第12話 阿芙蓉

 「新三郎、お前がやらせたのではないのじゃな?」

 左衛門尉は、冗談口でもないような調子で、しかし、ごく軽く言う。

「……何ですと?」

「家督欲しさに?」

「あ、ありえぬ! ありえませぬ!」新三郎は持たされた茶碗を取り落としかけた。茶室の囲炉裏の向こう側にあることもなげな白皙の美貌に、茶をぶっかけてやりたい衝動を抑えつつ、「お悪いお戯れを!」

「新三郎、その様子で儂は信じてやるがな。」左衛門尉はさすがに一瞬だけ気の毒げな顔にはなったが、「疑う者も出よう。三男のお前に急に家督が転がり込んだのじゃ。やむを得ぬ。」

「それは、畏れながらご見当とは違いまする。」

「なに? 家は継げぬのか。お前はあちらの正室の子で、残った者の中では長子になるのじゃろう? ……まさか、弟にお鉢が回ったか?」

「いえ、愚父からは、何やらわかりにくい指図がござりまして。家督の件は追々決めるので、そのつもりで待つように、と読めるような……。」

 それ以来、音沙汰がないのである。

 せっかちのすぐ下の弟からも、家督の件で何か決まったことがあったら教えてくれ、という困惑した表情が目に浮かぶような手紙を受け取っている。側室の子とはいえ齢も離れておらず、元服も済ませているから、自分にも目が無いではないと思っているのだ。しかし父から確たることは何も知らされていないので、異腹の兄に尋ねてみなければと思ったらしい。

(初めて便りをくれたと思ったら、あいつらしいわ。おれとて、なにも知らぬとしか返事の仕様がない。……それにしても、いまあいつは、檜山屋形に出仕しているのか。秋田から松前を経てここまで手紙が来るとは、やむをえぬが、ご苦労なことじゃ。)

 兄たちの死からも、それを知らされてからも、ずいぶん時間がたったのだと思った。

「弟は秋田にいるらしいな。……なぜ知った、というような顔をするでない。それくらい、調べがついておる。お前の家のことなど。……で、そやつも放っておかれているわけか。」

「放ってはおかれておりませんが、……まあ、そのようなものでございますか。」

「であろう。」

「雪が溶けきるまでは、帰るに及ばず、とは二人とも言われております。弟は帰りたがっておりましたが……。」

「そやつが、秋田か。本来の主家ではあるな。お前よりどうも欲深い分、見どころがあると蠣崎若州は踏んだかな。」

 厭なことを言われる、と新三郎は思ったが、左衛門尉のこうしたからかいにも慣れてしまった。弟より自分が劣るわけではないと自然に思っているから、父の評価がたいして期にならない。また、それをあまり気に病む余裕も今はない。

「その弟、ただちにお家の大事に馳せ参じて見せ、以て家督への名乗りを上げたいくらいなのじゃろうが、それが正しい。」

「このたびも、わたしは帰るべきでございましたか。ならばお命じ下さい。」

「正しい欲の持ち方じゃと申しておるのよ。新三郎、お前などは、しばし浪岡に残れと言われて、かえって安堵したくらいではなかったか?」 

「……。」

しばらくは帰りませぬ、と先ほど告げに行った時、姫さまの表情が明るんだのが、新三郎にはたしかにひどく心和んだから、何とも言えない。

「家督を継げ、松前に戻れ、と父に言われるのを足摺りして待つ風でもない。欲の薄いことじゃ。」

「欲の薄いのは、……いえ、薄うはございませぬが、さように見えるは、悪しきことにござりますか?」

「悪し。」左衛門尉は間髪を入れなかった。「この乱世に武家に生まれた者としては、ただ悪し。」

(大欲は大志に通ず、とでも言われるのだろうか。……たしかにこの方にはそれがある。津軽統一のご大志お持ちになるがよかろう。だが、おれは、もう……。)

「結構なお茶に預かり、お礼申し上げます。お伝えすべきは以上にござりましたので、これにて……。」

「待て、新三郎。気になる。……お前、怒りはないのか? きょうだいを殺した者への怒りは感じないのか? 仇を討ってやろうという気にはならぬのか?」

(その、仇なのじゃ……!)

