第2話 姫さまと少年 二 市場にて

 城下の七日町には、その名の通り、七のつく日に市が立つ。

「天才丸。今は忙しいかえ?」

「天才丸は、姫さまのお命じは、いつでもただちに伺いまする。」

「手が空いたときでよい。」 

 さ栄は、内心でおかしくてならない。

(怖がらせてしもうて、悪かったの。)

 とも思っている。本人に言ってやるわけではないが、あれ以来、天才丸が今なにをやらされているかに、できるだけ気をつけている。家のものごとを彼に頼むのは乳母あがりの侍女ふくなので、それとなく、あまり便利使いするなと釘を刺しておいた。

「天才丸どのは、なんでも気安くお引き受けくださいますよ。」

「大儀であろう。」

「しかし、このお家の手入れも、なかなか大変でございまして。職人も北舘から廻していただけませんと。」

「御所さまに、さ栄からお願いいたそう。」

 ふくの表情が輝いたのは、むろん天才丸のことではなく、赤子の頃から仕えてきた姫さまを思ってである。

 あるときから、親族ともろくに会話しないようになった。寡黙というにも、度が過ぎているように、他人には見えるだろう。婚家でもそれを気味悪がられていたのがわかっていた。

(亡くなられた夫君もお気の毒じゃったが、このおかたの世に望みもなさげな暗さを、最後は厭がられるばかりじゃったな。)

 それが家政のことで兄上に頼みに行くとも言う。目に見えて昔の姫さまに戻ったわけでは決してないが、なにか心によい変化が生じだしているのがわかった。

「市に御用がおありでしたか。」

 天才丸を送り出した姫さまに、ふくは尋ねてみた。

「さ栄も市に行く。用意を。」

「はあ?」

「ついて参れ。……七日市の見物よ。」

「お城の外でございます。危のうございませぬか。警護の者もおりませぬが。」

「よかろう。その番役のところへ行く。」

(あの男の子を追いかけると仰るか。なんのことやら。)

 ふくは当惑したが、姫さまの声が心なしか明るい。

 

 市での買い物の用はすぐに済んだ。だが、主人に言われているのはもう一つある。

(このお城下に慣れよ。市やお寺や御社を、よく見て参れ……か。)

 有り難いと思った。出仕している以上、この浪岡の土地を知るのは大事だが、このひと月以上、その暇もなかった。

 浪岡氏自慢の都から勧請した社寺仏閣にはさほどの興味はないが、市の繁華は飽きない。松前生まれ育ちの少年は、浪岡の賑わいは京洛にもそうひけを取らぬと言われるのは本当なのだろうと思った。現に、京から届いたらしい茶の粉の袋が懐にある。

 そして、ここもまた北の土地である。並んでいる商品の色や匂いに、急ににぎやかになった松前湊で少年が親しんでいたものがある。鮮やかな唐文様がちらちらする。潮の匂い、干し魚の匂い、毛皮の匂いがどこかから漂う。

 雑踏の中で、天才丸は足を止めた。

(あいつら……?)

 遠目からもわかったが、アイノの商人たちの一団だ。蝦夷島からやってきたのだろう。それも、北のほうだ。半島南部の松前やウシュケシ(箱舘)のような和人(シャム)と蝦夷(アイノ)の混住地に、蝦夷船で遠くからやってくる連中だ。

 四、五人小柄だが躰の分厚い男たちが、連れ立って歩き、笑いさざめく気配が伝わってくる。彼らのことばを松前大舘の支配者の一族である天才丸はあまり知らないが、しばらく聞いていなかった音と抑揚が拾えた。

 少年は無意識にかれらの近くに行こうとして、足を止めた。そのまま、往来で立ちすくみ、アイノたちが行き過ぎるのを、離れた場所から茫然として見送る。


(そうか、蝦夷か。)

 市女笠を深く被り、いつもよりずっと地味な着物に身をやつした女たちは、少し離れた道の真ん中に突っ立っている少年の姿を、古手を並べた筵の前で屈みこむていで伺っている。

