が何かおかしい。斯様な手紙を読ませようなど、さ栄はおかしいのじゃ、と呟くように言い添える。

(また、水の中に潜られたようじゃ。)

 天才丸は、姫さまの考えが全く測れない。もどかしく思える距離がある。

「今宵、この寝所に忍んでくる、と書かれてある。」

 天才丸は一拍おいてその意をとって、どう反応していいかわからない。

「それは、……よろしきことにて。」

「よろしくはない。」

(お嫌いな男なのか。)

 天才丸は何故か軽い喜びを抱いたが、宿直の仕事とはこれかと気づいた。

「如何いたしましょうか。」

「追い払え。」

「は。姫さまはお断り、と申します。」

「それでも入ってこようとなされば……なさるであろうが、……」

「なさいますか。」

 姫さまの言葉使いが気になった。もちろん、姫に夜這おうというのは下賤の男ではないだろうが、しかし、この城の主人の一家が敬語を使う相手は、たれだろう。姫さまのご存知の方か。それはまあそうであろうが、たれかな……と天才丸は思った。

 尋ねるのは不作法なので、姫さまの例の長い沈黙に耐えて、ただ次の言葉を待つ。

「もし、どうしてもと無理強いをなされても、決してお入れしてはなりませぬ。」

「かしこまりました。」

「言うておく。よいか、誰何の前に、必ず、おぬしも名乗りをせよ。御所さまの猶子、蝦夷代官蠣崎若狭守の子と忘れず名乗るように。」

「はあ? いえ、まだ、猶子にはしていただいておりませぬが?」

「さようの話はあってのことじゃろう? 嘘にはならぬ。」

 さ栄が天才丸を召したのは、この点だけであった。蝦夷代官家はともかく、御所さまと聞いてなにか色々考えてくれないか、と望んでいる。そうあって欲しい。

(面倒じゃ、とご自分は名乗りなどなさらず、さっさと踵を返してはくださらぬものか?)

 そんなことで止められるのか、と天才丸は訝しいが、

「……かしこまりました。」

 ただ、と聞いてしまったのは無用だった、と直後にはげしく後悔することになる。

「……それがどうした、力づくでも入る、子供は退け、とでも言われますと、ことがことだけに、なかなかお止めしづろうはございましょうが。」

「ならば、……斬るがよい。」

 姫さまが言い放ったので、天才丸は耳を疑った。近頃すこし聞き馴染んだはずの、さ栄姫の声ではない。

 背後の蝋燭の明かりの陰になって顔色は覗えないが、尋常の表情ではあるまい。濡れ縁から、なにかを押し殺したような冷たい声だけが、天才丸の控える庭に降って来る。

「殺しておしまいなさい。」

 天才丸の身の影が目に見えて緊張した。

 さ栄には、少年の怖れがわかる。気の毒には思ったが、自分も今にも震え出しそうなのである。いっそ消えてしまいたい。それほどの怖れと悲しみが、突き上げてくる。余裕がない。

 しばらく暗い表情のまま黙っていたが、天才丸、と低く呼びかけた。

「情けない。おぬし、侍じゃろう。戦って及ばず、斬られれば、それまで。……主命を受ければ、命は惜しまぬものではないか。」

「仰せの通りにござる。しかし、よばい、……夜にお越しというだけで、このお屋敷に入ってくれば斬れとは。貴い御身のお大事はもっともなれど……。」

「おぬしにはわからぬ。」

(わかってほしくもない。ないが……。)

「わからぬままで命の取り合いをするのは、ご免にて!」

 天才丸は混乱のあまり、思わず小さく叫んでしまったが、さ栄の耳には入らなかった。

 いや、わかってしまうがな、と呟いた。そのとき、急に頬を張られるような思いがした。

(あっ、もしやすると、有無を言わさず斬られてしまうのかもしれん、この子が!)

 さ栄は、文を受け取って以来の自分の、怯えきり、真っ暗になった心では気づいてやれなかったことに、思い当たった。

(さ栄などのせいで、この子は死んでしまう?)

