第13話 朋友

 四月の声を聞いた。さすがに水も少しぬるみ、陽光が快い。

 蠣崎新三郎は西舘さまの近習職にまだあったが、一時ほど仕事には身が入らなくなっているらしかった。ひとつには、躰の調子が思わしくない。

(無理もない。)

と思い続けてくれるのは、事情を知るさ栄くらいであった。あとは侍女のふくでさえ、新三郎殿は存外にお心弱いと思わずにいられない。つらいのはわかるが、骨肉相食むお家騒動は世の常であろう。であれば、さほどに引き摺られるのも大概にせよ、と言ってやりたい。

「言うて励まして―ふくのつもりでは、そうなのである―差し上げたいが、この一と月、お顔をお見せにならぬのでは。」

 さ栄は悲しげに黙って首を振った。

 新三郎はほぼ一度に四人の家族親族を喪ったわけだが、乱世であれば人の命もまた軽い。いや、軽いと思わなければ、武家を続けていくのはできぬ。それなのに、

「腑抜けのようになりよって。」

 近習の小姓仲間のひとりが見舞いに立ち寄ってくれたが、開口一番、罵られた。大した病にも見えぬ新三郎が、日向たでぼんやりと床に身を起こして空を眺めていたからである。

 新三郎は、さ栄と左衛門尉以外には恐ろしい推測を喋っていないので、死人のこと以上に、父をはじめとする実家の有様に深刻な思いを持っているとは誰も知らない。ならば、遠い松前で誰と誰が死んだかなどに、他人は関心を持ちつづけようがないのである。

「かくのごとく、いつまでもお勤めが果たせないようでは、お前、西舘さまのおそばにいられなくなるぞ。」

(いたくはない。)

とは先輩のこの同僚には言えぬから、新三郎はかすかに困った顔をしただけだ。

 そんな風にろくに家を出ず、寝たり起きたりに近い日を送って、じいじどのはじめ周囲に少し呆れられていたが、ある時、急に思い立ったように瀬太郎を呼び付けた。

 日の当たる暖かい縁に瀬太郎を上がらせて、まずは詫びた。

「まだ、お前を侍に引き上げてやれぬ間に、おれの方がこんなになってしもうた。」

「どうにもなってはおらぬわ、ご大将。風邪か何かだ。すぐに治る。」

「蠣崎のお家には仕えていては貰いたいが、これ以上はおれについていても、お前のためにならぬ。」

「なんだ? 今になって追い出そうと言うのかい? そんなにおれ、けしからんか?」

 瀬太郎は笑ってみせた。新三郎も薄く笑って、

「ああ、御所のお庭にまわれ。そこでしばらく仕事を覚えよ。」

「お庭の掃除でもせよと言うのかい。」

「阿呆。」

瀬太郎がわかって訊いているのがわかるが、新三郎は笑って見せた。

「御所さまのすぐお側で、直々の命を受ける役をせよ。すでに御所さまのお許しは内々得ておる。明日にもひとのいないときに、お目通りがある。ご縁から庭先に、じゃが。」

 庭に潜むように侍り、お声がかかればすぐに馳せ参じ、密命を受けよ、というのである。後世の御庭番とでも言うべき役だろう。

「お前は腕も立つが、頭も回る。御所さまのご内々の命を受けても不足ない。なるほどさような者は要るな、とのお言葉であったぞ。屹度お目に留まるような働きをせよ。」

「おれは、この蠣崎の蝦夷足軽の頭領だ。親父の代からだからな。」

「親父も、ずっとそのままでいよとは言わなかったろう? ……身を立てて(出世して)やれ。……御所さま直々のお言葉を賜る蝦夷などお前ただ一人。それだけでお前はもう蠣崎だけではない、津軽一円の蝦夷の頭領も同じじゃ。」

そうもいくまいが、……と思いながら、瀬太郎には迷いが生じている。シャムになれという父の遺言もあり、これだけ新三郎が動いてくれたのなら、という思いもあるが、

「ご大将。なりや言葉で忘れているかもしれないが、おれはアイノだぜ。蝦夷が御所さまのお側近くに仕えられるものか。」

「つまらぬことを言いよる。いいか、瀬太郎。あれほどの尊いお血筋の方々からみれば、蝦夷だの和人だのというのはさして違いもないのよ。山の上から下界を見下ろすようなものであろう。大きい屋根も小さい屋根もご区別ないのではないか。お前らを粗略に扱ってきたのは、そこいらのつまらぬ小人であろうが。……姫さまを思い出せ。御所さまは、蝦夷島渡りのおれなんぞをご猶子にしてくださった。」

「驚いた。ご大将は若狭源氏とかの血筋だった筈だろうが。」

「……同じようなもの、と言うた。」

(それに、おれはもう、松前の蠣崎の家など、……)

厭だ、と、どうでもよい、が混じったこの気持ちを新三郎は言葉にできないが、「血筋」という言葉には凍りつくような思いがこみ上げる。

(血筋か? 血筋といえば、おれは子を喰う鬼の血筋かもしれぬわ!)

