第14話 惨劇の序曲

 「左衛門尉、このようなものがある。」

 一週間後、御所さまは弟をひそかに呼びつけていた。そして、新三郎が摘要を筆写した書類を示す。

「……筆は新しいが、大昔のものでござりますな。」

 一族が津軽三郡をそれぞれ分割統治する取り決めが明記してある。

「これが今も生きている……と?」

「さには言わぬ。また、言わせぬ。……先々代さまよりも前じゃ、もう絶えてしもうた家もある。」

「げに。もしここにある通りにせねばならぬなら、現に隣に大浦などという家があるのもおかしい。」

「そうよ。……じゃが、お前の西舘、『兵の正』家にも、これの写しはあるじゃろう?」

「さて、存じませぬな。倉を漁ったことなどない。」

「今頃、中(ノ御所)や北(ノ御所)は断簡零墨を漁っておるよ。」

 浪岡北畠宗家の直轄地を増やす問題であった。先の戦勝の直後に川原御所が言いだしたことから、近年回復された旧領を、城内の郭に住む北畠氏の一族が再びそれぞれ手に入れたいという声が高まっている。

「益体もない。宗家に力を集めねばならぬ時ではないか。」

 というのが西舘のあるじの持論であり、御所さまも内心ではそれに全く異存がない。

(だが、左衛門尉は、奔りすぎている。)

 津軽中三郡という比較的狭い地を一族、家臣と名乗る国衆(小領主)がばらばらに統治するままではならぬ、というのは兄弟がひそかに共有している考えだった。

 しかし、御所さまである浪岡具運にはもう、来る日の中央権力による北畠浪岡宗家としての所領安堵までが念頭に置かれている。十年先か二十年先かわからぬが、いずれはそうした時が来ると見ていた。

そのための直轄地であった。将来できるであろう新しい秩序の下で、名家の地位を落さぬために、力を蓄え、それらしい態を整えておきたいのである。

 一方、弟は、津軽一円を手に入れる力を得る為だと考えているらしいが、それはいたずらな拡張志向で、浪岡北畠氏の永代の安泰のためには有害でしかないというのが、御所さまである浪岡具運の判断であった。

(一族の離反を招くようでは困る。かれらにも利を得させなければ、家がもたぬ。)

「川原を宥めたい。」

 左衛門尉は、川原御所の叔父の動向を気にしているらしい。いっそ討ってしまいましょうか、などと物騒なことを囁いたので、嗜めたこともある。

「叔父上が大人しくなされれば、あとは納まるだろう。」

「十三湊をおやりになるのですか。」

「差し上げてしまって、構わんだろう。お前も見ただろうが、もうあれは、当分は使い物にならぬ。名目だけじゃ。  それで一族の中で顔が立てばよろしかろう。」

「北や、中が、それで?」

「北や中にも十三湊一帯を新領としてやるのじゃ。……存外に喜んで、砂を掻き出してくれるやも知れぬ。」

 御所さまは笑って見せた。左衛門尉は、しばらく考えていたが、やがて、さすがにご妙案かもしれぬ、あの人たちは、一家で顔が立てばよいのだ、と呟いた。

「で、代わりに今の領地をそっくり召し上げるのですな?」

「そうはいくまいが、いくらかは交換させる。今生きている湊への道こそが欲しい。」

「御意にて。」

「左衛門尉、よい機会ゆえに言うが、儂は大浦に食われる心配はさほどにしておらん。お前のお蔭でな。……それ以上に、南部どのと我が家との間こそが気になる。儂の代で、おさまりをつけておきたい。」

左衛門尉は、これは妙なことを言われる、という表情になると、

「些か順が違うように存じます。南部とのことは、まずは大浦と大光寺南部を片付けてからにござりましょう?」

「……津軽一統か。」

 悪い夢じゃな、と言いかけて、兄は弟の前で言葉を呑みこんだ。気を削ぐことはない。それに今は、それが話の主眼でもなかった。

 ただ、やはりこの弟の才は馬上にしかないのかと思うと、悲しい気がした。

 中央に新しい権力が確立する機運はまだないが、いずれ衰弱した公方に代わる何者かが京に出現し、ゆっくりと奥州にも手を伸ばすだろう。これはもう想像しなければならないのに、できないのであろうか。

(未熟。津軽や奥州しか考えられぬか?)