(なんということを、わたくしは……。)

(恩も施してやらなかった家来を、平気で殺そうとしているも同然。)

(じゃが、じゃが、……どうする? この子以外には、頼れぬ。)

(もしも斬られてしもうたら、どうしてやればいい?)

(なにが、できるというのか?……なにも、できはせぬ!)

(せぬが……。)

「……そうさな。これでよいか? もしお前が死ねば、わたくしも喉を突いて死んでやります。」

「えっ。」

(姫さまは、笑っておられるのか?)

「お前だけを死なせはしませぬ。お前が止められなかったら、きっと殺されているのでしょう。仕事とはいえ、それはまことにあい済まぬ。お詫びに一緒に死んでやります。いや、わたくしとて、身を穢されることになれば、死んだ方がよいのじゃ。」

 さ栄は一息に言うと、なにか爽快な気分にすらなっている。それが、声色に出た。

(姫さま、お悩みのあまり、狂われてしもうたのか?)

「内舘に、……いや、たれにでもよい、お救いをお求めくださいませ!」

 そこまでのお覚悟ならば、ことは尋常ではないと悟った。

「おや、天才丸は、さ栄の為に死んではくれぬのかえ?」

「さような話ではない。姫さままでが、死ぬだのと危ないことおっしゃるようでは、わたしなどひとりでは足りませぬ。」

「たれにも言うてはならぬ。ふくですら知らぬのじゃ。内舘など、ありえぬ。」

「御所さまに伝わっては、お困り?」

「御所さまは、今夜はお寺にて、ご不在。」

(そこを狙って来られようというのじゃ!)

 さ栄は皮肉な、暗い笑みが浮かんでくるのを抑えられない。

「えっ、ならば、……あっ、たれなのです? 入ってこようというのは?」

「聞くな。」

 重たい声で言い捨てた。

(知られてしまうが……。)

 さ栄の表情が凍ったが、よい、おそらくこの子と一緒に自分も死ぬのだ、とおもうと、どこか気が楽になっている。

(これは、もう、いけない。)

 天才丸は肚を括った。動揺はおさまらないが、それとは別に、姫さまをこれほど思い詰めさせたらしい、未知の男への怒りも湧いてきた。自分を困らせているのも、姫さまではなく、その夜這い者ではないか。

(よし、斬ってやる。)

 袋小路で自分の前を塞いでいる、いまいましい板塀を力一杯蹴りつけてやる思いだった。

「亡くなられてはなりません。必ずお止めいたしますので。」

「……すまぬ。」

 下がろうとする天才丸に、姫さまから慌てたような声がかかった。

「天才丸。言い忘れた。斬り合いになったら、逃げてよいのじゃぞ。殺されるくらいなら、逃げよ。」

「斬れとおっしゃった。」

「……言うた。だが、斬れないようなら、……斬れぬと思ったら、すぐに逃げ去って構わぬ。あ、決して、人は呼ばぬでよいが。」

「姫さまがご自害なされてしまいます。」

「それはよいのじゃ!」

(そう、よい。あのときにこそ自害するべきであった。死んでしまえばよかった。それができなかったのは、何故であったか?)

 天才丸は姫さまの悲鳴に近い声にたじろいだが、やがて微笑むことができた。

「天才丸が名乗れば、その、どこぞのどなたかは、お引きになるのでございましょう? どうか安んじてお休みくださいませ。」


(この月あかり、陰ったほうがいいのであろうな。)

 しんと静まった屋敷の門の前に立っている。門衛のいるはずの舘の門はもう閉まっているので、入って来られる人間はそも、そうはいない筈なのだが、と思いながら、背後に姫さまの離れ屋の生垣を気にしている。

 誰が来るというのだろう、とやはりそれが気になった。

(門衛に言えば、通させる力のある人だというのだろうか。……ならば、なるべく顔は見たくない。名も知らぬままのほうが身のためじゃ。)

 さきほどの昂揚はおさまってしまい、怯えが戻っている。

(逃げてしまうか?)