「あんなところに立っておられては、邪魔でしょうな。危ないことじゃ。」

 声をかけようか、と目で問うふくを、さ栄姫は同じく目で制した。その必要はない。少年はゆっくりと歩きだした。さ栄姫が、侍女に促しもせずに露店を離れる。

「追うのですか。」

「しばらく様子を見る。」

(方角を探したな。……北か。)

「何のためにでございます。」

 まったく姫さまのご酔狂じゃ、とふくは呆れている。死んだような無感動や無気力から立ち直る兆しとも思えるが、それにしても意味がわからない。

「かえって可哀想なことをしてしもうた。」

 さ栄は後悔している。少し気晴らしの休みをやるつもりで、市に使いに出したのだ。ゆるりと見物して参れ、と言ったつもりだし、それは天才丸にも通じたはずだった。

 だが、あの元気のない様子はどうだ。立ちすくんでいたかと思うと、ふらふらと歩きだしたが、視線は足元に落ちている。

(北に向かって、どうしようと? まさか、松前とやらに逃げ帰ろうというのではあるまいな?)

「蝦夷どもの姿を目にして、お家が恋しくなられたのでしょうかな。」

「さもあらん。」

「天才丸どののお家は、蝦夷の出でござりますのか。」

「違うと聞くが? たしか、松前の蠣崎家は、若狭源氏だとか。」

 ふくはさすがに、それは嘘でしょう、とも言えないので黙って歩いている。

 姫さまが調べたわけではないだろうから、御所さまかご重臣の誰かが、あの蝦夷島の子供を押しつけるときに、妹君の機嫌をおもんばかって、かれらの家系伝説をそのまま教えたのだろう。姫さまもとても信じてはおられないが、見知らぬ少年が何者であろうと、どうでもよかったに違いない。

 なんの意志も無さげなこのひとは、たしかになにも考えずに、あてがわれた従者を、要るとも要らぬとも言わず、ただ受け入れただけだったのだ。

(それが、いまはこんな真似をされておるとは……?)

 天才丸が立ち止まって、急に歩を返したので、女二人は慌てて家の角に身を潜める。

 天才丸は逆に、やや力の戻った足取りで、南に向かう。それをやり過ごして、また背中を追った。

(阿呆らしい。)

 ふくは自分たちが滑稽に思えて、やりきれない。

「あれは、どこへ行くのかの。」

「存じませぬよ。」

「加茂神社のご境内か。」

 京から勧請した、浪岡の東を護る社が、この街道沿いに近い。

「お声をおかけになられますか。」

「かけたほうがよいのか?」

「天才丸殿は、寂しがっておられるのでしょう。」

「……なんと言えばよい?」

(大きいなりをして、そう寂しがるな、じきにお家に戻れるであろうよ、とでも言うか?)

「さて? そもそもなんでここに居られるのか聞かれたら、如何されます?」

 ふくもそれが教えてもらいたいほどなのだ。

「……。」

 姫さま本人が、困っているらしい。

「……あれは面白い子なので、遠くで眺めておったら、市などでは、きっとなにかあるかと思うて。」

「とは申せませんな。」

「あ、さ栄も、市というものが久しぶりに見たかった。」

 それは本当だ。小さい頃、この加茂神社にちかい街道筋の七日市がたつと、すぐ上の兄などにおしのびで手を引かれて見物に行った。

「お前によく叱られたぞ。」

「覚えておりますよ。」

 ふくも懐かしい。姫さまがあの少年などより、もっと小さい、本当の幼女の頃だ。そして、これはますます吉兆じゃな、と内心で喜ぶ。

(兄君さまとのよい思い出を口にされるとは、めでたい。)

「兄上がな、若君さまには内緒じゃぞ、といわれて、飴を買うてやるからと手をお引きなのじゃ。さ栄はお城の外はこわいのじゃが、子どもだけと思うと、なにやら胸がきやきやした。買うて貰うた飴の味、おぼえて……」

 楽し気に回想していたさ栄は、そこで、喉が詰まったようになった。

「姫さま?」

 異変に気づいて、ふくが笠の下のお顔をうかがおうとすると、さ英姫は低く呻き、立ち止まって、躰を折り曲げてしゃがんでしまう。呼びかけても、返事がない。ただ、がくがくと震えている。

 いかがなさったか、とふくが握った手に、手首のあたりまで赤く腫れた模様が出ていた。長い首にも、蚯蚓腫れがまるで這い上がってくるように激しい勢いで浮き出ていた。着物の下も、痛痒いのだろう、無意識に躰を揉んで苦悶する様子だ。

(ああ、ああ、またこうなられる! まだお治りでない!)