 はるか南北朝の世に、京の都からこの奥州まで派遣されたからこそ、自分たち北畠氏がここにいる。それに思いを馳せれば、より広い世での家の存続を思うべきであろう。津軽一統などというのが、一家の運命そのものを博打のかたに張るような夢ではないのは、これほどの男ならば、わかりそうなものであった。

(小次郎は、やはり、どこか欠けている。おそろしいまでに愚かしいところがある。)

(まさか、北畠という家など如何様になっても構わぬ、とは思っておらぬな?)

 ふと思い当たると、当主である浪岡具運は寒気がする思いだった。

(いや、これは我が弟。そこまで愚かではあるまい。それが証拠に、これまでお家のために、父上やおれのために、何度も戦場で命をかけてくれた。)

「御所さま?」

「……すまぬ。ぼんやりしておった。疲れた。どうもお前と二人きりで話すと、気が張ってならぬな。」

「御所さま、川原の意向、探ってみますが、お話合いはいただくべきかと。」

「そのつもりじゃ。」

下がろうとする左衛門尉を、御所さまは呼びとめた。

「……小次郎。」

「は。」

「もう、たまには、兄と呼べ。許す。」

「……子供のころより、若君さまと呼んできました。そのあとは、しばらく、ご名代さまじゃったか。兄上とお呼びしたことが、ありましたでござろうか?」

「あったとも。覚えておる。」

 左衛門尉は黙礼すると、御所の奥まった部屋を去る。

 西舘に戻ると、従者もつけず、ひとりすぐ馬を出した。検校舘を通って街道に出ると、南に進む。川原御所に入った。


 のち「川原御所の乱」と呼ばれる事件は、謎に満ちている。

 その名と、事件が浪岡北畠氏の運命にもたらした巨大な意味のみが知られ、経緯については不明の点があまりに多い。突然の殺害事件が起きた日は正月とも、また四月ともされる。その場所も、浪岡御所の中ノ舘とも川原御所ともいわれ、一定しない。ありがちなことだが、凶行に及んだ暗殺者の動機は、結局不明である。

 さらに、殺された者の数すら異説があり、そこで無残に斬殺されたはずの人物が、数年後に京の公家名簿や寺社の奉納額に名を残しているともされる。


 永禄五年四月五日。その日起きた出来事には、いくらかの予兆があったように人びとは記憶した。

正月二日、御所さまが悪夢をみた。さらに三日、御台所も悪夢にうなされた。

「どのような夢でござりました?」

 さ栄は四日、正月の行事のひとつであり、女たちが主役ともいえる「簾中参上の儀」のため、内舘に出て来ざるを得なかった。主婦である御台さまからの家中の雑役婦たちへの進物ふるまいの手伝いである。それを終えて一息ついた席で尋ねてみると、朝からどこか疲れた表情が続く嫂は、肝心の夢の中身は覚えていないのだという。

「ただ、ひどく恐ろしいことが御所さまと西舘さまのお身に起きたのです。驚いて、悲鳴をあげたところで目が覚めた。それが何だったのか、いかようにしても思いだせぬのじゃが……。」

「御所さま、西舘さま? それはよろしくない。」

「正月のお勤めが済んで落ち着いたら、お祓いを受けようと思う。ついてこられるか?」

 さ栄は本来、遠慮したいのだが、いつになく自分などに不安を訴える嫂の様子に厭な胸騒ぎをおぼえて、つい頷いた。

「いま、お家はなに案ずることもない。それだけに、心配じゃのう。」

「……まことに。」

「おからだの障りでもないといいが。まだお若いとはいえ。」

「三十を超えられて少しでしたか。」

「まさか。そんなにはならぬ。二十五、六であられよう。」

(義姉上はどなたのことを言われているのか?)