 首を振った。もし通してしまったら、姫さまは本当に、あの白い、細いお喉を突かれるだろう。

(それはならぬ。)

 と、遠くに小さな灯りが見えた。小さな黄色い点が近づいてくる。門のほうからだ。

(やはり、夜中に木戸をくぐれるほどのお人か……?)

 蝋燭の灯が、まっすぐに近づいてきた。足音は重い。躰の大きな男だ。

「たれか。」

 先に誰何してしまった、と慌てたが、相手は答えない。

 灯に目が慣れると、月明りに若い武士の姿が浮かび上がった。

「わたしは、御所さまが猶子、蝦夷代官蠣崎若狭守の子、天才丸。番役として尋ねる。どちらへ参られるか。」

 尋ねる声を張り上げたときには、動転している。

(あのひとではないか!)

 木刀を振っていた自分を地面に転がした美貌の武家だ。今日は従者もなく、一人だが、見紛いはない。

 天才丸を無視して、立ち止まりもせずに行こうとする。

「待たれよ。もしや、姫さまに御用か。今宵はお会いになられぬ。御用は、番役がお聞きしておく。」

 なお無言である。表情はよく見えないが、まったく平静の雰囲気だった。

「待たれぬか。姫さまはお会いになりませぬ。はっきりとお断りである。これ以上は行かれませぬ。お帰りあれ。」

「さ栄は喋ったか?」お前なんぞに、と言う口調で、やや不審気に男は、はじめてこちらを認めて、立ち止まった。天才丸はこれには答えない。詳しい事情は知らぬが、などと本当のことを言うのも、何もかも存じておる、と嘘を言うのも、ともに義理はない。

(不審に思ったまま、引き揚げてくれればよいのじゃ。)

 天才丸の腹の底は、冷え切っている。

「蠣崎の。儂が誰かは知っておるか?」

「存じませぬ。」

「知らぬままにしておけ。身の為じゃ。」

 つまらなそうに言い捨てると、通ろうとする。

「なりませぬ。」

「退け。」

 天才丸は走って前を塞いだ。まだ刀は抜かない。抜いてしまえば、おしまいだという気がある。剣でこのひとに敵うわけがない。

「蠣崎の。無粋な真似をするな。女を男が訪ねるのじゃ。」

「どなたです、あなたさまは?」

 天才丸はなにか怒りが起こって、つい訊いてしまった。姫さまが侮辱された気がする。

「訊かぬがよいぞ。」

「拙者にもお役がござる。どこのたれとも知らぬ者を、女じゃ男じゃと戯言をうのみにして通すわけにはいかぬ。」

 男は薄く笑ったようであった。そのまま、進もうとする。天才丸は気押されて後ろに下がりかけたが、踏みとどまった。

「姫君さまは、お断りになられたのでござる。厭がっておられる。」

 男は立ち止った。

「ゆえに、通さぬというのか?……そうか、儂が名乗っても、通さぬわけか?」

「さようにござる。帰られよ。」

「言わんでおいてやろう、と思うたに。」

 ほれ、と若い男は、手燭を形のよい鼻先まで上げたが、天才丸は別にそれと気づく名の覚えはない。一度しかお目通りかなっていない浪岡のお偉い方がたの顔を全部覚えているはずがないし、こちらは御所さまのお顔をこわごわ拝むのが精いっぱいだった。

 それにしても、暗い光の前で瞳が開くと、一層凄いほどの華やかな美貌である。浪岡北畠氏のご係累ではあるまいとは思うが……。

「左衛門尉じゃ。……西舘の、といえばわかるか?」

(なんだと? 西舘さまは、御所さまの弟君ではないか!)