「天才丸どの!」

 ふくは鳥居をくぐろうとする小さな背中に大声で呼びかけた。少年ははっとして振り向く。驚いて、駆け寄ってきた。

「姫さま? どうなされましたか? なぜここに?」

「それはあとでよろしい。お城にお帰りじゃ。お手をお貸しなさい。」

 はい、と天才丸はしゃがみこんだ姫さまの腕に肩を回して立たせようとしたが、一瞬躊躇する。貴人の躰に触ってもいいものか。

「よい。姫さまとは知れぬ。どこぞの御寮人じゃ。そのようになされませ。」

 あまり丁寧に扱わないほうが、正体が庶人に知られず、いいのであろう。

 軒下の日陰にお連れしたが、喪神から醒めるか醒めないか、といったご様子である。ただ、天才丸を薄眼で認めて、すまぬの、と血の気の失せた唇が動いた。当分は満足に歩けまい。天才丸はおふくに尋ねる。

「お城にお知らせは?……うむ、ないほうがよろしいのでござるな?」

(ならば、お輿を持ってこさせるわけにもいかぬ。馬か……。)

 四囲をうかがい、あれだ、と思った。農夫が牛を連れている。あれに乗っていただこう。

 牛飼いに銭を握らせ、お城までゆっくりと運ばせた。牛の背の上で、低く落ちた市女笠の頭がぐらぐら揺れるのが、気が気ではない。城の東門をくぐるや先に駆け戻ったふくが用意した床に、さ栄姫をようやく寝かせた。

「医師は……?」

 呼びに行こうか、と尋ねると、ふくは無言で首を振った。それはいいらしい。

 天才丸は、まだ寒さの残る季節なのに汗だくになっていた。気がつくと、懐に入れていた筈の茶の粉の袋をどこかに落としてしまっている。

 探しにいこう、と下がろうとすると、さ栄姫が目を開けて、こちらに、と無言で枕元に招いた。

「……大儀であったな。」

 ふくが喜びの吐息をついた。

「お顔のお色もよくなられました。もうご心配ありませぬ。」

 さようのものなのか、と天才丸は不思議に思ったが、このようにはよくおなりだったのだろうと思い当たった。痛くないようにとそろりと掴んだ姫の手首から下に、赤い腫れが浮いていたのを思い出した。それも、もう引いたのだろうか。

「ご本復のご様子、なによりにございます。」

「ぬしのおかげじゃ。」 

「有り難き幸せ。」

では、とまた下がる様子をみせると、さ栄姫は、まだ仕事があるか、と尋ねた。

「姫さま、天才丸どのも、もう夕餉を召しあがるのでしょう。」

「さようか。では、さ栄の膳を食べておいき。」

食欲はさすがにないのだろう。おふくも頷いて見せたが、天才丸は遠慮するのも忘れて、

「いえ、日の落ちきる前に、……探し物が。」

「さがしもの?」

「申し訳ございませぬ。お言いつけのお品を、どこぞで落としてしまい。」

 まあ、とふくは驚いたが、姫さまは薄く笑って、それはもうよい、さ栄のあの騒ぎじゃもの、仕様がない、と言ってくれた。そんなことより、という調子で、

「加茂神社にお参りしようとしていたな。感心なことじゃが、急に敬神の心をおこしたのはなぜじゃ?」

 尋ねたいのはわたしの方で、あなたはどうしてそれをあそこで見ていたのか、とは天才丸は言わず、正直に答えた。

「さほどに殊勝な心掛けではござりませぬ。」

「北ではなく、南に歩を返したが?」

 (それも見られていたのか!)