 夫の御所さまではなく、どうやら左衛門尉のことらしいと気づいて、さ栄は呆れた。西舘さまこと左衛門尉は、家中の女たちに人気がある。器量にくわえて、なんと言ってもあの美貌であった。戦場を何年も駆け回っているうちに、どうしたものかますます磨かれて、普段ですら凄愴の気配がするほどに容姿が冴えてきたらしい。よく知らぬ者は、ただただ嘆賞するほかないのであろう。

(……兄上は、近頃、やはりどこかおかしいのではあるまいか?)

 さ栄はしかし、そう思っている。自分の他には、おそらくは御所さまと、それに、新三郎だけが左衛門尉顕範の心のほの暗さに気づいているのではないか。

(まがまがしいことが起きるとすれば、兄上がそれを……?) 

 まさかとは思いながら、さ栄は懸念されてならない。それだけに、義姉上はなんだろうか、的外れではあるまいか、と辞去したあと、堀を渡りながらひとりごちた。

 お祓いには結局、御台所だけが知らぬ間に行ったらしい。そうこうするうちに、四月になった。

「五日は、川原さまがお越しになる。」

 御所の雑色や台所女は、準備に忙しい。お身内は常にこの城内にいるわけだが、内舘をわざわざに、しかも城外に「御所」を構える浪岡具信が正式に訪問するとなると、事々しい。

「川原には、儂から言い聞かせてやろう。」

 大御所さまこと浪岡前侍従具統が言いだしたのがはじまりである。川原御所はなかば望みどおりに江流末の一部に所領を賜ったが、気づいてみればそこは大浦との最前線に当たる。そのわりに、十三湊華やかなりし頃とは違い、旨味の少ない土地になっていた。音をあげて、所領をまた交換して貰いたいと言いだした。さもなければ、最前線らしく城を築き直したいから、浪岡御所から支援が要るとうるさいのである。

「あやつは、昔から癖癖しい(ひがみっぽい)。兄から、ひとこと言うてやるわ。」

「ご口論になられぬよう。」

「なってもよい。……お前たちと、」と、相談の同じ茶室にいる二人の息子を眺め、「同じじゃ。喧嘩になっても、そこは血を分けた兄弟じゃ。なに、奴も腹の中をぶちまければ、気も済んで、無理無体を言うたを恥じよう。」

「こわや。」

 御所さまは笑った。西舘さま―左衛門尉は黙って顔を伏せたが、笑みを浮かべたか、どうか。

 本来の謁見の場である九間の間に参上する形は、避けた。それより狭い三間の間の一つを使い、一族だけのごく内輪の形を作る。

 浪岡川の対岸にある川原御所は、浪岡御所の南西の外郭にある、市場町に面している。浪岡具信は、嫡男の具重を伴って来た。供回りは、ごく少数である。

 と見せて、川原御所の兵力百ほどの、大半をすでに動かしている。浪岡川を一気に渡れば、まさに政庁の内舘だが、それは難しい。城内から合図があれば大廻りして、軍勢は西舘をまず目指すことになっていた。ことが起きたあと、具信らはわが身を安全に保たねばならない。

 それにしても、それほどの兵を動かす必要があるまい、と問われたとき、具信はみるからに苦しげな表情になって、答えた。

「ある。兵を動かさねば、とても……。」

 軍事であるという形をとらねば、神経がもたないのである。兵を大々的に動かしてこそ、個人の怨恨沙汰や物狂いでなくなる気がするのである。それほどに、大それたことであった。川原御所にとっては自衛のためにやむを得ない企てだったが、やはり怖ろしい。

 謀議の相手は全てを言われる前に察して、深く頷いてみせたが、内心では怯懦と小心を嘲笑っている。それをおくびにも見せず、お忘れあるな、あくまで北畠のお家のためでござりますれば、と川原御所さまの心中を理解したようなことを口にして、鼓舞した。ここまで来て、怖じ気づかれては困る。

「合図は、わたくしが中座したとき。そこからお心のうちで、そう、五百ほども数えられよ。もう、裏ではご軍勢に西より入るよう使いを発しておりまする。」

「……。」

「そのときには、もはや全てが始まり、そして、終わっておりまする。」

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