 浪岡左衛門尉顕範は、先代の次男で、成人後は浪岡北畠氏の別家である通称「兵の正」家を継いでいる。別名のとおり城内西舘を本拠にするが、内舘にあって宗家当主の兄を主に軍事面で補佐する、家中の若き重鎮であった。

 天才丸は反射的に膝をついた。嘘偽りではないと直感した。浪岡城の事実上の軍司令官ともいうべき人の前では、そうあるべきだろう。

 ぶるぶると震える手が、無意識に意味なく土を掴んだ。混乱している。

(兄君が妹君の姫さまに夜這うというのか? そんなたわけたことが……? 何かの思い違いではないかよ、天才丸?)

(しかし、ご自分で言われたぞ、女じゃの男じゃのと。)

(姫さまはご先代のみ台所(正室)さまのお子で、御所さまとご同腹。西舘さまは、たしかご異腹であったか。だが、だが、同じお父上のご兄妹であろう?)

(……姫さまがあんな風に、死ぬなどと言われたのは、つまり、そういうことか?)

 考えが頭をぐるぐるとまわり、口も利けないでしゃがみこんだまま硬直している天才丸を見下ろして、左衛門尉は、だから訊くなと言うてやったのに、と暗い口調でひとりごちたようだ。

(さて、こやつどうする? 先に始末していくか。なににせよ、知ってしまったのじゃから。)

 ふと考えたが、血で手を汚してから会うのは、さ栄に悪い気がした。

(こやつ、恐ろしうて、城を逃げ出しよれば、よしとしてやろう。愚図愚図と居残っておれば、口を塞がねばならぬな。)

 だが、後のことだと思い、少年の膝をついた横を通り過ぎようとする。

 左衛門尉が背中を少年に見せたその刹那、天才丸は激しく立ちあがる勢いで刀を抜き、そのまま斬りかかった。

 左衛門尉は危うく飛び退く。佩刀に手をかけたが、少年がすかさず二の太刀を加えていれば、そのまま身のどこかは斬られたであろう。天才丸の太刀は相手の片裾をきれいに切っていた。

(こいつ……?)

 刀を構えた天才丸は、荒い息をつきながら、距離をとっている。

「お帰りください。姫さまは、厭がっておられまする。」

「それは承知じゃ。帰らねば、斬るというか。」

「はい。」

「無理じゃ。今ので斬れなければ、ぬしの腕では、それまで。」

 左衛門尉は刀を抜いた。月明かりに白刃が光った。天才丸の躰が恐怖に冷えた。

「儂と知って、刀を向けたな。その意味わかるか、小童。」

(わからいでか!)

 天才丸は胸中で叫ぶ。浪岡で命を落とすことになったようだが、刑罰として首を刎ねられるくらいなら、この場で斬られるほうがましだと思った。

「西舘さまこそ、おわかりか? 畜生道に落ちる振る舞いにござりまするぞ。」

 左衛門尉はなぜか、また薄く笑ったようだ。

「畜生道か。望むところであったがな。」

「なに? ……姫さまが、妹君がお可哀想と思われぬか?」

「下郎、黙れ。」

「黙らぬ。黙りませぬぞ。姫さまは、死ぬと仰りましたぞ。入ってこられれば、死ぬと。」

「黙れと言うたは、ぬしの声が大きいのよ。」

「大声を出してさしあげましょう。」

「うつけ者。さ栄が恥をかいてよいか?」

「……。」

 言葉に一瞬詰まったところを、左衛門尉の一撃が突風のように来た。危うく受け止めるが、鋼鉄の叩きあう衝撃に腕が痺れる。相手はそのまま力押しに来るか、このまま斬られるか、と覚悟したが、また離れさせてくれた。

(弄られている。やはり、とても敵わない。)

 天才丸は刀を鞘に納め、横にぽんと放り投げた。

「降参か?」

「違いますな。剣ではとても敵わぬ。」

もろ肌を脱いで、構えた。

「阿呆め。儂に相撲をとれと申すか。」

「相撲とは申しませぬが。……斬り合いでは必ず負ける。お止めできぬ。ならば。」

「儂が、承知した素手で勝負じゃ、といって剣を収めるとでも思うたか?」

「浪岡北畠さまのご一門が、から手の子供を斬られますか。」

「……よかろう、殴り殺すか、絞め殺してやろう。」刀を収めると、「ひと思いに斬られるより、その方が苦しいというに。」

(その通りじゃろうが、簡単には殺されてやらぬ。)