 新三郎の真っ青になった顔色を眺めながら、左衛門尉は、得心がいった気がする。

(やはりこやつ、何かに気づきかけておる。それがゆえに、それ以上考えぬようにしておるのだ。)

「卑怯者が。」

「何ですと?」

「見たくもない真実(まこと)からは目を背け、考えるをやめて、ただ流されようとしておるのは、武家に非ざる卑怯。」

「……御免いたします。」

 新三郎は低頭して下がりかけた。その胸倉に長い手を伸ばし、左衛門尉は、はっと上げた相手の顔を張った。

「なにをなさるか?」

「知ったことを言え。おれが見せてやろう、お前が見ようとせぬものを。」

「御免被る! もう、ご勘弁くだされ!」

 新三郎の赤くなった頬に、涙が一筋走った。

「あるじのおれに言わんのか? そのような侍をもう使えぬな。……言ってしまえ。お前が武家でいたいなら、いや、……ひとはな、見たくないものも、見なければならぬ。考えたくない汚らしい、忌まわしいことも、考えねばならぬ。それをやめ、善きこと、美しきことのみ追うのは、できぬ。嘘つきか卑怯者だけが、さようできるとするのじゃ。……まだ言っていないことがあったな? どうやらそこで立ち止まっておるが、許さぬ。」

 新三郎は頭を抱えて、呻いた。

「ち、鴆毒……。」

「鴆毒?」

「鴆毒を使った、とわざわざに書いた。死に臨んで、それだけは譲られなかった、姉上は……。」

 新三郎は、毒殺を自供したという姉の言葉を調べさせていた。さ栄には言われたが、つてを使い、ここで調べられる限りは調べずにいられなかったのだ。家中にも明らかにされなかった、姉のいまわの際の様子が、こっそりと伝えられた。

なお、それは何故か、ご書庫の図書頭老人を通じてであった。浪岡の事情を調べさせた土地の者と、彼らには何かつながりがあるとでも言うのだろうか、と不思議ではあった。

(姉上は、いきなり捕縛され、石を抱かされてすらも決して白状しなかったという。屋敷から毒薬が見つかったというのだが、自分の知るところではないと否定し続けた。……だが、自分が罪を認めなければ、義兄上が首謀者として一族ぐるみ改易の上、磔は免れぬと言われ、ついに肯った。自白の口上書をとられ、血判をついたが、そこでただの『毒』ではない、『ちん毒』とおのが指の血文字でわざわざ書き添えたのじゃ! せめて言い残したかったのか。それは……?)

「新三郎。……お前の家は、毒を使ってきたな。」

 蠣崎家は、蝦夷代官として蝦夷島の南端の半島の筆頭に成り上がる過程で、蝦夷の首長をしばしば毒殺してきた。戦の和解の祝宴で、当主みずから相手に毒を盛る。明らかな敗け戦を、毒による闇討ちによって勝ち戦にしてしまうのである。

「その毒が、鴆毒か。」

「存じませぬ。だが、鴆毒というのは、蠣崎家(わがいえ)の誰もが知っている毒ではない。蝦夷から習った毒とは違うので、作り方などわかりませぬし、どんなものやら? おそらくは山丹を通って、唐土から来た。……それを知り、使えるのは、……つ、使えるのは、……」

 左衛門尉は、わかった気がした。

 新三郎は、蠣崎家当主である父こそがこの件で糸を引いたのではないか、との疑いを振り払えないのだ。

「……証はないぞ、新三郎? その姉が、いまわの際に罪人の自分を裁く父に意趣返しをしただけかもしれぬ。」

「さようならば、よいと申されますか? ……いや、よい。ならばよい。信じられるものなら、もうそれで信じたい。……じゃが、他家に嫁いだ姉やその手先が、どのように兄に毒を盛れましょうや。家督を奪うなら奪うで、何故わたしや弟は姉が送ってくれた酒でも喰らうて死んでいない? そもそも、いかにして南条の姉上が下手人と知れた? ……やはり、姉が手を下すなど、ありえない。あまりに道理がたたぬ。……では、たれが、何のために……わからぬ。おれには、なにもわからぬ。」