「……ご大将。わかった。しばらくやれるかどうか、試してみたい。」

「それでよかろう。蠣崎の蝦夷足軽のまとめ役は、お前が決めてくれ。」

「おう。承知した。」

 新三郎はひとつ肩の荷を下ろした思いで満足げに息を吐いたが、

「瀬太よ、御所さまには、その口の利き方は断じてあるまいぞ。気をつけよ。おれが直してやってもいいのだが。」

「ご大将、あんたはどうするんだ?」

 その言い方よ、と目でいうと、瀬太郎は辞儀を改めてみせた。

「おそれながらお尋ねする。ご大将おんみずからのお身の振りは、如何なさる?」

「……お前、できたのじゃなあ。これなら御所さまの前にまかり越すも案じる所なし。……ああ、おれか? 千尋が元服できるまでは、変わらず蠣崎の家の為に働けるだけ働く。まだ、二年はかかるか。……案じてくれるな、これは言う通り、長い風邪よ。治れば、何かのお役につけて貰おう。」

「西舘さまのお側仕えは、お離れか。」

「さようしたい。戦になれば別じゃが、何か内向きのお仕事を内舘で頂戴できればな。」

「で、いかがされる。」

「……?」

「……じれったいな。千尋さまがご元服、家を継がれたら、ご大将はどうするんだ? 松前に戻って、家を継ぐにせよ……。」

「わからぬ。それは自分では決められぬ。」

(帰る気になるかどうかも、おれには、もうわからぬ。)

「そうじゃねえんだよ!」

瀬太郎が大声を出したので、新三郎は驚いた。どうやら、怒りだしている。

「松前の家督なんぞは知ったことではないが、ご自分で決められることがあろう。姫さまは如何されるおつもりか。」

「如何、と言うが。」

「貰っちまえ。それを御所さまにお願いしに行け。何なら、そのお庭先から、おれが頼んでやる。」

「阿呆、阿呆。」

 新三郎は慌てた。どうもこやつらは下種なのだ、とことあるごとに感じずにいられない。姫さまとのあいだは、そういうものではないのに、と思った。そんなに生々しい男女の間柄などではない、そんなものの及ばぬ境地にある主従のつながりが……、などと心の中で繰り返す。

 しかし、それを自分でもあらためてきちんとは言葉にできないので、つまらないことを言ってみた。口に上らせるさいちゅうに、惨めな気持ちにたちまち襲われたが。

「分際(身分)が違いすぎる。貴賤の差がある。お公家、村上源氏の名流にして建武の御代のご忠臣のお家柄、陸奥国司にして鎮守府代将軍北畠顕家公のお血筋じゃぞ。ご祖父君は正四位の殿上人さま、従五位侍従の父君と兄君をお持ちの姫君なのじゃ。おれなんぞには。……勿体ない。いや、雲の上のひとじゃ。」

「それだから、あちらは気になさらぬと言うたな?……いや、違わんよ。なぜ、惚れた女を手に入れようとしない? 姫様は、……姫様も、待っておられるわ。」

「……無礼をぬかすな。おれは、……ああそうとも、姫さまをお守りできればいいのじゃ。千尋が独り立ちしたら、おれはまた無名舘のお家の番役に戻していただこう。」

 瀬太郎は呆れ果てて、馬鹿なことを言うもんじゃないよ、と呟いた。

「心若い(純情)にもほどがあらあ。……うかうかしていると姫さまは、またどこかに嫁に出されてしまうぜ。それでいいのか?」

 心の底で怖れてやまない、考えたくもない事態を突き付けられて、新三郎は黙り込んだ。やがて、くぐもった声を出す。

「……姫さまさえ、お仕合せならば、それがよい。御所さまは、悪いようにはなされぬ。」

「その後、あんたはどうなさる? もう番役でもあるまい。」

「……。」

「その、どこぞの嫁ぎ先についていくとでも言うのかい?」

「……そんなことができるか。いや、できるものならお伴したいが」

 瀬太郎は縁の板が曲るほどに叩いた。新三郎は絶句する。

「あんたが姫さまを連れていくんだよ、蝦夷島に! 松前とやらで、ご当主になればよい。お代官様の家だ、姫さまのお好きなお歌のご本くらいあるだろうが? お茶くらい飲めるだろうが?」

「瀬太郎……なにをお前がそんなに怒ることがある?」

「お庭の仕事、おれは受けるぜ。」

「うむ、それはよいが?」

「その代り、あんたは御所さまに頭を下げるんだ。泣いて頼むんだ、妹さまを娶らせてくれと。御所さまは、お聞きくださるよ。……もしも、頼んで、頼んで、それでも御所さまだか御一門だかがとやかく言うなら、手をとって蝦夷島に逃げちまえ!」

