第3話 夜の青年  一 貴公子

 お屋敷の庭で槍と刀の稽古をさせて貰うように願い出ると、快く許して貰えた。家屋の修繕に職人が入るようになり、少しそうした時間もできた。また、番役としては武技を磨いておくのも仕事であろう。弓の稽古ができないのが残念だが、これは仕方がない。

 天才丸は、ひとり長い棒や重い木刀を振り続けた。そうしている空き地からは離れた、低い生け垣の向こうの縁先に、姫さまの立ち姿がみえるときもあった。見ていてくださっているらしい。少年はうれしく、力がこもる。

「それは悪し。間違うておるな。」

 従者を連れた大身らしいひとが、いきなり声をかけてきた。太刀振りを見てのことらしい。まだ二十歳半ばにもいかぬくらいの若い男で、いかにも腕がありそうだ。知らない顔だが、衣装を見て、身分もすぐに察しがついた。木刀を放り出すように置いて、膝を地面につかねばならない。

 地面に顔を伏せると、先ほど見た男の尋常でない美貌が、かえって瞼に残る。

(御所さまのご一統ではないようじゃ。)

 顔立ちが、見知っている浪岡北畠氏のひとたちとは違って見えた。姫さまはもちろん、御所さまも、あるいは一回だけのお目見えで垣間見たご一族の何人かも、さすがに典雅に整ったお顔立ちだが、目の前のこの人のような、華やかでありながら冷たく心を刺すような種類のものではない。

(ご家臣ではない。ご客将か。化粧した女のような顔の癖に、この偉丈夫ぶりはどうじゃ。)

「ご無礼を申し上げました。」

「無礼ではないが、儂らが近づいたのに気づかぬは、番役としてはどうであったかの。」

「申し訳ございませぬ!」

「見てやろう。続けよ。」

「畏れ多く存じまする。」

 天才丸は低頭したままで動けないが、ひとつには気圧されている。たれかはわからないが、ただの貴公子ではなく、若いくせに、松前で知る蠣崎侍の中でも戦働きに長けた者だけが持っていた、猛々しい気が感じられる。御所に出入りする浪岡北畠の侍たちには、珍しいように思う。

「いずれ戦に出るのであれば、いまの棒振りではいかぬ。教えてやる。」

「いや、それも畏れ多く……。」

「儂が、教えると言うた。」

 跳ね上がるように、天才丸は立った。

 たれにせよ、浪岡氏の戦を指揮する立場のひとに違いない。逆らうわけにはいかないし、教えて貰うことに好奇心もある。武芸の手ほどきは、南条がよくつけてくれたし、やや病弱な次兄も小さな弟の相手は好きだったようだ。

「構えよ。」

 武将らしい若者は、静かに命じた。顎を引け、握る力をもう少し抜け、体を落とせ、と剣術らしい初歩の注意を与えられる。それは慣れていたから、自分でも気づいてすぐに対応できる。

(南条の義兄ならば、ご自分は手に何も持たぬままで、さあ打ちかかっておいでなさい、と言うのだな。そして、俺が思い切り打ちかかっても、さばいてしまわれる。)

と、驚いたことに、男はすらりと自分の腰の刀を抜いた。

「では、参る。」

 気合を入れて、上段から打ちかかってきた。いや、白刃で斬りかかってきた。

 悲鳴を漏らして、天才丸は飛び退く。その足に男はすばやく自分の足をかけ、蹴倒すようにして少年を地面に転がした。地面を舐めた顔先に、白刃が音をたてて土に刺さった。

「これで死んだな。」

「……!」

「誤りがわかったか。」 

「驚きましてございます。」

「驚いただけか。」

 男は笑った。刀を地面から抜くと、土を振り、丁寧に刃先を拭って鞘に納める。

 天才丸は起き直り、平伏した。と、そこに鞘ごと肩に脇差の軽い一撃があった。

「また誤りおった。」

(なんじゃと言うのか?)