「おれにもわからぬが、もし蠣崎若州が図を描いたとすれば、いかにもそれらしい筋を作ってやるのはできる。」

 新三郎は両の耳を抑えた。

「……聞きたくはあるまいな。細かいところで当たっているとも限らぬ。じゃが、一つだけ、たしかなところを言ってやる。お前は、しばらくは家督が譲られるのを待つことになろう。」

 聞け、聞かぬかと左衛門尉は新三郎の手を耳から引き剝がす。

「聞くのじゃ、新三郎! ……当主を約束された兄たちと、南条という者は、おそらく齢も考えも近かったのであろう。それらはこのたび根こそぎにされた。……結果としてはそれ以外にないのじゃ。お前か、すぐ下の弟か、あるいは別の弟にか、家督が決まるのは先になろう。若州は、今度は自分に逆らわぬ者をゆるりと選ぼう。浪岡と、檜山にそれぞれ送り込んだ石のうちから一つを拾えばよい。他にもまだ碁石は……元服前の男はおる。焦らずともよい。」

「……父上は、さような冷血ではない。蝦夷を騙し討ちにしてきた悪しき習いとも手を切らねばならぬと言われて、わが身を切って蝦夷島に安寧をもたらされた。……父は、わたしの父は、西舘さまのお考えのような、子を碁石や道具のように扱い、命を取るような真似のできる者ではございませぬ!」

「できぬのか?」

 それはこの乱世の武家としては無能ということになるぞ、と左衛門尉の眼が言っていた。

「それに、語るに落ちたぞ、新三郎。上の兄どもは、親父と必ずしも考え、合わなんだようじゃな。蝦夷との付き合い方か? それとも主家安東と浪岡、南部との二枚舌か? ……まあよい、お前のような子供ですら、考えこめば、なにか思いつくか。」

「毒を盛るほどのことは、ないではございませぬか。親じゃ、親子なのじゃ!」

「うぬ。長兄、次兄はあるいはただの病死じゃったかもしれぬ。それをすかさず利用して、声望高い家臣でありながら自分の政道に反する、つまりは邪魔な南条某を切った。そのさいに、娘などを犠牲にするのは厭わなかった。この程度のことは、ありそうじゃ。」

(……おれならば、やる。)

 左衛門尉は、内心で呟いた。すでに真っ暗な心の内で、闇が深まった気がした。

 ふと気づくと、いつの間にか新三郎はうつむいて、震えながら何か口の中で呟き続けている。浜で網をみなで一緒に引いたのです、などと聞こえる。

(仲睦まじい家の思い出か。そんなものはみな嘘偽りでしかなかったぞ!)

「新三郎、鴆毒とはいかなる毒か?……知らぬか。当主にだけ伝わる秘薬であったな。……罌粟花から採るとは聞いたか?……違うようだな。」

 新三郎がまるで応答できなくなった様子を見ると、左衛門尉は舌打ちする気分になった。

(なんと、心弱い……。見損なっていたか、この男を。)

(年若とはいえ、地獄を見るに遅くはない筈。……弱い。)

「新三郎、お前には、これを使わずに済むと思っていたが……。」

 茶室の片隅から、小さな包みがいくつも入った木箱を取り出し、考えて、その包みのいくつかを掴んだ。

「やる。」

「……?」

「苦しいか、新三郎? 親が信じられぬのじゃから、つらいな。家中のたれかが鬼か修羅じゃ、故郷はわけのわからぬ地獄のような場所じゃった、自分は何をどうすればいいのか見当もつかぬ、自分は何者か、鬼の子か、夜叉の弟か……。苦しかろう。もう耐えられぬと思った時には、それを一粒、飲め。一時にたくさん飲んではならぬ。一粒で少し気が楽になろう。」

「西舘さま、この薬は……。」

「何もかも忘れられる。」

 新三郎は目を見開いた。

(これは、あの、阿芙蓉ではないか?)