 少年は恥ずかしい気持ちでいっぱいになったが、

「はい、ご境内は、空が高く見渡せるだろうと思いまして。」

「そら?」

「空は、陸と違い、どこまでも繋がっておりますので。梵珠山の裏の、さらに向こうとも、海を隔てましても、……。」

(やはり、蝦夷島が恋しいのじゃな。)

 さ栄姫のほうが、ふと涙が出そうになったが、少年は口に出してしまうと、なにか吹っ切れたものらしい。少し顔を赤らめると、やはり探してまいります、と無造作に立ち上がった。

 気づいて、作法をなぞって部屋を下がると、低頭して、お願いがござりまするが、と言う。

「必ず見つけて戻って参りますが、……」

「よいよ。……それはもう、よいと言うた。」

「戻りましたら、その、姫さまがお手をおつけでないお膳、いただけますか?」

 浪岡御所のあるじたちが口にするものを、一度食べてみたい。腹もたしかに空いている。

「……むろんのことじゃ。見つからぬでもよい。戻って、食べるがよい。」

「さようなわけには。」

「主命じゃ。」

 こわい声を出してみせると、さ栄姫は半身を起こして、くっくっと笑った。

 そばでふくが驚いた様子で、やがてなぜか袂で涙を拭う。


(香の物がうまかった。久しぶりにうまい上品(じょうとう)の飯だったが、もう少し魚の肉が欲しかった。大人だが、女の人はあんな程度で足りるのか。)

 首尾よく城内に手つかずで、落とした袋もあった。牛の背から、ぐったりとした姫さまを下すときだったのだろう。すぐに取って返し、台所ではなく客間ともいえる部屋に通されて、膳を貰った。狭い家屋であり、姫さまの臥せっている部屋と木戸越しであった。

「天才丸どのは、おわかりと存ずるが……」

「はい、お身体のことで、けして余計なお尋ねはいたさぬ。」

 ふくは安堵した表情で、今日の礼を言ってくれた。

 聞きもせぬのに、自分はこう見えて浪岡の武家の出で、御殿づとめもあり、姫さまのお世話をずっとしておりました、と言った。そうだろうな、と思ったが、要は天才丸と身分は同じだとも言いたいらしい。かれのようなわかりにくい立場の者への口の利き方や態度が難しく、つい子供に対する口調になるのを断っておきたいのでもあるようだ。

「ご元服がお待ち遠しうございますね。」

(元服すれば、このおふくおばさんも、もう少しおれにも恭しくなるものかな。)

 天才丸は小女が運んできた膳を前に、木戸越しに、いただきまする、と挨拶した。すると、思いがけなく、ああ、おあがり、と小さな声がした。

「お目ざめでござりますか。ようございました。」

「寝られはせぬよ。……横になっておれといわれたから、……さようにしておるまで。」

「これ、天才丸どの。姫さまがお疲れあそばしてはなりませぬぞ。」

 天才丸は首をすくめる思いで、それからは黙々と箸を動かした。姫さまも、なにか話しかけてくるでも別になかった。さすがに、もう眠られたのかもしれない。

 北舘にある若党の長屋に、夜着にくるまれる一角を与えられているから、堀にかかった橋を渡る。もう星が出ている。水の匂いを嗅いだとき、はじめてふと思いだした。

(あたりまえだが、姫さまは、魚ではない。)

(柔らかかったな。それに、甘い匂いがした。)

 姫さまの躰を支え、持ち上げて運んだ時の記憶だった。女の中で育ったともいえる三男坊にとっては、懐かしいものではあった。ただ、それだけではない小さな戦慄に似たものが、躰の奥にすでに起きている。川風に吹かれたように、身が軽く震えた。

 北舘の武家屋敷の道にも、もうこの頃にはあまり迷うことはない。

 明け方、姫さまとも、松前にいる南条に嫁いだ姉とも思える、しかし全く違う女の夢をみた。見知らぬ女は別に裸でもなかったが、なにか悲しそうな背中が、伸ばせばすぐ手の触れるところにあった。なにかを自分に囁かれたと思って、目を覚ました時には、下着の冷たい汚れに当惑した。長屋の者たちに後始末を知られないように、まだ暗いなか、井戸までこっそり走った。

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