 天才丸は、両手で掴みかかってきた相手から、するりと身をかわした。

「逃げるか?」

「姫さまはっ。」

 天才丸は、左衛門尉の大きな身体の周りを、距離をとってできるだけ機敏に動いた。殴りもせぬが、殴られもせぬ。

「さ栄がどうした。この卑怯者。止まって、組め。」

「姫さまは、死ぬと言われましたぞ。あなたさまは妹君を殺すのか。」

「あれは死にはせぬよ。さようの女よ。」

 天才丸はかっとなって、まっすぐに殴りかかってしまう。たちまち殴り返された。顔を殴られてぐらりとよろめいたところ、そのまま引き倒されそうになった。そこでこちらも闇雲に振った拳が、左衛門尉の腰骨にあたり、危うく逃れた。

(この調子で、夜明けまでもたせてやる。姫さまのところには行かせぬ。)

(人が起きてくる気配がすれば、西舘さまもこんなところにはいられない。そこまでやってやる。)


 むろん、そううまくはいかなかった。

 天才丸はいくらもせぬうちに捕まって投げ飛ばされ、息が止まったところを、足蹴にされて転がった。立ちあがろうとしたところをまた蹴りつけられ、鞠のように跳ねた。少年はなすすべもなく、長々と地面に伸びた。必死で顔を起こそうとしたところを、腹を踏みつけられて呻いた。

 左衛門尉もやや荒い息をついたが、衣の乱れを手早く直し、しばらく潰れた蛙のように腹を見せて呻いている少年を眺めた。しばらく思案したが、

(やはり、喋られては面倒。咽喉くらいは潰しておくか?)

 と、少年の細い喉に向かって、足をあげ、勢いよくそれを下した。

 その瞬間、天才丸は両手でそれを辛くも受け止め、相手の脚首を握った。叫びとともに、それを持ち上げる。左衛門尉はよろめき、片足で跳ねることになる。天才丸は残った力を振り絞って、男の脚をとって思い切り振り、尻餅をつかせた。

(無様な……!)

 後ろ向きに倒れた左衛門尉は舌打ちして立ち上がった。手が離れてしまった少年は、顔を伏せて大きく息をつくばかりで、立ってはいるが、ろくにもう動けない。

「この犬畜生めが……。罰が当たるがよい。……」

 これで最期だ、と覚悟した少年には、姫さまと自分を襲った理不尽な仕打ちに対する怒りしかない。

「何か言うたか?」

 左衛門尉も、怒りを覚えている。この小童などに、自分たちの何がわかるものか。

(やはり、生かしてはおけぬ。)

「お願いにござります。姫さまにむごい真似はおやめください。畜生道の所業じゃ。姫さまがお可哀想じゃ。お願いにて。」

「とんだ忠臣じゃ。褒美に、西舘『兵の正』家の主が手ずから始末してやる。」

 ふたたび、すらりと剣を抜いた。

「おれはよい。……やるがよろしかろう。だが、姫さまに、妹君に、そんな没義道な、恐ろしいことが、……ご無体が、許されるものか。」

「許されるかどうかを、知りたかったのよ。」

「……?」

「ぬしの刀はどこじゃ? 抜かぬか。最後は武士らしく斬り合って死ぬがよい。」

「そうはしたいが、……見つかりませぬな。」

 四囲を見回したが、あきらめた。そもそも暗いなかで、しかもさきほど殴られたために片目が塞がって、よく見えない。

(あ、これで殺される。)

 絶望感が襲うと同時に、天才丸は崩れるように膝をついた。

 ふん、と左衛門尉は隆い鼻を鳴らして、剣を構える。


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