「飲まずにいられぬと思えば、飲め。飲み続けよ。そのうちに、それなしではいられなくなる。……無くなってしまったら、儂に言えば、またやろう。……やがて、飲んでいるうちだけは、悩みも飛ぶ。死も恐れぬようになる。何も怖くない。斬られてすら、痛みもない。ただ、薬を飲めぬだけが、恐ろしい。いたたまれなくなる。さようなれば、今度はいずれ我が先陣に立つがよい。立派に討たれるまで使ってやろう。」

 新三郎は、全身が冷えるのを感じた。死をも恐れぬ西舘勢の勇猛の秘密の少なくとも一端が、ここにあるとわかった気がした。先頃の勝ち戦でも、先陣を務めた西舘の武者たちにはひどくたくさんの死人が出たのに思い当たった。死をも恐れず一歩も退かぬどころか、追いに追い、深追いを避けようともせず、好んで死地に飛びこむかのようであったからだ。

(西舘さまのお鍛えとご差配のためとばかり思っていたが、……)

 将の非情に血が引く気がしたが、自分が経験した戦場の景色と、西舘の将兵の目の輝きが蘇ると、待て、と考えなおした。違うのではないか、と思った。そして、むしろそれにこそ、腹の底が重くなるような気分にあらためて襲われる。

(いや、いや!……あの方々は、全員が薬に酔っていたのではない。そのようには思えぬ。たとえ薬を飲まされた者がいたとて、戦場では酔ってはおれぬ。やはり我と我が家のため、お家のため、ご主君のため、……すぐれた将たる左衛門尉さまのために、怖れをねじ伏せて戦ったのじゃ。おれとて、そうではないか?)

 喚きながら突貫する左衛門尉直属の士兵の一団に引かれるように、浪岡北畠すべての将兵が勇猛に戦ったのだ。戦場の昂奮を狂気や物狂いと呼ぶならば、それはあったろう。だが、そこに酩酊や自我の喪失などは乏しかった。むしろ、恐怖を抑える強い意志が感じられた。左衛門尉の戦略も作戦も、無理強いではない、理にかなったものだったではないか。

(それをこの方は、股肱の臣に毒薬まで与えて駆り立ててやったと、そのおつもりなのか?)

 新三郎は、白皙の美貌の青年が急に不気味に思えてきた。かつての嫌悪とも、日ごろの畏怖とも、一時の嫉妬心とも違う、はじめての想いであり、疑いであった。

(狂っているのは、……薬か何かに酔い痴れているのは、……このおひとのほうではないか?)

「どうした、新三郎? とらぬか?」

とるがよい、いずれ飲まずにはいられまい、と左衛門尉は思った。

(ほどなく、地獄を見ることになるのじゃから。此度は、目の前で。)

 命じられたままに包を袂に押し込むと、今度こそ、そそくさと辞去した。新三郎には、左衛門尉がこれまでになく、化け物に思えてならぬ。恐ろしいひとに自分は惹かれていたかもしれぬ、逃れねば、というなかば本能的な恐怖心が身を支配した。

 だが、左衛門尉の言葉は、頭の中に強く刻みつけられていた。

(父上も、化け物ではないのか? 松前は、おれの故郷は、鬼の棲家、地獄じゃったのか?)

 思わず、薬の小さな包みを袂の上から握りしめてしまう。

 そしてたしかに、新三郎ら残った子たちに、家督の話はついぞ出されなくなった。蠣崎季広は明確には継嗣を定めぬまま、これより長きにわたり蝦夷代官職をつとめ、松前大舘では老いてなお「おやかたさま」であり続ける。あきれるほど膨大な年月が重なっていくことになった。


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