「今、なぜ儂に打ちかからなかった。儂はぬしを殺そうとした。それが果たせぬままに、剣をおさめてしまったな。隙ができたはずじゃ。そこをぬしは、得たりと刺すか、打ちかかるべきであった。……最初の誤りか? 同じことじゃ。ひとを斬るために刀を握っておらぬ。殺す気がない。それゆえ儂が真剣で斬りかかったときに、驚いて逃げた。逃げてどうする? 立ち向かうべきであろう。木刀でも人は倒せる。……不意をつかれた、か? それがそも油断で、殺し合いをする気が最初からない。誤りは、それじゃ。」

 少年に得心がいったとみると、男はふと生垣の方に目をやって、眩し気な表情をみせた。

「ご無礼をいたしました。蝦夷島松前より仕っておりまする、蠣崎若狭守が倅、天才丸と申します。ご指南を下さり、まことにかたじけのう存じ上げまする。」

「指南とまで有難がらずともよい。使えぬ兵ばかりでは、儂が困る。子供のときに、わざわざ悪い棒振り芸だけを身に着けられてはならぬ。」

 従者を促し、歩を返した。名乗ることはない。いずれ知れ、というのであろう。


(あれはたれだったのか。)

 それからは、目の前に斬るべき相手がいるつもりで木刀を振ったし、誰かが近づく気配に気を配りつづけた。あのひとに見て貰おうという積りもあったが、あれ以来、姿が見えない。

 屋敷周りにいた大人たちに聞いても、要領を得なかった。この舘の街道沿いの門を守る武士に尋ねても、首を振る。

「ここまで、そんなえらい人が来られるかね?」

(そうかもしれぬ。戦になって立て籠もりでもすれば別だが、ここはそれ以外には用無しの、お蔵かお納戸みたいな場所だ。ご一家やそのお客がお立ち入りのご用などはない。)

(姫さま以外は。)

 殺意以外の邪念が起こっている、休もう、と思って闇雲な素振りを止めた。

(姫さまは、よほどの変わり者でいらっしゃるなあ。)

 疲れ果てて木刀を投げ出すように置くと、汗を拭いながら改めて思った。

(姫さま……。あっ、姫さまに御用だったのか?) 

 そこに下男が、竹筒に水を入れて持って来てくれた。

「いまお乳母さまが、お持ちしろと。お休みのようじゃと。」

「すまぬな。あとでおふくどのには、ご親切を礼しよう。……お前は見たかな? この前、わたしが稽古をつけてもらったのを?」

「ひっ倒されなさったな。」

「それよ。」見ていたらしい。天才丸はちょっと上気したが、「あれは、誰かね? とお前に聞いても知らぬわな。」

「若旦那。それは、お乳母さまにも尋ねられないほうがよろしいぜ。」

 下男は、なぜか声を潜めた。ふっと、自分が出てきた、背の低い生垣に囲まれた家屋に目をやる。

「おふくどのもあれをご覧だったのか。で、様子が変だったのじゃな。」

「若旦那はお察しのいい。怒っていらしたようだ。」

(怒って?)

「わたしにか? 姫さまの番役が役立たずにも、みっともない様じゃったから?」

 ではないであろう。それならば、すでにお小言の一つも頂戴していておかしくない。

「さあ、違うようですぜ。あのお方の姿をみて、腹をたてられたよう。なぜ来られた、と肥えたお身体で地団太をふまれるように、の。」

「……よう教えてくれた。わかった、訊かぬことにする。」助かったぞ、と笑ってみせると、年老いた下男も歯を見せた。彼なりに、天才丸が叱られたりしないように気を配ってくれたものらしい。

(おふくが気にするのは、姫さまのことばかりだ。)

(ご一家でお仲の悪い人もいるのだろうが、ありがちなことじゃ。……では、あちらは何の御用事じゃ? なぜ会いに来られたわけか? )

 叱られてもいいから、それとなく聞くか、と天才丸は考えたが、知らぬといわれれば終りだろう。怒っていたそうで、などと訊けば、ふくに下男が叱られて気の毒だと思い直した。

(まあ、どうでもよいことじゃ。浪岡北畠さまのご一統お一人おひとり、見知るわけにもいくまい。)

 木刀が風を切った。引いて、低く身を落として構えたところで、また雑念が起きた。

(……使えぬ兵ばかり、とか言っておられたが?)

(おれも、いずれ戦場で使って貰える時が来るものかな?)

 払った太刀筋が流れてしまった。いかぬ、とまた気を締めた。


 

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