「そんなことができるか、馬鹿。」

「さもないと一生、くよくよすることになる。おれはな、そんな情けないご大将に従うのは御免こうむる!」

 じゃからお庭に、……と新三郎は呟いたが、瀬太郎は興奮している。

「どうなんだい、ご大将? 新三郎さまよ!」

「わかった。……お前がちゃんと勤まることがわかったら、御所さまに、……ああ、まず姫さまに……姫さまに申し上げて、もし万が一お首を縦にお振りくださったら、そのときは、御所さまに、屹度お願いする。姫さまが、もしも、もしもだぞ、お笑いにならなければ……。お断りにならず、それでよいと万が一にもおっしゃってくだされば……。」

「煮え切らねえが、まあよい。姫さまは、もういいんだ。必ずだぞ、必ず御所さまに言うんだぞ。約束したぞ。」

 瀬太郎は喜んでくれている。怒っている表情のままだが、明るい。それを見て、新三郎はまずそれに胸が詰まった。

「ああ、お前とおれとの約定だ。お前も、守れ。……それと、先ほども言うた。その口の利き方は、必ず直せよ。」

「承知仕った。」

 去っていく瀬太郎の背に、新三郎は声を掛けた。

「瀬太郎。」

「なんだ? ……なんでござるか?」

「いずれ、苗字が要るな。考えておけ。……まあ、そう言うな。それと……かたじけない。礼を言う。」

 瀬太郎は無言で振り向き、肩を軽く持ち上げると、何か弾むような足取りで去っていった。


「こんな所に好んでお勤めとは、もの好きなことじゃ。」

 図書頭が新三郎に言ったのは、卑下でも謙遜でもない。御所さまが熱心とはいえ、家史編纂の事業は、やはり片隅の仕事ではあった。御書庫など、戦場を駆け回っていた西舘さまのご近習が志願する仕事の場ではない。

新三郎は、黙って微笑んだ。

 どうも風邪が抜けた後も、身体が本調子ではない……と言って、左衛門尉の側近からは抜けさせて貰った。左衛門尉は遠くで黙って、幕僚に対する新三郎の弁明を聴いていたが、叱るでもなく、ましてや引き留めるでもなかった。津軽蠣崎家には軍役があるから、「いずれ」の時が来れば、また馳せ参じることになる。ただ、当分は大きな戦の機会もないだろう。

「ご迷惑をおかけしますが、千尋の元服とご家督相続は御所さまから直々のご承認をいただけました。」

「有り難し。」じいじどのは感謝してくれた。十一になれば、そこでめでたく元服ということにした。いかにも早いが、早すぎることなどない。

「そうなれば、わしはいつ死んでもよいが、……おぬしはどうする? つっと千尋とこの家の面倒を見て貰えればそれは有り難いとはいえ……。」

「元服しても、すぐには一人前というわけにはいきますまい。現にわたしがそうじゃ。千尋丸どのが立派になられるまでは、ともに働きます。」

「松前には帰られぬのか?……うれしいような、残念なような。」

 自分にもそれはわからぬのです、と新三郎はいつも訊かれたときにする答えを繰り返した。

 御所さまに対してすら、この答えだった。嘘でも韜晦でもない。そうとしか、答えられないので、そうしたまでだ。

 御所さまは、松前の事件の何事かを感じ取っているようだった。新三郎の心の傷みは並みではないはずとわかっている。そして、左衛門尉のような男の側にはいられなくなっているという気配も、どうやら察していた。

「しばらくは、内舘でも仕事を覚えよ。いずれ、お前の松前での務めとなる。」

 御所さまは、新三郎が蝦夷代官を継ぐべきだと思っている。行政を覚えさせねばならぬ。

 新三郎はその心がわかり、深く低頭したが、華やかな表廻りよりもまずは……とご書庫勤めを希望したのだ。

「ご無礼ながら、世捨て人のようなつもりでおられても困る。」

図書頭はわざと釘を刺す。

「存じておる。ご書庫の仕事は忙しい。図書頭と、その……」

と、今日はこちらを向いているがたしかに口が利けないらしく無言のままの青年のほうをみると、図書頭が、

「右衛門。安岡右衛門。」

「……の下働きから、仕事をきちんと覚える。邪魔にならぬようにする。」

「よろしうござる。……いずれは修史の下書きまでお教えできよう。」

 右衛門がまた背中を返して窓のほうに向かうと、図書頭は新三郎に言った。

「蠣崎さまは、また何かを知りたがっておられるのじゃな。……いや、違いまする。まだあてどもないが、この文殻の山から、どなたかの秘密どころではない、お家にとって何か大事なものを掴もうとされておる。それは、感心じゃ。」

 そういうと、書付を渡した。奥にある書類の束を示すものだという。

「北畠さまが、旧領をそもそもはどのようにご一族で分けられていたか、その取り決めを記してある。これを清書する。」

 新三郎は、図書頭の目を見た。

「おぬしはこれに気をつけておけ、と言われるのか、図書頭は?」

「さようは言わぬ。清書するのが、あなたさまの最初の仕事じゃ。いや違う、ここに運ぶのが最初の最初よ。重うござるぞ。」

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